前回は「京都を原爆から守ったヘンリー・スティムソン〜原爆投下地の選定・自身の強い思いをハッキリ表現・信念と能力・米陸軍長官へ・自らの眼力に自信を持つ〜」の話でした。
自らの眼力に大いなる自信を持つ:ルーズベルトとマッカーサーの険悪な仲
後にGHQ最高司令官に就任し、日本占領の最高権力者となったマッカーサー元帥。
若い頃から極めて優秀で、ウェストポイント陸軍士官学校を首席で卒業しました。
自慢じゃないが、
俺は超頭が良い!
バリバリの共和党員で若い頃から優秀だったマッカーサー。
第一次世界大戦では米陸軍の前線で戦い続け、数多くの勲章を手に入れました。
MacArthur(マッカーサー)は、
カッコいいな!
私もMacArthur
大好きよ!
戦場でも非常に優れた軍人でバリっとしたマッカーサーは、全米の人気者でした。
ところが、エリートを絵に描いたようなマッカーサーは、傲岸不遜なところもありました。
俺は、超有能な
陸軍将軍なのだ!
発想が共和党で、民主党的発想のルーズベルト大統領とは、考え方が根本から全く合いません。
まさに「水と油の関係」だったマッカーサーとルーズベルト。
非常に険悪な仲だったのです。
MacArthurが、
軍人として有能なのは分かる・・・
だが!だがだ!
私はアイツが大嫌いだ!
マッカーサーが大嫌いなルーズベルトは、マッカーサーを予備役に編入してしまいます。
MacArthurは
もう我が米軍にはいらん!
我が米軍には、
優秀な軍人がまだまだいるわ!
つまり、クビです。
・・・・・
数々の勲章を保有するも、クビになったマッカーサー将軍。
米国に居場所がなくなり、その後、当時米領だったフィリピンへ向かいます。
フィリピン陸軍元帥として、フィリピンの軍事面で非常に尽力します。
Philippines(フィリピン)は素晴らしい国だ。
私の第二の故郷だ!
マッカーサーと同時期にフィリピン総督として、フィリピンにいたスティムソン陸軍長官。
やはり、MacArthurは
素晴らしく有能だ!
Roosebelt(ルーズベルト)大統領が嫌いであろうと、
関係ない!
MacArthurには
米軍に戻ってきてもらうべきだ!
信念貫く姿勢:マッカーサーを強く推薦
日米交渉の中、日本と戦うことが見えてきた1941年7月頃のこと。
Roosebelt大統領
MacArthurに米軍に戻ってきてもらいます!
陸軍長官として、
彼を極東米陸軍司令官に任命したい。
MacArthur以外にも、
有能な将軍は、我が米国に沢山いると思うのだが・・・
だから、私はMacArthurは大嫌いだと
ずっと言っているだろう!
やはり、こう言ってきたか。
だが、米軍にはMacArthurが必要なのだ!
私は、MacArthurが適任と思うのです。
私に陸軍を任せたのではないのですか!
陸軍関係者の人事は、
陸軍長官たる私の専権事項ですぞ!
分かった。
MacArthurで良いだろう・・・
今、共和党重鎮のStimsonの機嫌を損ねるのは、
政権運営上、かなりまずい・・・
MacArthurは大嫌いだが、
仕方あるまい・・・
ルーズベルト大統領が、マッカーサーを大嫌いなことを知っているスティムソン陸軍長官。
ルーズベルト大統領の反対を押し切って、自分の信念を貫きます。
「京都原爆案」を全力で潰したヘンリー・スティムソン:愛する京都
日本の首相と異なり、「すべての人事権等の権力を持っている」米大統領。
その米大統領に反抗するのは、極めて困難なことです。
ひょっとしたら、自分が即座にクビになるかもしれません。
もういいわ!
私の言うこと聞かないなら・・・
Henry Stimsonの代わりに
別の人間を陸軍長官に・・・
となる可能性が、非常に高いのです。
権限が曖昧な日本と比較して「明確に大統領に巨大な権限がある」米国では尚更です。
それでも、
私は信念を曲げない!
例え、相手が大統領であろうと!
と、信念貫いたスティムソンの姿勢は、稀有なことです。
そして、スティムソン陸軍長官の期待通り、一時は敗退するも米陸軍を牽引したマッカーサー元帥。
I shall
returm!(私は必ず戻る!)
日本軍と比較すると、かなり陸海軍が顕密に連携した米軍。
ミッドウェー海戦以降は、全然の日本軍の猛烈な抵抗に遭いながらも、米陸軍を牽引し続けました。
私の思った通りだ!
MacArthurを司令官にして良かったのだ!
反対を押し切って、「自らの信念を貫くこと」はなかなか難しいことです。
まずは、自分に強い自信を持っている必要があります。
自らの信念を貫く男は、第二次世界大戦終了間際に日本と大きな関わりを持ちます。
すでに「日本の敗北」は決定的となっていた1945年。
Japan(日本)に原爆を
落とすのだ!
当然日本にとって打撃が大きい方がよく、まず首都東京は検討されました。
戦争しているとはいえ、
さすがにEmperor(天皇)のいる首都Tokyoへの投下は・・・
民主国家として、
一線を超えた行為だ・・・
それは、
「やってはならない」禁じ手だろう・・・
となった民主的国家であった米国。
そして、軍事工場が多い都市など「大きな打撃を与えうる都市」が検討されました。
まず10都市ほど
ピックアップしたぜ!
それでは、4都市ほどに
絞ろう・・・
最終的に小倉・広島・新潟・京都の四都市が候補となります。
・小倉
・広島
・新潟
・京都
Kyoto(京都)に原爆を
落としてやれ!
と前線の司令官は決定し、スティムソン陸軍長官に決裁を仰ぎます。
Kyotoに原爆を
落としますが、ご決裁を!
ここで「京都を二度訪れ、こよなく愛していた」スティムソン長官。
何っ!
Kyotoをどういう都市だと思っているのだ!
Kyotoに
原爆などもってのほか!
全力で「京都原爆投下」を否決しました。
当時、米国・英国などの連合国はヤルタ会談で「戦争後の体制」を相談していました。
この頃、長年大統領を続けたルーズベルト大統領が心労もあり、急死してしまいました。
残念だ・・・
私が
新たな大統領です!
後を継いだのは副大統領だったトルーマンでした。
どうしても、Stimson長官が
「Kyoto原爆投下」を裁可しない・・・
Truman(トルーマン)大統領に
直談判しようぜ!
そうだな!
Truman大統領!
Japanの奴らに目にものを言わせましょう!
原爆投下先を
Kyotoか・・・
それも
良いかもな・・・
陸軍長官であったスティムソンを飛び越えて、トルーマン大統領に直接裁可を求めた前線の将校。
俺を飛び越えるとは
いい度胸だ・・・
大統領!
私は断固、絶対に反対です!
ここで、スティムソンは全力で「京都原爆投下」を潰しました。
大統領が「Kyoto原爆」を
許可するならば、私にも考えがある!
元々選挙で選ばれたわけではなく「臨時」でしかないトルーマン大統領。
その政権基盤は脆弱でした。
対して、国務長官を務めた経験もある超ベテランで支持者も多いスティムソン。
Stimsonが
ここまで言うなら仕方ない・・・
Kyotoへの
原爆投下は認めない!
結果的に、原爆は広島・長崎(当初は小倉の予定)に投下されました。
広島・長崎に原爆投下された事実は、日本人としては大変悲しいことです。
その中、スティムソン陸軍長官による政治生命を賭けての「Kyoto除外」の決定。
「愛するKyoto」を原爆から守ったのがスティムソンでした。
次回は上記リンクです。