幕末の巨大なうねりの始まり〜長州藩追い落としと七卿落ち・禁門の変・久坂玄瑞と桂小五郎の衝突・京を防衛した会津藩・薩摩と会津の共同作戦〜|山川捨松8・人物像・時代

前回は「誠実な松平容保の「一途な気持ち」と地獄へ通ずる一本道〜首都を守る会津・京都守護職・新撰組設立・農民から幕臣になった近藤勇〜」の話でした。

山川(大山)捨松(Wikipedia)
目次

幕末の巨大なうねりの始まり:長州藩追い落としと七卿落ち

会津藩主 松平容保(Wikipedia)

幕末で尊王攘夷の嵐が吹き荒れている中、長州藩は朝廷とタッグを組んでいました。

当時の日本政府=徳川幕府から見れば、「非常に危険な過激派の巣窟」でしかなかった長州。

長州は
やり過ぎだろう・・・

長州の連中を、
なんとかせねば・・・

七卿落ち(wikipedia)

そして、幕府は長州派公卿・三条実美ら七名を京都から追い出します。

これで、過激派・長州の力を、
封じ込めた!

これに長州藩は、激怒します。

長州藩士 久坂玄瑞(Wikipedia)

なにっ!
ふざけるな!

俺たちは、日本のために
攘夷を進めているのだ!

孝明天皇も、
攘夷急先鋒だ。

といっても、後の「正統派」長州藩は、過激な殺人を実行する人物を支援する姿勢も強かったのでした。

そして、危険極まりない集団だったのです。

将軍後見職 徳川慶喜(Wikipedia)

天皇を利用して、
殺人を続ける輩・・・

そんな連中を
放っておけるか!

この徳川慶喜の視線は「幕府の視線」ですが、長州の「殺人を是とする」風潮。

この風潮は、完全に常軌を逸していました。

禁門の変:久坂玄瑞と桂小五郎の衝突

新教育紀行
長州藩士 桂小五郎(木戸孝允)(国立国会図書館)

元々過激派軍団だった長州。

「自分達が追い出された」という事態に、激怒を通り越してしまいました。

なぜ、俺たち長州藩が
京から追い出されなければならないのだ!

そうだ!
俺たちは天皇のため、朝廷のためにやっているのだ!

殺人者たちを支援し続け、中には「殺人に協力した」人物も多数いた長州藩の方々。

彼らなりに「純粋な思い」があったこともあり、激怒がフツフツと煮えたぎってきました。

そして、ついには沸騰してしまいました。

こうなったら、
京へ攻め込む!

そして、朝廷を説得して、
天皇に味方について頂く!

なんと、当時の首都・京へ侵攻することを真剣に考えます。

ちょ、ちょっと待て!
久坂!

それだけは
やめておけ!

冷静な桂小五郎(後の木戸孝允)は、猛反対します。

そんなことやっても、
絶対成功しない!

負けたら、
長州は終わる・・・

ここは
頼む!

頼むから、久坂!
やめてくれ!

もう、引っ込みは
つかない!

やるしかない
のだ!

行くぞ!
目指すは天皇がおわします御所!

これは
大変なことになった・・・

桂は愕然としますが、もうどうにもならない状況になりました。

京を防衛した会津藩:薩摩と会津の共同作戦

禁門の変(Wikipedia)

御所へ
攻め込め!

本気で、御所に攻め込んだ長州藩。

藩主・松平容保と会津藩士は、会津藩の京の本拠地である屯所への攻撃は警戒していました。

長州の動きを
良く見てこい!

ははっ!
動きを補足します!

長州の連中は、
我が屯所を攻撃するつもりではないのか?

どうやら、長州藩士たちは
御所へ攻め込む模様!

御所へ
攻め込む?

こいつら、
正気か?

間違いありません!
長州はすでに御所に向かっています!

現代でも天皇(陛下)は象徴といえども、日本国民に君臨する尊い存在です。

その天皇がいる御所。

「御所を攻撃する」というのは、「一線を超える」というレベルではありません。

ゆけ、
ゆくのだ!

京へ進軍してきた長州軍の様子を、注意深く観察し、防衛体制を整える会津。

長州は、
本気なのか?

どうやら、
本当に御所を攻めそうです!

どうやら、
長州の連中を片付けなければならないようだな・・・

ここで頼みになる友軍がいました。

薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)

御所の防衛に、
薩摩も加わるごわす・・・

最強軍団の薩摩が一緒なのは、
心強い!

戦国時代から「最強」の名をほしいままにしてきた「超強力軍隊」の薩摩藩士たち。

この薩摩藩士たちが一緒に防衛してくれることは、とにかく心強いことでした。

1864年、御所の禁門(蛤御門)に攻め込んできた長州。

御所を攻めた長州は
すでに朝敵だ!

薩摩藩士 川路利良(Wikipedia)

ここで、のちに初代警視総監となる、若き頃の薩摩藩士川路利良が登場します。

西郷先生、長州撃退には、
木島を狙撃するのが良か!

よし、川路どん!
やってみるがよか!

この時、戦国時代と似たような甲冑や装備で御所へ攻め込んだ長州軍。

1864年の出来事でしたが、250年以上時代がずれたような状況でした。

とにかく、
御所の中へ突入するのだ!

そして、我ら長州藩の「本当の気持ち」を
天皇及び周辺にご理解いただくのだ!

「若手のホープ」であった久坂玄瑞は、猛烈な勢いで御所目指して突き進みました。

会津と薩摩など
俺が蹴散らしてくれるわ!

長州軍の大将は家老級ですが、急先鋒で「典型的武士」であった侍大将格の木島又兵衛。

よし、木島を
狙え!

はっ!
木島を撃て!

後に「薩長軍より、武器が古かった」と言われる幕軍。

この時の長州軍より遥かに近代兵器を持っていました。

ダダ〜ン!

ダダ〜ン!

長州軍は士気が極めて旺盛で、全軍で突撃してきました。

最前線で、薩摩軍を指揮していた西郷は、

うぐっ!

さ、
西郷先生!

大丈夫・・・
問題なか・・・

西郷自身も脚に銃撃を受けるほどの激戦となりました。

おのれ!
長州軍を撃ちまくれ!

独自に外国と交易(密貿易)し藩の技術も極めて高かった薩摩藩。

鉄砲などの武器性能が圧倒的に高く、長州・会津などの諸藩の中で際立っていました。

木島を
撃ち倒したぞ!

西郷先生!
木島を倒しました!

よしっ!
これで長州軍は総崩れだな!

会津と薩摩が中心となり、長州藩を撃退します。

かなり大きな戦で、京の街は戦火で大きく消失しました。

・・・・・

本当に、
本当に無念だ・・・

長州藩若手の希望の星・久坂玄瑞は、

この責任を
取ろう・・・

責任を痛感し、自刃しました。

そして、多大な犠牲を払って敗走した長州軍。

私も
逃げなければ・・・

桂小五郎も危うく命を落とす危険にさらされながら、なんとか京を脱出しました。

京を
防衛した!

孝明天皇の信頼に
応えたぞ!

孝明天皇(Wikipedia)

松平容保よ・・・
そなたのお陰だ・・・

藩主・松平容保ならず、会津藩全体が誇りに思う事態となります。

これは、
嬉しい!

このまま時代が落ち着けば、松平容保率いる会津は「平穏な人生」を送るはずでした。

戦争は出来ればない方がいいけど、
これで平和が訪れるのかな・・・

そして、山川咲子(捨松)もまた、「咲子」と言う名前のまま会津で過ごしたかもしれません。

ところが、「信じ難い事態」が連鎖する時代のうねりに巻き込まれてゆきました。

そして、山川捨松もまた数奇な人生となります。

新教育紀行

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