高杉晋作不在の長州藩vs勇躍した徳川慶喜〜第一次長州征討〜第一次長州征討・憎き薩賊会奸・西郷隆盛の深謀・仇敵薩摩と長州を結んだ坂本龍馬の登場〜|山川捨松10・人物像・時代

前回は「徳川・朝廷連合の公武合体〜外国人を嫌っていた孝明天皇・長州征討・朝敵である長州毛利討伐戦〜」の話でした。

山川(大山)捨松(Wikipedia)
目次

高杉晋作不在の長州藩vs勇躍した徳川慶喜:第一次長州征討

後の第十五代将軍 一橋慶喜(Wikipedia)
一橋慶喜

諸大名を
大動員だ!

「衰えた」とは言え、日本政府であった徳川幕府。

一橋慶喜

我が徳川が、
日本の支配者なのだ!

当然ながら、諸藩にとっては「超越的存在」であり、まだまだ健在でした。

一橋慶喜

諸大名よ!
私に従え!

公武合体を推進していた徳川幕府と朝廷。

手を取り合って、時代を切り拓こうとしました。

孝明天皇(Wikipedia)
孝明天皇

御所を攻撃した長州は
朝敵だ!

孝明天皇

長州を
すぐに討て!

第十四代将軍 徳川家茂(Wikipedia)
徳川家茂

ははっ!

前代未聞の「御所に攻め込まれる」事態が発生し、長州に対して怒り心頭だった孝明天皇。

それは当然のことでした。

日本において、御所は聖地のような「別格の空間」でした。

「禁門の変」は、明らかに「長州のやり過ぎ」でした。

孝明天皇

御所に
攻め込むとは・・・

孝明天皇

そんな不埒な勢力は、
この世から消してもらいたい!

孝明天皇は、徳川幕府に長州征討の勅命を出しました。

そして、事実上、朝敵となってしまったのが長州でした。

徳川幕府は35藩に動員令を出し、15万人を長州へ向かわせます。

長州藩士 高杉晋作(WIkipedia)

奇兵隊を組織した天才的な若者・高杉晋作がいた長州藩。

高杉晋作

久坂は禁門の変で
自刃してしまったが・・・

高杉晋作

吉田松陰先生の
志を継ぐのだ!

ところが、高杉たちは実権は持っていなかったため、この時は幕府に対抗する術がなかった長州。

第一次長州征討(画 坂本龍馬)(Wikipedia)

防長二州は、大軍の幕軍に囲まれてしまいました。

三方を海に囲まれた長州は、日本中から攻められる立場になってしまいました。

一橋慶喜

長州を
叩け!

1864年の長州征討では、あっさりと長州藩首脳が諦めて、

長州藩

申し訳
ありません・・・

長州は事実上降伏して、ジ・エンドとなりました。

そして、禁門の変に関わった「三家老らの切腹」などの条件を呑み、長州征討は終了しました。

憎き薩賊会奸:西郷隆盛の深謀

薩摩藩士 西郷 隆盛(国立国会図書館)

禁門の変で手を取り合って、協力した薩摩と会津。

西郷隆盛

おいどんは
全てが薩摩藩から始まる!

徳川慶喜同様、「薩摩ファースト」の考えだった西郷隆盛。

とりあえず、徳川幕府・会津と仲良くしてゆきます。

禁門の変で敗れ、第一次長州征討でコテンパンにされた長州は、

高杉晋作

薩賊会奸は、
絶対に許さん!

「薩賊会奸」を合言葉に、捲土重来を期しました。

摩がで、津が物である」意味で、「薩賊会奸」です。

ところが、

西郷隆盛

どうも、徳川幕府のやり方は、
良くない・・・

西郷隆盛

そもそも、世襲で将軍が
トップになるのは、時代遅れでは・・・

西郷隆盛

薩摩中心の政治体制の方が、
良いのでは・・・

このように考えた、西郷が中心の薩摩。

薩摩は、少しずつ徳川幕府と距離を取りました。

仇敵・薩摩と長州を結んだ坂本龍馬の登場

元土佐藩士 坂本 龍馬(Wikipedia)

薩摩はじめ、諸侯がさまざまな思惑で動く中、長州は弱体化してゆきます。

ここで、

一橋慶喜

長州に
止めをさせ!

徳川幕府は躍起になりました。

一橋慶喜

今だ!
しかない!

この中、歴史に飛び込んできた若者がいました。

元土佐藩士、今は脱藩の浪人だった坂本龍馬でした。

軍艦奉行並 勝海舟(Wikipedia)

当時、軍艦奉行並といういわば「海軍大臣代理」の役にあった勝海舟とも親しかった坂本龍馬。

坂本龍馬

薩摩と長州が、
手を組めばいいぜよ!

長州藩士 桂小五郎(木戸孝允)(国立国会図書館)
桂小五郎

さっ、
薩摩!

この頃の長州藩士にとって、薩摩は「悪魔のような存在」でした。

桂小五郎

薩摩と
手を組むだと!

桂小五郎

あいつらは、
憎き薩賊会奸!

桂小五郎

薩摩が、
我が長州藩に何をしたか・・・

桂小五郎

あなたは
知っているだろう!

桂小五郎

その上で、
「薩摩と手を組む」など言えるのか!

薩摩が大嫌いで、中でも「西郷」という名前を聞くだけでも嫌な桂(木戸)。

桂小五郎

薩摩と手を組むくらいなら、
我が長州藩士は独力で戦う!

坂本龍馬

気持ちは
分かるぜよ・・・

坂本龍馬

でも、このままでは、
長州は本当に破滅ぜよ・・・

桂小五郎

・・・・・

桂小五郎

確かに・・・
確かにそうなのだが・・・

理屈では状況を理解できるものの、感情が邪魔をする桂(木戸)でした。

桂小五郎

薩摩め・・・
西郷め・・・

山川捨松

慶喜さんも、あまり波風立てない方が
良いのではないかしら・・・

京都守護職・会津藩主 松平容保(Wikipedia)
松平容保

京の治安を守り、
朝廷をお守りするのだ!

山川捨松が所属していた会津藩という国家。

その国家の元首であった会津藩主・松平容保は京都守護職となり、身を挺して京を守っていました。

松平容保

我ら、会津藩士の
おかげで、京の治安は良くなった!

一時は、「暗殺だらけ」であった百鬼夜行の世界のようであった京都。

松平容保たちの尽力によって、少しずつ治安が回復してゆきました。

松平容保

この調子で、
なんとか幕府の権威を取り戻す!

こう考えていた、松平容保たち徳川幕府の首脳陣たち。

ところが、時代は「そうはさせてくれなかった」のでした。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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