前回は「現代日本に直結する現代史〜敗戦から「稀有な復興」へ・明治維新から昭和へ・「国家の骨格」まで欧米から直輸入・復興から躍動のシンボル・東京オリンピック〜」の話でした。
敗戦から官民一体の「日本人全員の全力投球」へ
第二次世界大戦の敗戦によって、一度は国中が壊滅状態になった日本。
米国・英国などの連合国に対して、ドイツ・イタリアなどと組んだ枢軸国の一員として戦った日本。
1942年頃には、日本の歴史上かつてない最大の進出領域を持ちました。
現代日本では「考えられぬほど広大な領土」を事実上支配した日本。
陸海軍ともに、戦争の初めの頃は「イケイケドンドン」だった日本軍は、ミッドウェー海戦で大惨敗しました。
ここが陸海軍ともに「戦争の転機」となり、以後は日本はジリジリと後退します。
世界最強の米軍が本気を出して、太平洋を西へ西へとひたすら突き進んできました。
日本は「絶対に守るべき領土」を意味する「絶対国防圏」を設定しました。
ところが、首都東京はどの都市への大空襲を含む度重なる空襲で敗戦に至りました。
俺がJapanを
根底から変えてみせるぜ!
米国に一時占領されるも、1952年に独立を果たした日本は、国家国民をあげて復興に邁進します。
その姿は、明治維新の時を彷彿とさせるものでした。
そして、官民一体となり「日本人全員が全力投球していた」かのような状況でした。
1961年から1970年までは、平均10%程度の実質経済成長率を記録しました。
最も高い1968年には12.9%もの実質経済成長率を記録します。
そして1970年の大阪万博を迎えます。
1970年大阪万博:夢と未来と溢れんばかりの熱気の中で
大変な人気を博した大阪万博。
写真越しに当時の熱気が感じられるような雰囲気です。
いかにも「昭和的な雰囲気」です。
多少「古めかしい雰囲気」ですが、皆さん生き生きとして、活気が感じられます。
日本という国家と国民が一丸となって、1945年の復興から邁進し、爆走しました。
その到達点の一つが、この大阪万博だったのです。
まるで未来都市のようなパヴィリオンが立ち並び、日本国民に「未来」を見せたのでした。
そして、
「日本初の未来」を
世界へ!
そんな気持ちが現れていました。
まだまだ「メイド・イン・ジャパン」の品質の名声が低かった当時。
日本初の最新の科学技術が、様々なかたちで展示されました。
中には「人間洗濯機」という「カプセルの中で人間が洗濯される」機械まで登場しました。
流石に「人間洗濯機」は「非現実的」として実現はせず、「展示」で終わりました。
それでも、「日本発の一つの試み」を国内外に示したのでした。
“Japan as No.1″とバブル景気:加熱する中学受験界
日本中の日本国民が、
日本もいよいよ
復興してきた!
と実感する大きなきっかけとなった一大祭典・大阪万博。
この年、山崎宇宙飛行士が誕生しました。
日本中が
活気があった80年代!
その後、1973年の石油ショックで一時的にマイナス成長となるも、その後も躍進を続けた日本経済。
80年代には日本は空前の好景気となり、バブル景気へ突入します。
山崎少女が9歳だった1979年には、米国の社会学者エズラ・ボーゲルが驚きの書物を著しました。
“Japan as No.1″つまり、「No.1としての日本」という本です。
この書物は、特に日本では大ベストセラーとなりました。
“Japan as No.1”
だってよ!
日本も
成長したな!
他ならぬ世界最強の米国から出版された書物に、日本の特に経済界が大いに賑わいました。
そして、そのハイテンションのまま1980年代に突入し、一種「異常な好景気」となった日本。
もはや、日本が
米国にも追いつく日が近い!
日本が
世界一なのだ!
こんな声が日本中のみならず、世界で聞こえた1980年代。
山崎少女は十代となり、中学校に入学しました。
日本経済の急速な成長と合わせるように、受験界が俄然勢いづきました。
経済的な成長によって、ゆとりのある家庭が急速に増えました。
最近は、私立中学を
目指す人が増えているみたいだね。
そして、学費の高い私立中学等への進学熱が増えたのでした。
ちょうど僕が中学受験をしたのが1990年のバブル最盛期でした。
子ども心に、なんとなく世界が賑やかなのを実感していました。
やっぱり、
うちの子は私立中学に行かせたいわ!
「お金がありあまる」ような異常な状況だった日本。
その中、独自の校風・カラーを持つ中学〜高校が俄に脚光を浴び始めました。
このバブル経済の初期段階であった1982年頃、公立中学に進んだ山崎少女。
色々なことに
興味がある!
特に
英語が大好き!
一度は敗戦国となり、世界の先進国の座から脱落せざるをえなかった日本。
日本が、再度復活しました。
「異常に熱い熱気」が日本中に蔓延し、海外進出もまた急速に増えました。
その中、山崎少女が「海外の共通言語」である英語に大きな興味を持ったこと。
これは、本人の個性の一つであると同時に、時代の背景も大きかったのでしょう。
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