最終決定権を握っていたスティムソン陸軍長官と大日本帝国陸軍大臣〜追い詰められた近衛文麿総理・非常に弱かった大日本帝国総理大臣の権限・横暴だった大日本帝国陸軍〜|ヘンリー・スティムソン6・人物像・エピソード

前回は「弁護士出身のスティムソン陸軍長官〜「四選」のルーズベルト大統領・ルーズベルト大統領の急死とトルーマン大統領・日米で大きく異なる陸軍大臣の立場〜」の話でした。

ヘンリー・スティムソン陸軍長官(Wikipedia)
目次

最終決定権を握っていたスティムソン陸軍長官と大日本帝国陸軍大臣

東條英機 内閣総理大臣権陸相兼内相(WIkipedia)

日本(大日本帝国)政府の代表者である東條英機首相。

当時の大日本帝国憲法では、現在と異なり天皇の権限が極めて強い状況でした。

そのため、当時は総理大臣といえども「日本政府という機構の代表者」に過ぎなかったのです。

東條英機

俺は日本政府の
代表者!

政府の代表者なので、当然ながら「大臣に対する人事権」は首相が持っていました。

日米開戦時の政府主要ポスト(図説 日米開戦への道 平塚敏克著 河出書房新社)

政府の主要閣僚である外務大臣・大蔵大臣は、東條首相が任命します。

東郷茂徳 外務大臣(Wikipedia)

対米戦開戦時に外務大臣であった東郷茂徳。

大臣の中でも重役であり、戦時中は特に重要な外務大臣。

この外務大臣を誰にするかを考えるのは、総理大臣です。

そして、総理大臣が、

東條英機

外務大臣は
東郷茂徳さんにお任せしたい・・・

東郷茂徳

外交は
お任せください!

外務大臣等を決定しました。

そして、

東條英機

私は、陸軍大臣も兼務
しておこう!

「陸軍の把握」を考えて、異例の陸相、さらに内相(内務大臣)まで兼務した東條総理。

ところが、軍部に対しては東條総理の権限は非常に限定されていたのです。

東條英機

俺は日本政府の
代表者である総理だが、陸軍へ指令を下せない・・・

陸軍の大物であり、「東條派」なる人物も多数いた当時の日本陸軍。

東條英機

まあ、内々には、私の部下の連中に
指令を下すことはできるが・・・

東條英機

陸軍への正式な
命令を下すことは出来んのだ・・・

それでもなお、陸軍に対する東條総理の権限は「大日本帝国政府の代表者」に過ぎなかったのです。

日米開戦時の陸軍主要ポスト(図説 日米開戦への道 平塚敏克著 河出書房新社)

そして、陸軍の将兵は参謀総長をトップとする組織でした。

東條英機

陸軍は事実上、参謀総長が
握っている・・・

日米開戦時の米政府・陸海軍主要ポスト(図説 日米開戦への道 平塚敏克著 河出書房新社)

米国であれば、参謀総長の人事権を陸軍長官が握っているので「陸軍長官が陸軍のボス」です。

スティムソン

米陸軍の最高司令長官は
大統領だが・・・

スティムソン

原則としては、米陸軍に関する
全てのことは私が決定するのだ!

つまり、米国では、スティムソン陸軍長官が「陸軍に関する最終決定権を握っていた」のが明確でした。

スティムソン

私に決裁権があり、
私が否決した事項は、米陸軍では発生しない!

ところが、大日本帝国では、参謀総長と陸軍大臣が「同格」でした。

追い詰められた近衛文麿総理

近衛文麿 前内閣総理大臣(Wikipedia)

実際に、総理大臣の権限の弱さは、東條総理の前任の近衛文麿総理の時に露呈していました。

近衛文麿総理に対して、不満を持っていた東條陸相。

東條英機

近衛総理には、
ついてゆけん!

東條英機

陸軍は、米国の筋が通らない
要求は呑めません!

東條陸相は陸軍を代表して、「米国の理不尽な要求」を蹴り続けました。

近衛文麿

ちょ、
ちょっと待て!

東條英機

いくらなんでも、
米国の要求は理不尽すぎます!

近衛文麿

これでは、
我が内閣が倒れてしまう・・・

日本の公家の中でも、ダントツに有名で強力な血筋を持つ近衛家。

大化の改新の中臣(藤原)鎌足を先祖にもつ「別格」の公家でした。

その「別格」の近衛家において、頭脳明晰で「政界のサラブレッド」と言われた近衛文麿。

それでも、陸軍大臣には「全く強く出られない」のが、当時の大日本帝国の現実でした。

近衛文麿

陸軍の協力が
得られないならば・・・

近衛首相は困ってしまいました。

非常に弱かった大日本帝国総理大臣の権限:横暴だった大日本帝国陸軍

フランクリン・ルーズベルト米大統領(Wikipedia)

米国であれば、

ルーズベルト

私の言うことを聞かないなら、
仕方ないな・・・

ルーズベルト

言うことを聞かない陸軍長官は、
交代してもらおう・・・

ルーズベルト

後任の陸軍長官は、
Steve(仮名)だ!

大統領が「自らの権限で陸軍長官を交代させる」で終わる話です。

ところが、大日本帝国の場合は、そうならなかったのです。

米国であれば「大統領が任命する」陸軍長官(大臣)。

日本では、

近衛文麿

東條陸相の代わりに、
後任の陸相を出して下さい・・・

総理大臣が、陸軍に「お願い」しなければなりませんでした。

ところが、陸軍は、

陸軍

東條大臣の他に、近衛内閣には、
陸相を出しません!

近衛文麿

そこを
何とか!

陸軍

ダメです!
陸軍は東條大臣の他はあり得ません!

近衛文麿

陸相が私の意向に同意しない状況は、
内閣が継続できない・・・

そして、近衛総理は内閣を「投げ出してしまう」ことになりました。

近衛文麿

む、
無念だ・・・

「内閣の構成員の一人である」存在に過ぎないはずの陸軍大臣。

総理大臣といえども、「任命」できず「陸軍が出す人物を容認」するしかありませんでした。

当時、大日本帝国では陸軍の方が海軍よりも人数が遥かに多く、組織としての力も上でした。

新教育紀行
山本五十六 海軍次官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

かつて海軍省にずっといて、海軍No.2である海軍次官も務めた山本五十六。

陸軍と大きく異なり、海軍は「政府と協調する姿勢」を明確にしていました。

山本五十六

陸軍にも
困ったもんだ・・・

山本五十六

彼らは協調性がなく、
横暴すぎる・・・

米国の政府機構とは全く異なっていた大日本帝国の政府機構。

この「政治の権限が弱く、軍の権限が異常に強かった」当時の大日本帝国(日本)。

その理由は、戦前の天皇制にありました。

昭和天皇(Wikipedia)

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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