アジアで暴れ回った欧米列強〜アヘン戦争の強烈すぎる衝撃波・徳川幕府の危機感・条約締結を強行した井伊直弼大老〜|山川捨松4・人物像・時代

前回は「時代のうねりに巻き込まれた山川捨松〜世界列強の日本への視線・豊臣家と徳川家の相剋・平和が続いた江戸時代・家康と三浦按針〜」の話でした。

山川(大山)捨松(Wikipedia)
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アジアで暴れ回った欧米列強:アヘン戦争の強烈すぎる衝撃波

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左上からパークス英国公使、ペリー米提督、ハリス駐日米大使、ロッシュ駐日フランス帝国公使(Wikipedia)

当時、諸外国と接触を本格的に開始した日本。

我がUSと
条約結びましょう!

断るなら、
Edoを砲撃します!

そして、当時は日本政府であった江戸幕府。

我がUSと
条約結ぶと、Japanにもメリットあるぞ!

早く同盟を
締結しろ!

米国・ロシア・英国などの列強は、強力な軍事力を背景に、日本を揺さぶります。

幕末には、日本人が非常な危機感を感じる事件・戦争が、隣国の中国で起きました。

アヘン戦争(Wikipedia)

アヘン戦争です。

この後、アロー戦争(第二次アヘン戦争)が続きます。

アヘン戦争は、当時世界最強だった大英帝国(英国)が中国に「吹っ掛けた戦争」でした。

当時、大英帝国だった英国は帝国主義の最先端にいました。

そして、英国は麻薬であったアヘンを中国に大量に密輸し、販売します。

欽差大臣 林則徐(Wikipedia)

それに対して中国政府(林則徐大臣)が、「アヘン廃棄」の強硬手段に出ます。

アヘンを
全て廃棄せよ!

おい!
勝手なことするな!

こうなったら、
戦争だ!

そこで、英国は中国に戦争を仕掛け、当時欧米よりも弱小だった中国は、完敗します。

そして、一部の領土を割譲せざるをえない状況に陥ります。

1840年のことで、現代から見ると「幕末」の時代に差し掛かっていました。

日本の歴史上、「兄的存在だった」中国(清国)が叩き潰された事実。

この事実は、日本に強烈すぎる衝撃波をもたらしました。

徳川幕府の危機感

江戸幕府第十二代将軍:徳川家慶(Wikipedia)

アヘン戦争勃発の1840年は、第十二大将軍 徳川家慶の時代でした。

まだまだ、「徳川家が国家元首」の時代が続きそうな雰囲気でした。

あまりのことに、驚愕した日本。

日本と中国の関係は、日中戦争のこともあり、なかなか難しい面があります。

ところが、基本的に「中国大陸から文明・文化を輸入し、独自文化を育てた」日本。

当時、中国は日本にとって「兄貴分」的存在でした。

その「兄貴」が、瞬く間に叩き潰されてしまった事態に、日本中が震撼します。

エゲレス(大英帝国)は
危険な国だ・・・

米国は
大丈夫なのか?

エゲレス(大英帝国)よりは
安心できそうだぞ・・・

だが、彼らの強行姿勢には
逆らえんな・・・

次は
日本がやられてしまう・・・

やられて
たまるか!

なんとかエゲレス(英国)や
メリケン(米国)と仲良く出来ないか・・・

そんなこと言ったって、相手は「弱い日本」の
足元を見てくるだろう。

いやっ!
戦うべきだ!

戦ったところで、
負けるだろう・・・

日本中で、「対欧米をどうすべきか」という議論が沸騰します。

条約締結を強行した井伊直弼大老

徳川幕府大老 井伊直弼(Wikipedia)

この中、江戸幕府の大老に井伊直弼が就任しました。

通常は、「老中が総理大臣に準じる格」となり国家を運営していた徳川幕府。

総理大臣は徳川将軍でしたが、実際の政治は老中たち周囲が執り行うことが多かったのが実態でした。

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側用人 田沼意次(WIkipedia)

「賄賂政治」で有名な側用人 田沼意次。

幕閣に金品が飛び交う異常な状況となり、「賄賂を出したものが優遇される」事態でした。

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江戸幕府第十一代将軍:徳川家斉(Wikipedia)

田沼の賄賂政治は
けしからん!

田沼は
クビ!

そして、第十一代将軍 徳川家斉は若き「徳川吉宗の孫」であった松平定信を抜擢しました。

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老中 松平定信(Wikipedia)

定信、
老中となって政治を行え!

私に
お任せを!

このように「将軍主導の人事」は行われましたが、「政治の決定」は老中たちに任せていたのです。

その中、「通常は不在の非常職」である大老に就任した「徳川家臣の筆頭」である家柄の井伊直弼。

俺が、徳川幕府を
まとめて見せよう!

本来は、形式通り「勅許を得る」のが
大事だが・・・

勅許を得ずに、日米修好通商条約調印という強硬手段に出ます。

やむを
得ないだろう・・・

この調印の過程では、井伊大老だけではなく、様々な人が動きました。

調印を引き伸ばしている間に、
他国が日本を攻めてきたらどうするんだ!

米国と仲良くするのは、
一つの戦略だ!

強引な面が目立ち、「悪者」とされることが多い井伊直弼。

政治家としては一流以上の人物であり、井伊なりに「考えに考えた上での結論」だったのでした。

我が国が欧米の
植民地にされないよう、万全尽くすのだ!

井伊大老には、彼なりの考えがあって「1858年に調印に踏み切った」のでした。

そして、ここから日本中で血塗られた歴史が始まります。

山川捨松が生誕する2年前でした。

欧米の中国に対する仕打ちは、
ちょっと怖い・・・

長らく平和が続いた日本の江戸時代が終わろうとしていました。

山川捨松が誕生した8年後には、日本は一気に変革の時代を迎え、江戸時代から明治時代となります。

次回は上記リンクです。

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