徳川幕府の立ち位置と権限〜日米修好通商条約締結・孝明天皇の反対・予想外に強硬な姿勢の天皇・幕府と天皇・幕府への大政委任〜|山川捨松5・人物像・時代

前回は「世界列強のアジアへの視線〜アヘン戦争・江戸幕府の危機感・条約締結を強行した井伊直弼大老〜」の話でした。

山川(大山)捨松(Wikipedia)
目次

徳川幕府の立ち位置と権限:日米修好通商条約締結

井伊 直弼(Wikipedia)

日米修好通商条約を強行調印した井伊直弼大老。

実は、

本来は、形式通り「勅許を得る」のが
大事だが・・・

と井伊直弼は考えていたのであり、最初から強行したのではありませんでした。

井伊は切れ物だった外交奉行 岩瀬忠震に交渉を任せました。

新教育紀行
外国奉行 岩瀬忠震(WIkipedia)

出来るだけ、
勅許を得るような段取りとせよ・・・

ははっ!
承知しました・・・

「やむを得ぬ場合」は
「致し方ない」でよろしいでしょうか?

「やむを得ぬ場合」は
仕方なかろう・・・

現代の外務省の次官クラスであったと考えられる岩瀬には「ある程度の権限」が与えられました。

ところが、「やむを得ぬ場合」に関して、詳細を話し合わずに交渉へ向かった岩瀬。

タウンゼンド・ハリス駐日米国公使(Wikipedia)

早く、我が
Unitede States(米国)と新条約結べ!

とにかく、
早くしろ!

これは、
「やむを得ぬ場合」事態だな・・・

承知致しました・・・
条約を締結いたしましょう!

岩瀬は早々に判断を下して、「勅許を得ぬまま、条約締結」となりました。

これを聞いた井伊大老は、

なに!?
もう「条約締結」だと!?

井伊の想定を遥かに上回るスピードで、「こと」は進展してしまいました。

勅許を得ぬままとなって
しまったが・・・

ちょっと後悔した井伊直弼。

まあ、よかろう!
私は日本の全権を握るのだ!

ひと昔前であれば、これは大きな問題ではなかったのです。

それは、江戸幕府が朝廷から「大政を委任されていた」政府だったからです。

江戸幕府は、
日本政府だ!

政府である江戸幕府が、
外国との調印をして何が悪い?

井伊大老の本音でした。

じゃ、誰が、どの組織が責任持って、
外国との調印をするんだ?

現代日本で、日本政府が諸外国と調印する権限は、日本政府・外務省に委ねられています。

例えば、日本政府・外務大臣が、米国と新たな協定に調印した時、

勝手に
調印すんなよ!

と主張する方は、基本的に存在しないでしょう。

この意味では、江戸幕府・井伊大老の言い分は「正しかった」のです。

幕府と天皇:幕府への大政委任

孝明天皇(Wikipedia)

ところが、時代は大きく変わっていました。

強気の井伊大老でしたが、あまりに次々と外国との関係が出てきた時代。

国内の政治だけであれば良かったのですが、対外関係において、日本中で議論が沸騰します。

江戸幕府は
弱腰だ!

天皇の許可なく、
調印するとはけしからん!

中でも「夷人(外国人)嫌い」の孝明天皇。

夷人(外国人)を、
我が新州・日本へ入れるな!

調印など、
もってのほか!

そもそも、日本の天皇は「日本の中心的存在」であり「絶対的存在」です。

そして、鎌倉幕府以降、混乱期はあるものの「政治は武家が代理して実施する」ことになっていました。

そのため、「天皇には建前的な許認可権がある」のみで、「実質的権限はない」のでした。

この「建前的な許認可権」というのは、いかにも日本的な発想であり、欧米ではない考え方でした。

当時、外国との関係構築に悩んでいた幕府は、様々な意見を諸大名から募ります。

メリケン(米国)と
同盟結ぶべきだ!

メリケン(米国)と
同盟などもってのほか!

国内は、米国との同盟締結の是非で、大混乱になります。

もはや、この混乱した事態を収集することができない徳川幕府。

どうにも
ならない・・・

こうなったら、本来不要なのだが、
天皇の許可を建前的に得よう・・・

そして、「天皇の勅許」を盾に、
条約締結の反対派を封じる!

という策に出ました。

孝明天皇の反対:予想外に強硬な姿勢の天皇

新教育紀行
老中首座 堀田 正睦(歴史道vol.6 朝日新聞出版)

この「天皇の勅許を形式的に得る」発想は、なかなか上手い考え方でした。

徳川幕府がメリケンと
条約結びます・・・

つきましては、
勅許を頂きたく思います・・・

これで、天皇が勅許を下していれば、幕末の動乱はだいぶ変わったものになっていたでしょう。

ところが、徳川幕府首脳の思惑とは裏腹に、

調印しては
ダメだ!

夷狄と条約など
もってのほか!

想定外なことに、孝明天皇に強硬に反対されます。

はっ?
なんで・・・

まずいことに
なった・・・

絶対に
ダメだ!

「勅許を盾に、反対派を制圧」という作戦が、大きく挫折したこと。

これが「幕末」の大きな転機となりました。

天皇が
反対しているだと?

なら、
朝廷が諸外国と折衝するのか?

それは、
出来ないだろう。

その結果、「調印強行」した井伊大老でした。

将軍は具体的な政治には、
それほど関与しない・・・

実質的には、
私が総理大臣なのだ!

総理大臣が、諸外国との条約を決断して、
何が悪い?

もはや、「徳川幕府の屋台骨」は、グラグラと揺らいでいました。

揺らいでいたのもの、まだまだ「幕末」ではなく「徳川幕府の時代が続く」と考えられていた時代。

山川捨松(咲子)が生まれる少し頃、日本は非常な変革期にあったのです。

この国は、
大丈夫なのかしら・・・

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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