前回は「懸命に勉強続ける中高生の山崎直子と「夢の島」の子どもたち~バブルの宴の最中・マネーゲームとリクルート事件・光GENJIの登場・パラダイス銀河と飛鳥涼のコンセプト〜」の話でした。
変化した欧米の日本への複雑な視線:ロックフェラーセンター買収
産業革命以降ずっと「世界の中心」であり続けてきた欧州。
そして、大英帝国の植民地とも言える存在だった、米国が独立しました。
第二次世界大戦前は英国が世界最強であり、膨大な植民地を有していました。
その後、第二次世界大戦を機に米国が世界最強に君臨し続けます。
明治維新の頃には「後進国の一つ」であった日本。
Japanって
知ってる?
ああ、Far East(極東)に
ある国だろ。
Samuraiの
国らしいな・・・
日清・日露の戦いを機に、大日本帝国(日本)が大躍進したのを見ていた欧米。
最近、
Japanが、なんだか頑張っているな・・・
まあ、我々Europe(欧州)に
追いつきたいんだろうよ・・・
まあ、
「無理」だがな・・・
そのうちに、新興国であった日本が急成長しました。
なんだか、
Japanが強国になってきたな・・・
Asiaの国で、
資源もないのに、どうやってここまでなったんだ?
そして、米英と共に「海軍三強国」となり、第二次世界大戦に突入しました。
そして、一時的には「アジアの帝王」となった大日本帝国(日本)。
最盛期には、現在では考えもつかないような「広大な領土・領域を支配下に置く国」となりました。
「急成長しすぎた」日本は、ドイツ・イタリアと三国軍事同盟を結びました。
その後、「世界超最強国」米国から猛烈な反撃を受け、敗戦を迎えました。
この敗戦で、日独共に先進国から大きく脱落しました。
ドイツに至っては、「西ドイツと東ドイツ」に分割されました。
Japanは、
また復活するかもしれないが・・・
まあ、それほど強国には
ならないだろうよ・・・
そんな「高みの見物」だった欧米でした。
ところが、日本が戦後「想定外」の急成長を果たしてしまいます。
ちょ、ちょっと・・・
この勢いは凄すぎないか・・・
まあ、JapanもG7の一員として、
認めてやろうか・・・
日本が不死鳥のように復活するのを見ても、なお「上から目線」だった欧米。
ところが、その「上から目線」が「日本への賞賛」へと変わっていったのです。
そして、1980年代中頃までは、日本を賞賛していた欧米。
Japanは、
素晴らしい!
Japanを
見習え!
「日本を賞賛」とは言っても、元々は「高い立場にいる」と考えている欧米。
ところが、段々と「賞賛」から「苦々しい気持ち」へと変化してゆきます。
なんで、Japanは
あんなにマネーを持っているんだ?
Japanの奴らが、
我がUnited Statesの不動産をたくさん買っている・・・
一体
どうなっているんだ?
Japanは
Money Machine(現金製造機)か?
なにが
どうなっているんだ?
この「苦々しい気持ち」を横目に、勢いに乗りまくっていたのが日本人でした。
そして、バブル最盛期の1989年には三菱地所が、当時のロックフェラーセンターを買収しました。
金余りの日本による「米国の不動産買収」の象徴的出来事になりました。
ついに、Japanese(日本人)が、
我がManhatanのRockefeller Centerを買収したらしい・・・
な、
なんだと!?
あのビルは
我がUnited Statesの象徴・・・・・
おのれ、
Japaneseめが・・・
暴騰する土地価格といつか歩いた道:膨れ上がった慢心と宴の先
19世紀には世界一だった英国(大英帝国)、そして、20世紀には覇権を握った米国。
世界一を自認する米英などの国々から見れば、敗戦国・日本の大躍進は、面白くありません。
そもそも、先のWW2(第二次世界大戦)で
Japanは敗戦国だろう・・・
我がUnited Statesの軍が
Japanを守ってやっているのだ!
Japneaseは、最近少し調子に
乗りすぎだな・・・
勘違いしてもらっては、
困るな・・・
実際、日本は「防衛は米国任せ」にして、科学技術力・経済力増強に邁進していました。
その圧倒的立場が慢心を呼び、
東京の土地の価格の合計が
米国全土の価格を超えたらしい・・・
ということは、
東京の土地を全部売ったら・・・
米国全土
買えるってこと?
そういうこと!
日本が一番よ!
唸るようなバブル景気の中で、日本人が勇躍し、飛躍し、ますます調子に乗ってゆきました。
そして、その中で気持ちがどんどん膨らんでゆき、自信が過信に変化してゆきました。
我が日本が
世界経済の中心だ!
世界中から、ビジネスが
東京にやってくる!
東京のビルの
面積がもっと必要だ!
床(面積)が
全然足りないな!
もっと、もっと
ビルを建てないと!
建設業は
大忙しだ!
そして、過信が増大を続け、やがて大いなる慢心へと膨らんでゆきました。
バブル(景気)と共に。
もはや、米国を
上回ったな!
日本は米国の
上だな!
1990年は敗戦の1945年の「45年前」のことで、「比較的最近のこと」でした。
米国も
もはや敵ではない!
米国すら、
我が日本なら鎧袖一触だな!
「米国なんて鎧袖一触」という言葉。
かつて、どこかで聞いた言葉です。
連戦連勝で、なぜか米海軍を「鎧袖一触」と舐めて大敗北した大日本帝国海軍。(上記リンク)
「いつか歩いた道」を再び歩こうとする日本。
自信は大事であり、特に子どもにとって「自己を肯定すること」は大事です。
ところが、自信が過信へ変じ、次いで慢心へと変化した時、必ず悪い結果が待っています。
東京大学に入学した山崎直子:「光り輝く我が国日本」を体験
ちょうど日本中が躍動している時に、東京大学理科一類へ入学した山崎直子。
物理と数学が
大好き!
将来は
宇宙に関わりたい!
1970年生まれの山崎が東大へ入学した時代は、まさに日本が「最も光を放っていた瞬間の時期」でした。
後の視線から考えると、この頃に「バブル崩壊」を迎えましたが、まだまだパワーがありました。
「1989年にバブル景気絶頂から1990年バブル崩壊へ」ですが、1990年代初頭は余力がありました。
物理の三大基本法則の一つに「慣性の法則」があります。
「動いている物体に急速なブレーキ」がかかっても、物体はなかなか止まりません。
この意味では、「1990年に急ブレーキ」がかかった日本経済ですが、
このブレーキは
一時的だ!
少し、株価も
上がりすぎたからな!
まあ、ちょっと調整は
必要だよな!
こんな視点もあったでしょうし、異常な勢いに多少ブレーキがかかっても前進は続けていました。
結果的には、「一時的ブレーキ」ではなく「急ストップ」ほどのブレーキとなったバブル崩壊。
1990年代中頃までは、世界における日本の地位・立場はかなり強い状況でした。
山崎直子が東大・東大大学院を卒業した頃も、まだまだ日本の力が今より遥かに強かったのでした。
その後、様々な点で、どんどん後退しているようにも感じられる日本という国。
この「輝いた日本」を思春期から、大学生の頃に「体験できた」山崎の世代は幸せなのかもしれません。
上記リンクでは、バブル時代に「世界の半分のシェア」だった日本半導体の凋落をご紹介しています。
何事も体験することが一番であり、ネットの動画や情報は「断片」でしかないでしょう。
その点、高度成長期からバブル経済期の「光り輝く我が国・日本」を体験できた世代。
それらの方々と、「光り輝く我が国・日本」を写真や情報でしか知らない私たち以降の世代。
ここには、大きな差がありそうです。
踊る世間とは一線を画して、
宇宙のことを
一生懸命学ぼう!
一生懸命に勉強を続けていました。
次回は上記リンクです。