前回は「ミッドウェー作戦を強行する山本五十六連合艦隊長官〜「勝てない米国」に勝つ信念・米海軍兵学校と米海軍・長官は純政治家の米国・日本海軍の大きな弱点・軍令承行令という年功序列人事〜」の話でした。
海軍兵学校の先輩と後輩の食い違う意見
海軍次官の経験を持つルーズベルト大統領は、
私は米海軍の
ことは全て把握している!
海軍次官になったとはいえ、ルーズベルト大統領は海軍軍人ではありません。
特に軍政側の海軍長官・陸軍長官で、政治家や実業家が多かった米陸海軍。
ヘンリー・スティムソン陸軍長官は、ハーバード大学出身の弁護士です。
軍令部総長・海軍長官・連合艦隊司令長官他、ほぼ全員の幹部が「同じ海軍兵学校卒業生」の日本とは大違いでした。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 役職 |
28 | 永野 修身 | 軍令部総長 |
32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |
32 | 嶋田 繁太郎 | 海軍大臣 |
39 | 伊藤 整一 | 軍令部次長 |
40 | 山口 多聞 | 第二航空戦隊司令官 |
そして、「大日本帝国海軍の顔」であった山本五十六。
世界最強の米国を倒すのは、
山本しかいない・・・
と国内外で嘱望されていたのが山本長官でした。
とにかく、
ミッドウェー攻撃だ!
なんども同じことを
繰り返しますが・・・
軍令部としては、
認められません!
軍令部次長は「事実上の最高意思決定者」です。
南方資源地帯の
確保が最優先です!
作戦計画に関して、この二人が「折れない」状況が続きます。
伊藤くん!
山本長官、というか山本さん。
作戦は我々にお任せを!
柔軟な米海軍人事:少将から大将へ一気に進級したニミッツ
新たに、米太平洋艦隊司令長官となったニミッツ。
実は、米太平洋艦隊司令長官に就任するには、少し階級が不足でした。
ニミッツは、優秀なのだが、
まだ少し若くて、階級不足なのだが・・・
ならば、二階級特進させれば、
いいじゃない。
米国らしい柔軟な発想で、「二階級特進」します。
少将から一気に
大将だ!
そして、太平洋艦隊司令長官に就任します。
当時の日本海軍では「二階級特進」は、「戦死しない限りなかった」のです。
私が
太平洋の米海軍の最高責任者だ!
「軍令承行令」で、「成績優秀者・先輩が先任」と定められた日本とは、非常に大きな違いでした。
日米の違いと曖昧な日本軍の組織:海外におけるYamamotoの雷名
人事と作戦は、本来両輪のはずです。
人事で揉めてしまっては、軍の根幹が揺らぎます。
対外的には、「日本海軍の顔:山本五十六」だった山本長官。
日本国内で大変高名だった山本長官。
むしろ海外で、その雷名が非常に知られていました。
Japan(日本)のNavy(海軍)には
Yamamotoがいるな・・・
Yamamotoは大した
人物らしいな・・・
本来、軍政・人事は海軍大臣、軍令は軍令部総長が握っています。
すでに当時は、「軍神」山本長官の勢いに日本海軍全体が押されていました。
なんとしても、
ミッドウェー攻撃だ!
・・・
作戦命令を下す権限は
軍令部にあるのだが・・・
連合艦隊司令長官は、
「命ぜられた作戦」を「実行する」権限なのだが・・・
「作戦を命令する」軍令部の権限にまで、踏み込もうとする山本長官。
連合艦隊司令長官は、
「作戦」を決定するならば・・・
軍令部と連合艦隊の権限が
曖昧になる・・・
優等生で真面目な伊藤次長は、悩みに悩みます。
山本長官も、
ゴリ押しが強すぎる・・・
海軍首脳部がギクシャクして、方向性が全く定まらない状況が続きます。
受験年齢は「16歳から19歳の年齢制限」があった海軍兵学校の卒業生達。
皆が高校生くらいから大学生の年齢に「大学相当の海軍兵学校に入学して切磋琢磨した」仲です。
先輩と後輩意識が根強い中、大事な方針が決定しません。
山本長官も
いい加減に諦めて欲しいのだが・・・
そして、首都(事実上)・東京において、全ての日本軍・日本国民が驚愕する事態が勃発しようとしていました。
次回は上記リンクです。