前回は「山口多聞の密かな決意〜大炎上する飛龍と総員退去・最後の攻撃目指す飛龍攻撃隊・強大な米軍の反撃・再起図る山本五十六長官・米空母との夜戦へ〜」の話でした。
反撃目論む連合艦隊司令部:山本長官と南雲長官の思惑
空母赤城から退去し、他の艦船に移乗し将旗を翻した南雲長官。
まだ、
まだだ!
これから
米軍を叩くのだ!
虎の子の四空母を、
やられたままで黙って帰れるか!
周辺の艦船を集め、
米軍に反撃する!
前線の空母機動部隊の遥か後方にいた戦艦大和に座乗する山本長官。
まだ、負けは
確定していない!
あたりが暗くなる中、夜戦での反撃を試みます。
ウェーク島周辺の部隊を、
こちらに急行させよ!
アリューシャンへ向かわせている
空母たちにも合流を命じる!
ミッドウェー方面へ
急げ!
全軍を結集して、
米海軍に挑む!
とにかく
米海軍を叩くのだ!
戦艦大和以下の多数の戦艦・巡洋艦・駆逐艦を擁する主力部隊は、まだ健在です。
それら主力部隊を率いて、米軍との再度の決戦を試みます。
呆然とする山口多聞:飛龍の閉ざされた未来
必死に将兵一丸となって、飛龍の消火にあたります。
周囲の駆逐艦からの放水もあり、艦内の消火はある程度できました。
しかし、艦底が燃え続けています。
総員退去し、飛龍を内地(日本本土)へ曳航して、修理することを最後の最後まで検討する連合艦隊。
な、
なんとか・・・
なんとか、飛龍を内地へ
連れてゆけないか・・・
飛龍の内地への
曳航は困難です!
あの飛龍が・・・
ありし頃の、飛龍の勇姿を思い浮かべます。
海軍航空本部長として、海軍航空隊の育成に日本で最も熱心に取り組んだ山本長官。
すでに沈没した空母赤城の艦長もつとめた経験があります。
日本海軍・連合艦隊で「空母・航空隊」を誰よりも愛していた山本長官。
なんとか・・・
なんとか
ならぬのか!
飛龍を内地へ曳航するのは、
大変危険で、不可能です!
・・・・・・・・
「概ね消火した」とは言え、一部は燃え続けている艦船。
その艦船を非常に強いロープで曳いて行く事は、「爆弾を引っ張っている」のと同じで、危険です。
途中で大爆発したら、「曳航していた船も一緒に沈んでしまう」可能性があります。
その場合、曳航している艦船および多数の将兵が戦死してしまいます。
ここで、山本長官は諦めます。
そうか・・・・・
出来れば、
飛龍を助けたいが・・・
内地(日本本土)へ
曳航できないとなると・・・
・・・・・
目をつむり、諦観する山本長官。
敵に捕獲される
可能性がある。
それは絶対に
避けなければならん!
それでは・・・
・・・・・・・・
やむを得ん・・・
そして、口を真一文字にして決断します。
飛龍を・・・・・
飛龍を、
自沈処分せよ・・・
飛龍の味方駆逐艦の雷撃での処分を決めました。
天皇陛下には、
私からお詫び申し上げる。
当時は天皇(陛下)から、将兵や戦艦・空母などの艦船を「お預かりして戦う」意識だったのです。
残念だ・・・
味方の攻撃で、味方の艦船を撃沈しなければならないという、非常に苦痛を伴う判断です。
山本長官の苦渋の決断でした。
・・・・・
当時、味方の艦船が大破以上の損害を受け曳航不能の時は、自ら処分するのが多かったのです。
それは、日本以外の国でも同様でした。
飛龍を
自沈処分だと・・・
・・・・・
クワっと目を見開き、天を仰ぐ山口司令官。
あたりは暗くなり、米軍の飛行機の攻撃は止んでいます。
夜間の航空隊の攻撃は視界が見えず非常に危険なため、当時は全ての国で航空機は夜間攻撃をしませんでした。
我が日本は、
空母四隻を喪失・・・
そして、
飛龍の奮戦で・・・
米空母は二隻に
致命傷与えた(実際は一隻)・・・
・・・・・
「飛龍と運命を共に」の加来飛龍艦長の訓示:交錯する提督たちの思い
一矢・・・
一矢報いたか・・・
あとは、このまま
敵空母が沈んでくれるか・・・
味方潜水艦が
敵空母撃沈してくれるのを祈るのみ!
敵空母二隻(実際は一隻)に致命傷を与えたものの、
しかし・・・
飛龍は・・・
飛龍は曳航できない為、
処分か・・・
目を瞑り、空を仰ぐ山口司令官。
・・・・・
皆、良くやって
くれましたが・・・
これまで、
ですな・・・
うむ・・・・・
自分の子のような年齢の数多くの将兵を、死なせてしまいました。
昨日の今頃は、一緒に飛龍にいた若き仲間たちが、大勢この世から消えてしまいました。
そして、長きに渡り共に戦った飛龍。
飛龍もまた山口司令官・加来艦長にとっては「我が子のような存在」です。
飛龍が・・・
飛龍は、
もう終わりなのか・・・
山口司令官・加来艦長にとっては、
数々の我が子のような部下たちを
死なせた・・・
そして、
わが飛龍までもが・・・
なんたる・・・
なんたること・・・・・
非常に辛い思いです。
苦痛を超え、呆然とする山口司令官。
・・・・・
艦長は「責任をとって」沈みゆく艦船と運命を共にします。
当時の日本・英国などの艦長は、ほぼ全員が「艦と運命を共にする」風習がありました。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 役職 |
32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |
36 | 南雲 忠一 | 第一航空艦隊司令長官 |
40 | 山口 多聞 | 第二航空戦隊司令官 |
41 | 草鹿 龍之介 | 第一航空艦隊参謀長 |
42 | 加来 止男 | 飛龍艦長 |
52 | 源田 実 | 第一航空参謀 |
52 | 淵田 美津雄 | 第一航空艦隊飛行長 |
59 | 友永 丈一 | 第二航空戦隊飛行長 |
62 | 小林 道雄 | 飛龍飛行中隊長 |
飛龍と共に沈む決意の加来艦長の訓示。
諸子(将兵)は本当に
よくやってくれた!
残念な結果に
なったが・・・
責任は
艦長の私が取る!
加来艦長!
一緒に
退去して下さい!
私は飛龍と
運命を共にする!
加来艦長・・・
私はずっと心に
決めていたのだ。
飛龍に
「万一のことあらば」と。
・・・・・
日頃からの加来艦長の思いを、よく知る周囲の幕僚・将兵たち。
加来艦長は、
ずっと決断していたのだろう・・・
「万一の時は
飛龍と共に」と・・・
そして、山口司令官の訓示となります。
飛龍の自沈処分が決まった今、山口司令官は胸に決めていることがありました。
次回は上記リンクです。