前回は「「日本初の株式会社」亀山社中を作った坂本龍馬〜薩長同盟・仇敵西郷と手を結んだ桂小五郎・薩摩の動きを掴んだ新撰組・近藤勇と土方歳三〜」の話でした。
徳川と薩摩:魔術的薩摩
今の世でも「西郷どん」の名前で親しまれ、聖人君子のような存在の西郷隆盛。
「犬を連れてラフな格好で散歩する」上野公園にある西郷隆盛像。
ほのぼのしてしまうような雰囲気で、数ある銅像の中でも一際写真映えする西郷像。
完成した西郷隆盛像を見た、西郷の奥さんは、
うちの人(西郷隆盛)は、
こんな人ではなかった!
と叫んだという逸話があります。
戊辰戦争において、庄内藩などに「寛容な姿勢で応じた伝説的聖人」となっている西郷。
一方で、幕末の薩摩藩を率いた西郷・大久保は、非常に魔術的存在だったとも言えます。
一度は「会津藩と組んで、長州を壊滅させた」薩摩。
会津と一緒に
長州を倒す!
今度は長州と同盟を結びました。
敵は
長州ではなく、会津!
つまり、
我らの敵であった長州は、
今は仲間!
と、一方的に薩摩は急展開したのです。
最強武士軍団会津と新撰組:爆発した「危険者集団」長州
当時、京都において強力な武力を持ち、更に有力な諜報部隊もいた会津藩。
徳川幕府・旗本の有する領土は700万石。
対して、23万石を領する存在の会津藩。
「700万石に対して23万石」は、3%程度の存在です。
3%程度の存在感ながら、名実ともに「徳川幕府の要」となっていた会津。
藩祖・保科正之以来、質実剛健な藩風・カラーがあり、
武士では、東の会津と
西の薩摩!
と、日本で「会津か薩摩」と並び称せられるほど、「日本武士の二大派閥」の一角でした。
さらに、根っからの武士でなく農民出身ながら、剣術の達人であった新撰組を配下に加えた会津。
「会津藩+新撰組」によって、日本最強であった薩摩を超えるかもしれない強力な武士団が誕生しました。
京の治安維持のため、京周辺を回っていた新撰組が情報を掴みます。
どうやら、
薩摩と長州が手を結んだ模様!
なぜ・・・?
長州は、徳川に歯向かい、
孝明天皇が許さぬ朝敵・・・
なぜ、薩摩が朝敵である
長州と手を結ぶ・・・
当時の体制側である徳川幕府を支える存在の会津藩主・松平容保。
全く状況が、理解できません。
今の世から見れば、当時は「徳川幕府の終焉」の時期です。
実際には、当時はバリバリ「徳川幕府=日本政府」だったのです。
今の世の中で、日本政府に反逆する反体制派のような集団がいるとします。
その「反体制派集団と組む」人たち・組織に対しては、普通の人は、
ちょっと、この人たち
危険なのでは・・・
と考えるのが当然です。
その「単なる危険者集団」でしかない長州藩。
どうやら、
徳川幕府を本気で倒すつもりのようです・・・
そのような
こと・・・
そのようなこと、
あり得るはずがない!
松平容保がそのように考える方が「自然であり、当然」だったのが現実でした。
徳川の優れた人物たち:榎本武揚と小栗忠順と川路聖謨と勝海舟
後世の視点から見れば、「屋台骨がガタガタだった」と表現されることが多い徳川幕府。
その視点は「のちの明治政府を作った薩長側の視点」に過ぎないでしょう。
実際には、当時の徳川幕府には非常に優れた人材が多数存在していました。
幕府側でありながら「薩長とも繋がっていた」勝海舟。
その勝ですが、後に江戸城総攻撃を回避する主役となります。
私の目が
黒いうちは・・・
江戸城総攻撃など
絶対にさせぬ!
そして、後に軍艦を率いて函館に乗り込んで、官軍・薩長に反旗を翻した榎本武揚。
私より海軍に詳しい人間は、
日本にはいない!
そして、私は海軍だけでなく、
物理や化学にも詳しいのだ!
小栗忠順、川路聖謨らも非常に優れた頭脳をもつ極めて優秀な官僚であり、政治家でした。
我がUnited Statesと
条約を結んで頂きたい!
耳障りの良い「日米修好通商条約」ですが、実際には日本にとって著しく不利な条約でした。
この条約締結を「ハリスに強行された」と言われる徳川幕府。
そういう側面もありますが、実際には「徳川幕府が無能」というよりも「日本が弱かった」のでした。
条約締結には朝廷の勅許を
得たいが・・・
・・・・・
やむを得なかった・・・
これしかなかったのだ・・・
明治維新の英傑である西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允の誰が当事者であっても、
どうにも
ならんごわす・・・
この状況は
ちょっとな・・・
状況は同様だったでしょう。
会津藩は、とっても
素敵で素晴らしい藩だけど・・・
最近は、戦いが
多くなって、大変そう・・・
会津藩の名家であった山川家。
京都守護職・陸軍総裁・軍事総裁として、幕府の軍事大臣だった松平容保。
日本政府であった徳川幕府の軍事のみならず外交などにおいても非常に強い力を持っていました。
そして、その山川家に生まれた捨松は、平和な世であれば
女性らしく
成長して・・・
結婚して
良い家庭を築くの・・・
令嬢として成長し、日本が進めた欧化主義に伴い、同様に米国留学したでしょう。
そして、「比較的落ち着いた人生を歩むはずだった」のでした。
それが、薩長の策謀によって、人生が大きく変わってゆきます。