日本を甘く見ていたスティムソン長官〜米国の日本への視線・格下の日本・第二次世界大戦の日本と世界・「ヒトラー一派」の日本〜|ヘンリー・スティムソン10・人物像・エピソード

前回は「ハーバード大学出身のスティムソン長官〜ルーズベルト大統領と同窓・「超個性的」な米大統領と「大人しい」日本の総理大臣・超海軍重視のルーズベルト大統領・Weの海軍〜」の話でした。

ヘンリー・スティムソン陸軍長官(Wikipedia)
目次

米国の日本への視線:格下の日本

新教育紀行
金閣寺(新教育紀行)

日本が大好きなスティムソン陸軍長官。

Kyotoをこよなく愛する姿勢は、私たち日本人にとっては、非常に嬉しい存在です。

日本の風土・文化に対して、非常に大きな敬意を持っていたスティムソン長官。

新教育紀行
銀閣寺(新教育紀行)

それでは、日本という国に対する視線はというと、

Japanの街並や
文化には大いなる敬意を持つが・・・

そもそも、Japanは我がUSと
対等の立場ではない。

決して日本を「同格」とは思っていなかったのです。

Kyotoは大好きだが、
それとこれは別だ・・・

Japanは、我がUnited Statesよりも
はるかに小さな国だろう・・・

ペリー提督(Wikipedia)

そもそも、米国のペリーが幕末に日本にやってきた時。

我がUSと
条約結びましょう!

嫌なら、
Edoを砲撃します!

という、「超上から目線」で米国は日本を見ていたのでした。

「対等」と考えている国に対して、

おいっ!
砲撃するぞ!

と恫喝することは、外交儀礼上「絶対ない」ことなのです。

この「超上から目線」はペリー以来続いており、第二次世界大戦の頃も、

Japanの文化や風土は
好きだ・・・

Japanは、巨大な軍事国家に
成長したが・・・

我がUnited Stateと
同格では決してない!

日本を甘く見ていたスティムソン長官

フランクリン・ルーズベルト米大統領(Wikipedia)

それは、ルーズベルト大統領も同じでした。

事前に、真珠湾への奇襲攻撃を察知していたルーズベルト大統領。

真珠湾奇襲攻撃に関しては、別サイト「新歴史紀行」で詳しく書いています。

「米国民を戦場へは
行かせない」という大統領選の公約。

我がUSは、JapanやGermanyに
宣戦布告したくても出来ない・・・

米国民に対して、
嘘をつくことになる・・・

そんなことをしたら、
私の政権基盤は壊れてしまう・・・

そして、米軍情報部の活躍により、日本の真珠湾奇襲攻撃を事前に知ったルーズベルト大統領。

これは、
ちょうど良いな!

Japanに
一発攻撃させよう。

どうせ、大した攻撃など
できまい・・・

ルーズベルト大統領は、完全に日本を舐めていたのです。

「事前に察知」に関しては、米国政府でも一握りの人間しか関知しなかったでしょう。

スティムソン長官は「一握りの人物」に入りうるポストですが、

・・・・・

スティムソン長官が知っていたかどうかは、真相不明です。

新教育紀行
コーデル・ハル国務長官(Wikipedia)

機密保持の観点から、ルーズベルト大統領以外にはハル長官など「一握り」の人物に限られていたでしょう。

日本海軍の真珠湾奇襲攻撃を「事前に知っていたかどうか」は、闇の中とも言えるスティムソン長官。

いずれにしても、日本海軍の真珠湾奇襲攻撃を聞いたスティムソン長官は、

Japanが、我がUS海軍の
真珠湾基地を攻撃?

そんなこと、
出来るのか?

Japanの海軍など、
大したことはないだろう・・・

我がUS海軍に反撃されるのが
オチだろう。

スティムソン長官もまた、日本を甘く見ていて「みくびっていた」のでした。

第二次世界大戦の日本と世界:「ヒトラー一派」の日本

大久保 利通(国立国会図書館)

現在、世界第三位の経済大国日本。

円安の状況が続けば、「世界第四位」へ転落可能性もあります。

私たちの年代では「経済大国・日本」が当然であり、日本の製品の「質の高さ」もまた当然です。

ところが、戦前はそうではなかったのです。

明治維新から急速に近代化を図った日本。

とにかく、
富国強兵だ!

大久保利通ら政府首脳は、強引なまでに近代化をひたすら推進します。

当時、米国は南北戦争を経て、世界に躍り出ようとしていました。

1853年にペリーが大艦隊を率いて江戸にやってきた頃、

Hello!
Japanの皆さん!

日本は艦隊と呼ぶレベルの艦船が非常に少なかったのです。

黒い船からモンモンと黒い煙を出す「軍艦」を初めてみた日本人が大多数でした。

比較的、平穏な時代が続いていた江戸時代だったのでしたが、

あの黒い
大きな船はなんだ?!

軍艦らしいが・・・
船ではなく機械で動くらしい・・・

これは、現代人ならば目の前で「宇宙船を見た」ような衝撃だったでしょう。

この巨大すぎる衝撃から、

泰平の眠りをさます
上喜撰(蒸気船)・・・

たった四盃(隻)で
夜も寝られず・・・

当時、本当にあった「上喜撰」というお茶と「蒸気船」をかけて狂歌が作られたのでした。

ペリー来航の1853年から、88年後が真珠湾奇襲攻撃の1941年でした。

Japanは、
急に力をつけたが・・・

我がUSと、互角に戦う
相手ではない!

米国にとっては、はるかに格下だった日本。

日独伊三国軍事同盟を結んでいた日本は、日本人にとっては「日独伊対等」でしたが、

Hitlerにくっついている
だけのJapan・・・

米国から見たら、日本は「Hitler一味」または「Hitler一派」程度の認識であったのが現実でした。

Japanが本気で我がUSと
戦うつもりならば・・・

我がUS陸軍は
本気でJapanを倒す!

こう憤るスティムソン長官でした。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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