「天皇=大元帥」だった大日本帝国の姿〜現代の憲法と戦前の憲法・戦前の天皇制・東條総理の陸相兼務〜|ヘンリー・スティムソン7・人物像・エピソード

前回は「最終決定権を握っていたスティムソン陸軍長官と大日本帝国陸軍大臣〜追い詰められた近衛文麿総理・非常に弱かった大日本帝国総理大臣の権限・横暴だった大日本帝国陸軍〜」の話でした。

ヘンリー・スティムソン陸軍長官(Wikipedia)
目次

現代の憲法と戦前の憲法:戦前の天皇制

昭和天皇(Wikipedia)

第二次世界大戦で敗北し、米国をはじめとする連合国に降伏した日本。

日本の憲法は、米国によって大きく塗り替えられました。

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大日本帝国憲法発布(Wikipedia)

戦前の1889年に公布・1890年に施行された大日本帝国憲法が「我が日本国の憲法」でした。

そして、現代の憲法は戦後の1946年に公布・1947年に施行された憲法が現行憲法です。

戦前・戦後の憲法

・戦前の憲法:大日本帝国憲法:1889年公布・1890年に施行・黒田清隆内閣

・戦後の憲法:日本国憲法:1946年公布・1947年に施行・吉田茂内閣

受験生の皆さんは、戦前・戦後の憲法に関して、上の年号と内閣は覚えておきましょう。

そして、これらの憲法の「大きな違い」は大まかに頭に入れておいた方が良いでしょう。

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第126代天皇 徳仁(Wikipedia)

日本という国家の姿や名称が変わっても、今も昔も存在する天皇(陛下)。

日本の皇室は、現代まで続いている王室の中で世界史上「最も長く続いている王室」とされています。

世界の最も長い王室ランキング

1位:日本(2700年以上、存在が確実な26代天皇以降で1400年程度)

2位:デンマーク(1000年程度)

3位:英国(960年程度)

第二次世界大戦の昭和期に天皇であった昭和天皇。

私は大日本帝国を
統括する立場だ・・・

戦前の第二次世界大戦までの天皇の立場は、現代とは全く異なる位置にいました。

私は日本国の
象徴です・・・

天皇の下に政府があり、総理は「日本政府の運営者」に過ぎなかったのです。

現代においても、日本国において極めて大きい存在の天皇(陛下)。

現行憲法においては、天皇は「象徴」とされています。

大日本帝国憲法日本国憲法
公布1889年(戦前・明治時代)1946年(戦後・昭和時代)
主権天皇国民
天皇神聖不可侵の元首日本国民統合の象徴
戦争天皇が陸海軍を率いる戦争を放棄
軍隊国民に兵役義務交戦権否定
日本国憲法と大日本帝国憲法の大きな違い

現代では、外国に対する日本の最高意思決定者は明確に内閣総理大臣です。

ところが、当時の大日本帝国憲法によると「天皇が国家元首」であり、現行の日本国憲法とは根本的違いがありました。

そして、大日本帝国を代表するのは、総理大臣ではなく天皇だったのです。

「天皇=大元帥」だった大日本帝国の姿

大本営組織図(歴史人2019年9月号別冊 KKベストセラーズ)

上の図は「大本営」の組織図です。

大本営とは、戦時中に作られた「戦争に対応する組織」です。

大元帥って
書いてあるけど・・・

聞いたこと
ないけど・・・

この「大元帥」こそが、日本軍の根幹でした。

私は
大日本帝国の天皇です・・・

政府の代表者である天皇は、「同時に大元帥でもある」存在でした。

そして、
私は大日本帝国の大元帥です・・・

そして、その大元帥に直属する組織に、大本営=日本陸海軍があったのです。

つまり、政府の上にいる天皇が同時に「大元帥」でした。

大日本帝国の陸海軍を統帥・統括していたのは、総理大臣ではなく大元帥=天皇だったのでした。

日米開戦時の政府主要ポスト(図説 日米開戦への道 平塚敏克著 河出書房新社)

そのため、陸軍大臣と参謀総長は「どちらが立場が上か」に関しては「答えがない」のです。

天皇=大元帥の元に併立する大日本帝国政府と大本営。

立場上は、それらの組織は同格であり、それぞれの組織における「陸軍の代表者」でした。

日米開戦時の陸軍主要ポスト(図説 日米開戦への道 平塚敏克著 河出書房新社)

「日本政府(内閣)の中にいる陸軍大臣」と「大本営の陸軍の中にいる参謀総長」

これらは「別の組織」であり、比較のしようがないのです。

この組織図によると「首相と参謀総長は同格」とも取れます。

そのように考えるとき、「陸軍大臣よりも参謀総長の方が格上」となります。

実際、「天皇に対する謁見の権限」を考えると「陸軍大臣よりも参謀総長の方が格上」でした。

東條総理の陸相兼務

東條 英機 内閣総理大臣(WIkipedia)

ここに、東條総理の陸相兼任の理由があります。

少なくとも、政府内の陸軍は、
ワシが押さえねば!

前陸軍大臣として、「陸軍の大物」だった東條総理。

ところが、どこでも「派閥」があるため「反東條」の一派もいました。

ワシには、
陸軍内に敵が沢山いる・・・

「陸相不在」で近衛内閣倒閣した張本人の東條総理。

近衛文麿 前内閣総理大臣(Wikipedia)

陸軍が陸軍大臣を出さぬから、
内閣が組閣できない・・・

近衛内閣は、
総辞職です・・・

この「近衛内閣総辞職」の導火線に火をつけた張本人であった東條英機。

私が陸相を兼任すれば、
「陸相不在」はない!

これこそが、「東條陸相兼務」の最大の理由でした。

これは米国など欧米諸国では考えられない、日本特有の事情でした。

そして、後には、

陸軍の肝心な情報が
入ってこない・・・

こうなったら、私は陸相に加え、
参謀総長も兼務します!

なんと、陸相だけではなく、参謀総長まで兼務することにした東條首相。

米国では全く考えられない状況にあったのが、当時の大日本帝国でした。

次回は上記リンクです。

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