日米の違いと曖昧な日本軍の組織〜海外におけるYamamotoの雷名・海軍兵学校の先輩と後輩の食い違う意見・柔軟な米海軍人事・少将から大将へ一気に進級したニミッツ〜|山口多聞16・ミッドウェー・能力

前回は「ミッドウェー作戦を強行する山本五十六連合艦隊長官〜「勝てない米国」に勝つ信念・米海軍兵学校と米海軍・長官は純政治家の米国・日本海軍の大きな弱点・軍令承行令という年功序列人事〜」の話でした。

山口多聞 司令官(Wikipedia)
目次

海軍兵学校の先輩と後輩の食い違う意見

新教育紀行
Franklin Roosebelt米大統領(Wikipedia)

海軍次官の経験を持つルーズベルト大統領は、

私は米海軍の
ことは全て把握している!

海軍次官になったとはいえ、ルーズベルト大統領は海軍軍人ではありません。

Frank Knox海軍長官(Wikipedia)

特に軍政側の海軍長官・陸軍長官で、政治家や実業家が多かった米陸海軍。

Henry Stimson 陸軍長官(Wikipedia)

ヘンリー・スティムソン陸軍長官は、ハーバード大学出身の弁護士です。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

軍令部総長・海軍長官・連合艦隊司令長官他、ほぼ全員の幹部が「同じ海軍兵学校卒業生」の日本とは大違いでした。

海軍兵学校生徒館(現 海上自衛隊幹部候補生学校)(Wikipedia)
海軍兵学校卒業期名前役職
28永野 修身軍令部総長
32山本 五十六連合艦隊司令長官
32嶋田 繁太郎海軍大臣
39伊藤 整一軍令部次長
40山口 多聞第二航空戦隊司令官
海軍幹部の海軍兵学校卒業期(1942年5月)

そして、「大日本帝国海軍の顔」であった山本五十六。

世界最強の米国を倒すのは、
山本しかいない・・・

と国内外で嘱望されていたのが山本長官でした。

とにかく、
ミッドウェー攻撃だ!

伊藤整一 軍令部次長(Wikipedia)

なんども同じことを
繰り返しますが・・・

軍令部としては、
認められません!

軍令部次長は「事実上の最高意思決定者」です。

世界の原油生産量 1940年(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

南方資源地帯の
確保が最優先です!

作戦計画に関して、この二人が「折れない」状況が続きます。

伊藤くん!

山本長官、というか山本さん。
作戦は我々にお任せを!

柔軟な米海軍人事:少将から大将へ一気に進級したニミッツ

Chester Nimitz米太平洋艦隊司令長官(Wikipedia)

新たに、米太平洋艦隊司令長官となったニミッツ。

実は、米太平洋艦隊司令長官に就任するには、少し階級が不足でした。

ニミッツは、優秀なのだが、
まだ少し若くて、階級不足なのだが・・・

ならば、二階級特進させれば、
いいじゃない。

米国らしい柔軟な発想で、「二階級特進」します。

少将から一気に
大将だ!

そして、太平洋艦隊司令長官に就任します。

当時の日本海軍では「二階級特進」は、「戦死しない限りなかった」のです。

私が
太平洋の米海軍の最高責任者だ!

「軍令承行令」で、「成績優秀者・先輩が先任」と定められた日本とは、非常に大きな違いでした。

日米の違いと曖昧な日本軍の組織:海外におけるYamamotoの雷名

1934年のロンドン軍縮条約に海軍首席代表として出席する山本五十六(Wikipedia)

人事と作戦は、本来両輪のはずです。

人事で揉めてしまっては、軍の根幹が揺らぎます。

対外的には、「日本海軍の顔:山本五十六」だった山本長官。

日本国内で大変高名だった山本長官。

むしろ海外で、その雷名が非常に知られていました。

Japan(日本)のNavy(海軍)には
Yamamotoがいるな・・・

Yamamotoは大した
人物らしいな・・・

本来、軍政・人事は海軍大臣、軍令は軍令部総長が握っています。

すでに当時は、「軍神」山本長官の勢いに日本海軍全体が押されていました。

なんとしても、
ミッドウェー攻撃だ!

・・・

作戦命令を下す権限は
軍令部にあるのだが・・・

連合艦隊司令長官は、
「命ぜられた作戦」を「実行する」権限なのだが・・・

「作戦を命令する」軍令部の権限にまで、踏み込もうとする山本長官。

連合艦隊司令長官は、
「作戦」を決定するならば・・・

軍令部と連合艦隊の権限が
曖昧になる・・・

優等生で真面目な伊藤次長は、悩みに悩みます。

山本長官も、
ゴリ押しが強すぎる・・・

海軍首脳部がギクシャクして、方向性が全く定まらない状況が続きます。

受験年齢は「16歳から19歳の年齢制限」があった海軍兵学校の卒業生達。

皆が高校生くらいから大学生の年齢に「大学相当の海軍兵学校に入学して切磋琢磨した」仲です。

先輩と後輩意識が根強い中、大事な方針が決定しません。

山本長官も
いい加減に諦めて欲しいのだが・・・

そして、首都(事実上)・東京において、全ての日本軍・日本国民が驚愕する事態が勃発しようとしていました。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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