前回は「米国の同い年の女性との文通開始した山崎直子〜遠い世界を実感・辞書で地道に調べる大事さ・辞書を丸写しした勝海舟・米国と日本の大きすぎる違い・広がる世界〜」の話でした。
現代日本に直結する現代史:敗戦から「稀有な復興」へ
今回は、山崎直子宇宙飛行士が生まれ育った時代を考えてみます。
1970年に生まれた山崎直子宇宙飛行士。
日本が敗戦して25年の時が流れていました。
山崎直子が生まれた頃から現代までの時代は、ちょうど日本の戦後の時代に重なります。
縄文時代では〜で、
弥生時代は〜な時代でした・・・
小学校〜中学校の歴史の授業では、縄文時代や弥生時代を一生懸命勉強します。
そして、その後の飛鳥時代・平安時代・鎌倉時代・・・と一生懸命学んでゆき、
明治維新で国家体制が
全く変わり、明治時代が始まりました・・・
「戦前から戦後」の歴史の話となると、あっという間に終わる傾向があります。
筆者は小学生の時から歴史が大好きですが、
日本は第二次世界大戦で敗戦し、
戦後は高度成長して現代に至ります・・・
小学校で戦前〜戦後を習った記憶が、ほとんどありません。
大体、なんでも最後の方は「時間がなくなってくる」こともあり、戦前〜戦後は、
ちょっと時間がないから、
少し駆け足で進めます・・・
「少し駆け足」で「サラッと終わる」傾向があります。
現代日本および日本の骨格を
理解するには縄文時代は大事!
「縄文時代の理解は大事」という考えもあり、筆者も同感です。
一方で「現代日本と日本人」への影響では、「戦前から戦後」と「縄文時代」では比較になりません。
「戦前から戦後の歴史」方が、縄文時代や弥生時代のより遥かに現代への影響が大きいのです。
そこで、山崎直子の人生を振り返ると同時に、背景の日本の現代史を振り返りましょう。
山崎が生誕した28年前の1942年は、山口多聞司令官がミッドウェーで米軍と死闘を繰り広げました。
日米海戦の中でも、三つほどの大海戦の一つミッドウェー海戦の話を上記リンクでご紹介しています。
その後、日本は原爆投下を受けたのち、米国はじめとする連合国に降伏して敗戦が確定しました。
敗戦後、都市という都市・街という街がほとんど全て焼け野原となった日本。
日本は、復興を目指しました。
明治維新から昭和へ:「国家の骨格」まで欧米から直輸入
明治維新から「欧米に追いつき、追い越せ」とひたすら前進を続けた日本。
ひたむきに前を目指した時、江戸時代以来の日本の文化を否定する動きもありました。
とにかく、欧州から
最新の技術・文化を仕入れるのだ!
ひたすら
欧州に学べ!
「欧州に学べ」という国策のもと、優れた人物たちが多数留学しました。
日本の医学は
ドイツの医学よりはるかに遅れている・・・
日本と欧州のあまりの差に驚愕しながらも、皆歯を食いしばって学びを続けます。
とにかく、欧州の文化を
学ぶのだ!
そして国家国民が一体となって、ひたすら邁進を続けた日本(大日本帝国)。
学問・文化・軍制から「国家の骨格」に至るまで、欧米から「直輸入」しました。
1895年に日清戦争を勝ち抜き、歴史的・文化的に兄貴分でもあった中国を圧倒しました。
さらに、1905年には「明らかに目上の存在」であったロシアに辛勝した日本。
おいおい、Japanが
あのRussiaに勝ったらしいぞ・・・
いやはや、
驚きだな・・・
当初は、日本とロシアが戦争して「日本が勝つ」と思った人は、ほとんどいませんでした。
当時の日本とロシアでは「国家としての格が違う」のが実情だったのです。
欧米から「極東の小国」と思われていた日本でした。(上記リンク)
その日本は、躍進につぐ躍進を遂げて「大躍進」を成し遂げました。
続けて、膨張に膨張を続けた日本。
当時、海外に広大な植民地を抱えていた英国・フランスに見習うこと。
それこそが、「大国の証」と考えました。
そして日本もまた、
とにかく、
海外進出するのだ!
自国の領土が広ければ、
自国のみでブロック経済圏がつくれる!
「自国の拡張こそ正義」という強烈な理念のもと、アジアの陸と海を支配する存在にまで躍り出ました。
ミッドウェー海戦の頃、最高潮を迎えた大日本帝国。
現在では考えられぬほど広大な「領土と事実上の支配領域」を持ちました。
その後、米軍に押されまくりながらも必死に抵抗を続けた日本(大日本帝国)。
我が大日本帝国が
敗北した・・・
最後は、我が一国で
世界中を敵に回し・・・
本土決戦で
挽回しようと思ったが・・・
そして、ついに1945年の敗戦に至りました。
復興から躍動のシンボル:東京オリンピック
敗戦後の日本は、米軍の統治下に入りました。
俺がJapanを
根底から変えてみせるぜ!
これまでの軍国主義的な
憲法は全面廃止!
教科書の不適切な教育は
全部黒塗り!
そして、一時期は現在日本を統括している日本政府は「米国政府の下」の存在になったのでした。
約7年間の「米国(軍)統治」を経て、1952年に独立を果たしました。
1960年の日米安保条約改正などを経て、米国の弟分的存在と存在として復興を続ける日本。
ついに、一つの大きな国家的イベントを迎えました。
1964年の東京オリンピック開催でした。
つい最近の2021年に「東京オリンピック2020」を開催し、「二度目のオリンピック」を行った日本。
実は、1964年の東京オリンピックが「最初のオリンピック」ではありませんでした。
えっ?
1964年が最初の東京オリンピックでしょ?
それより前に、
日本でオリンピックは開催してないし・・・
開催の予定も
なかったはずだけど・・・
実は、戦争中の1940年に「東京オリンピック」が予定されていたのです。
えっ?
1940年に?
それは
知らなかった・・・
この時は、オリンピック開催に至らなかったのです。
1940年は、対米戦前で日本が第二次世界大戦に参戦する前でした。
当時、中国と大規模な日中戦争を続けている中、国際社会(欧米社会)は、
Japanは、中国の満州に
傀儡政権を樹立したではないか!
Japanは国際連盟も脱退し、
Asiaで暴れ回っているではないか!
JapanでOlympicを
開催する状況にはない!
世界各国が「日本でオリンピックは開催不可」と判断し、中止に至ったのです。
本当は、1940年に
東京オリンピックだったんだね・・・
戦争で
中止になっていたんだね・・・
いわば「24年前やるはずだったオリンピック」であり、復興の象徴であった大イベント。
日本は復興から躍動へと転化し、1960年代は実質経済成長率10%程度をキープしました。
実質経済成長率がマイナスの時もあり、「ほぼ成長していない」現代の日本。
この現代日本から考えると驚異的な成長を遂げていたのが、1960年代の日本でした。
明治維新の頃を思わせるような「猛烈な勢い」で急成長する日本。
世界中が驚愕しました。
おいおい・・・
最近のJapanは、どうかしているな・・・
なぜ、Japanは、
あんなに異常な勢いがあるのだ?
どうやったら、
あの成長を成し遂げられるのだ?
世界中が驚愕の眼差しで日本を見つめる中、日本は躍進を続けました。
そして、山崎宇宙飛行士が誕生した1970年、さらに大イベントを迎えました。
次回は上記リンクです。