「京都原爆案」を全力で潰したヘンリー・スティムソン〜愛する京都・ルーズベルトとマッカーサーの険悪な仲・マッカーサーを強く推薦〜|ヘンリー・スティムソン2・人物像・性格

前回は「京都を原爆から守ったヘンリー・スティムソン〜原爆投下地の選定・自身の強い思いをハッキリ表現・信念と能力・米陸軍長官へ・自らの眼力に自信を持つ〜」の話でした。

ヘンリー・スティムソン(Wikipedia)
目次

自らの眼力に大いなる自信:ルーズベルトとマッカーサーの険悪な仲

ダグラス・マッカーサー陸軍元帥(Wikipedia)

後にGHQ最高司令官に就任し、日本占領の最高権力者となったマッカーサー元帥。

マッカーサー

私は若い頃から
優等生だった!

若い頃から極めて優秀で、ウェストポイント陸軍士官学校を首席で卒業しました。

マッカーサー

自慢じゃないが、
俺は、かなり頭が良い!

バリバリの共和党員で若い頃から優秀だったマッカーサー。

第一次世界大戦では米陸軍の前線で戦い続け、数多くの勲章を手に入れました。

米国人P

MacArthur(マッカーサー)は、
カッコいいな!

米国人Q

私もMacArthur
大好きよ!

戦場でも非常に優れた軍人でバリっとしたマッカーサーは、全米の人気者でした。

ところが、エリートを絵に描いたようなマッカーサーは、傲岸不遜なところもありました。

マッカーサー

俺は、超有能な
陸軍の将軍なのだ!

発想が共和党で、民主党的発想のルーズベルト大統領とは、考え方が根本から全く合いません。

まさに「水と油の関係」だったマッカーサーとルーズベルト。

非常に険悪な仲だったのです。

フランクリン・ルーズベルト米大統領(Wikipedia)
ルーズベルト

MacArthur(マッカーサー)が、
軍人として有能なのは分かる・・・

ルーズベルト

だが!だがだ!
私はアイツが大嫌いだ!

マッカーサーが大嫌いなルーズベルトは、マッカーサーを予備役に編入してしまいます。

ルーズベルト

MacArthurは
もう我が米軍にはいらん!

ルーズベルト

我が米軍には、
優秀な軍人がまだまだいるわ!

つまり、クビです。

マッカーサー

・・・・・

数々の勲章を保有するも、あっさりクビになってしまったマッカーサー将軍。

マッカーサー

米軍で活躍できぬなら、
昔から知っているPhilippines(フィリピン)へ・・・

米国に居場所がなくなり、その後、当時米領だったフィリピンへ向かいます。

フィリピン陸軍元帥として、フィリピンの軍事面で非常に尽力します。

マッカーサー

Philippinesは素晴らしい国だ。
私の第二の故郷だ!

マッカーサーと同時期にフィリピン総督として、フィリピンにいたスティムソン陸軍長官。

スティムソン

やはり、MacArthurは
素晴らしく有能だ!

スティムソン

Roosebelt(ルーズベルト)大統領が嫌いであろうと、
関係ない!

スティムソン

MacArthurには
米軍に戻ってきてもらうべきだ!

信念貫く姿勢:マッカーサーを強く推薦

新教育紀行
旭日旗(Wikipedia)

日米交渉の中、日本と戦うことが見えてきた1941年7月頃のこと。

スティムソン

Roosebelt大統領
MacArthurに米軍に戻ってきてもらいます!

スティムソン

陸軍長官として、
彼を極東米陸軍司令官に任命したい。

ルーズベルト

MacArthur以外にも、
有能な将軍は、我が米国に沢山いると思うのだが・・・

ルーズベルト

だから、私はMacArthurは大嫌いだと
ずっと言っているだろう!

スティムソン

やはり、こう言ってきたか。
だが、米軍にはMacArthurが必要なのだ!

スティムソン

私は、MacArthurが適任と思うのです。
私に陸軍を任せたのではないのですか!

スティムソン

陸軍関係者の人事は、
陸軍長官たる私の専権事項ですぞ!

確かに「陸軍の人事」は「陸軍長官の専権」であり、大統領が介入することは可能ですが

ルーズベルト

・・・・・

ここで、ルーズベルト大統領は、色々と考えました。

ルーズベルト

今、共和党重鎮のStimsonの機嫌を損ねるのは、
政権運営上、かなりまずい・・・

ルーズベルト

MacArthurは大嫌いだが、
仕方あるまい・・・

ルーズベルト

分かった・・・
MacArthurで良いだろう・・・

ルーズベルト大統領が、マッカーサーを大嫌いなことを知っているスティムソン陸軍長官。

ルーズベルト大統領の反対を押し切って、自分の信念を貫きます。

「京都原爆案」を全力で潰したヘンリー・スティムソン:愛する京都

新教育紀行
ヤルタ会談:左からチャーチル首相、ルーズベルト大統領、スターリン書記長(Wikipedia)

日本の首相と異なり、「すべての人事権等の権力を持っている」米大統領。

その米大統領に反抗するのは、極めて困難なことです。

ひょっとしたら、自分が即座にクビになるかもしれません。

ルーズベルト

もういいわ!
私の言うこと聞かないなら・・・

ルーズベルト

Henry Stimsonの代わりに
別の人間を陸軍長官に・・・

こうなる可能性が、非常に高いのです。

権限が曖昧な日本と比較して「明確に大統領に巨大な権限がある」米国では尚更です。

それでも、

スティムソン

私は信念を曲げない!
例え、相手が大統領であろうと!

と、信念貫いたスティムソンの姿勢は、稀有なことです。

そして、スティムソン陸軍長官の期待通り、一時は敗退するも米陸軍を牽引したマッカーサー元帥。

マッカーサー

I shall
returm!(私は必ず戻る!)

日本軍と比較すると、かなり陸海軍が顕密に連携した米軍。

ミッドウェー海戦以降は、全然の日本軍の猛烈な抵抗に遭いながらも、米陸軍を牽引し続けました。

スティムソン

私の思った通りだ!
MacArthurを司令官にして良かったのだ!

反対を押し切って、「自らの信念を貫くこと」はなかなか難しいことです。

まずは、自分に強い自信を持っている必要があります。

自らの信念を貫く男は、第二次世界大戦終了間際に日本と大きな関わりを持ちます。

すでに「日本の敗北」は決定的となっていた1945年。

米軍幕僚X

Japanに原爆を
落とすのだ!

当然日本にとって打撃が大きい方がよく、まず首都東京は検討されました。

米軍幕僚X

戦争しているとはいえ、
さすがにEmperorのいる首都Tokyoへの投下は・・・

米軍幕僚X

民主国家として、
一線を超えた行為だ・・・

米軍幕僚X

それは、
「やってはならない」禁じ手だろう・・・

「首都東京への原爆投下は禁じ手」と考えた民主的国家・米国。

そして、軍事工場が多い都市など「大きな打撃を与えうる都市」が検討されました。

米軍幕僚X

まず10都市ほど
ピックアップしたぜ!

米軍幕僚Y

それでは、4都市ほどに
絞ろう・・・

最終的に、小倉・広島・新潟・京都の四都市が候補となります。

原爆投下の最終候補地

・小倉

・広島

・新潟

・京都

「Kyotoが日本の昔の首都」であったことは、米国の知識人は知っていました。

そこで、

米軍幕僚X

Kyoto(京都)に原爆を
落としてやれ!

前線の司令官は「Kyotoへ原爆投下」を決定し、スティムソン陸軍長官に決裁を仰ぎます。

米軍幕僚X

Kyotoに原爆を
落としますが、ご決裁を!

ここで「京都を二度訪れ、こよなく愛していた」スティムソン長官。

スティムソン

何っ!
Kyotoをどういう都市だと思っているのだ!

スティムソン

Kyotoに
原爆などもってのほか!

全力で「京都原爆投下」を否決しました。

当時、米国・英国などの連合国はヤルタ会談で「戦争後の体制」を相談していました。(上記リンク)

この頃、長年大統領を続けたルーズベルト大統領が心労もあり、急死してしまいました。

ルーズベルト

ざ、
残念だ・・・

新教育紀行
ハリー・トルーマン米大統領(Wikipedia)
トルーマン

私が
新たな大統領です!

後を継いだのは副大統領だったトルーマンでした。

米軍幕僚X

どうしても、Stimson長官が
「Kyoto原爆投下」を裁可しない・・・

米軍幕僚Y

なら、Truman(トルーマン)大統領に
直談判しようぜ!

米軍幕僚Y

大統領がOKすれば、
Stimson長官も折れざるを得まい・・・

米軍幕僚X

そうだな、
それが良いな!

米軍幕僚Y

Truman大統領!
Japanの奴らに目にものを言わせましょう!

米軍幕僚Y

ぜひ、Kyotoへ
原爆を!

トルーマン

原爆投下先を
Kyotoか・・・

トルーマン

それも
良いかもな・・・

陸軍長官であったスティムソンを飛び越えて、トルーマン大統領に直接裁可を求めた前線の将校。

スティムソン

俺を飛び越えるとは
いい度胸だ・・・

スティムソン

大統領!
私は断固、絶対に反対です!

ここで、スティムソンは全力で「京都原爆投下」を潰しました。

スティムソン

大統領が「Kyoto原爆」を
許可するならば、私にも考えがある!

元々選挙で選ばれたわけではなく「臨時」でしかないトルーマン大統領。

その政権基盤は脆弱でした。

対して、国務長官を務めた経験もある超ベテランで支持者も多いスティムソン。

トルーマン

Stimsonが
ここまで言うなら仕方ない・・・

トルーマン

Kyotoへの
原爆投下は認めない!

新教育紀行
広島への原爆投下:1945年8月6日(Wikipedia)

結果的に、原爆は広島・長崎に投下されました。

実は、長崎への投下は、当初「小倉の予定だった」のが当日の天候で変更になった結果でした。

広島・長崎に原爆投下された事実は、日本人としては大変悲しいことです。

その中、スティムソン陸軍長官による政治生命を賭けての「Kyoto除外」の決定。

「愛するKyoto」を原爆から守ったのがスティムソンでした。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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