モノ作りが好きで工学部航空学科へ進んだ山崎直子〜努力した結果に引き寄せる何か・ロボット研究大好き・米国留学から宇宙飛行士へ〜|山崎直子20・大学生から大学院生の時代

前回は「女子が異常に少ない東大理Iで学んだ山崎直子〜同期の女子が少ない中勉強に励む・異常さ際立つ東大の環境〜」の話でした。

目次

モノ作りが好きで工学部航空学科へ進んだ山崎直子:ロボット研究大好き

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国際宇宙ステーション(Wikipedia)

東京大学理科I類(理I)に入学した山崎直子。

この中、一生懸命大学入学後も勉強した山崎は、大学二年の1989年に工学部航空学科へ進学します。

現在は少し制度が変わったかもしれませんが、かつては「進学振り分け」という制度がありました。

文I→法学部、文II→経済学部、理III→医学部以外は、それぞれの方が進学先を志望します。

そして、志願者が多い場合は成績で決まりました。

そのため、教養学部では「理I・理II・文IIIはいつも成績を意識する」生活を強いられます。

次の試験を
頑張って、成績を上げないと・・・

成績評価が甘い
先生だといいな・・・

それに対して、「文I・文II・理IIIは成績を意識しなくてもよい」生活となり、明確に分かれます。

成績は良いに越したことはないが、
そこまで頑張らなくてもいいか・・・

専門に進めることは
分かっているから、好きなことに集中しよう!

筆者の頃は、「工学部筆頭格」だった航空宇宙学科。

おそらく、山崎が大学生の頃も航空学科は工学部筆頭であり、工学部で最難関だったでしょう。

なんと言っても、宇宙や航空は「空を飛ぶ」ので最も難易度が高く、理論も難しそうです。

航空学科を選んだのは、
モノ作りが好きだったから・・・

宇宙で運用できるロボットの研究、
開発に興味があったのです!

「ロボットの研究、開発に興味がある」女性・女子は極めて少数で、当時もそうだったでしょう。

この意味でも、「極めて貴重な女性・女子」だったのが山崎でした。

必ずしも「宇宙飛行士」を
目指していたのではなかったのです・・・

航空学科進学時は、宇宙飛行士を目指していたわけではなかったようです。

おそらく、最初はロボットの研究・開発という「いかにも理系」まっしぐらだったのでしょう。

そして、航空宇宙の勉強を進めるうちに、

宇宙飛行士に
なりたいな・・・

と「少しの軌道修正」をしたであろう山崎。

やっぱり最前線の
米国で学びたいな・・・

航空学科に進んだ山崎は、米国へ留学しようと決心しました。

米国留学から宇宙飛行士へ:努力した結果に引き寄せる何か

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ニューヨーク(新教育紀行)

そして、大学院の時に米国に留学して、一生懸命学んだ山崎。

科学技術では世界で定評がある日本ですが、米国と比較したら「はるかに劣っている」と表現しても良いでしょう。

全てにおいて「世界の中心」である米国に、山崎が向かったのも必然だったかもしれません。

メリーランド州の
メリーランド大学に留学しました。

ロボット工学、人工知能の研究では
全米屈指です。

「全米屈指」ということは「世界屈指」ということになります。

そして、東京大学大学院修士課程の途中、一年間米国留学を果たした山崎。

帰国後に所定の課程を修了して、大学院を修了し、NASDA(現JAXA、宇宙開発事業団)に入社しました。

そして、この後、類稀なる努力を続けて、ついに「念願の宇宙飛行士になること」が出来ました。

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夢をつなぐ(山崎直子 角川文庫)

山崎直子の「夢をつなぐ」から、山崎のそれまでの人生・生き様を振り返ってみましょう。

山崎さんって、
本当にすごいですね!

進学一直線の子ども
時代だったんですよね。

ご両親も、すごく
教育熱心だったんでしょう?

多くの方に、こういう風に
言われます。

選ばれた「教育エリート」みたいに
思われるみたいですが・・・

私は、生まれながら天才的頭脳を
持っていたり、恵まれた環境だったわけではないのです。

こう山崎自身が言っています。

上記リンクでは、山崎が「放任主義の親」のもと育った話をご紹介しています。

あるいは、小さな頃から「三つの習い事」で素養を身につけていった山崎。

この点では、「教育にはある程度熱心」だった両親であったと思われます。

ただし、「教育に異常に熱心で、進学一直線」という家庭ではなかったようです。

学生生活も
ごくごく普通でした。

自らの軌跡に関して、こう説明する山崎。

「生まれ持った才能とは何か?」という議論は昔からあり、これには「答えがない」のでしょう。

科学者 アルバート・アインシュタイン(Wikipedia)

幼い頃は「それほど優等生ではなかった」天才物理学者アインシュタイン。

上記リンクで、アインシュタインが小さい頃「のろま」と呼ばれた話をご紹介しています。

アインシュタインは、普通の人の人生と比較しても仕方ないかもしれません。

いずれにしても、

私は、他の人と比べて
特殊な何かを持っていたわけではないです。

と山崎は言っています。

ある程度の成功を収めた後では、特に日本人は、

僕は昔から
結構優秀でした!

と「自らの軌跡」に関して、「自分は比較的特殊でした」と主張する人は少ないです。

大抵の方は、

努力したら、
「たまたま」上手くゆきました・・・

みたいに「運が良かった」と説明する方もいらっしゃいます。

「たまたま」や「運が良かった」は、「努力した結果引き寄せた何か」なのでしょう。

この時、誰から見てもエリートコース一直線の山崎の人生もまた、「努力で引き寄せた」かもしれません。

この点で、山崎の幼き頃からの軌跡は、大いなる参考になるでしょう。

幼き頃から東大へ進学し、JAXAへ進んだ山崎の話は、ここで一区切りとします。

彼女が益々努力して、能力に磨きをかけ、宇宙飛行士となってゆくプロセスは別の機会でご紹介します。

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