前回は「センターステージから裏舞台へ引きずり下ろされた西郷〜薩摩藩の底力・「武士だらけ」の薩摩藩・奄美大島の人々と西郷・気持ちが荒れる日々〜」の話でした。
奄美大島からの帰還:大久保たち仲間の支え
当時、日本で「海に向かって開いていた」ただ一つの藩であった薩摩藩。
琉球藩(沖縄)を支配下におさめ、奄美大島など様々な島を治めていました。
その薩摩及び薩摩人にとって、「海はとても近い存在」です。
一体、
おいどんは、どうなってしまうのだ!
ここの人たちは、
けとうじん(毛唐人)で・・・
奄美大島の方々と馴染めなかった西郷ですが、長い間過ごす中で、少しずつ仲良くなってゆきます。
そして、島の女性と結婚して子どもも生まれた西郷。
今、江戸はどうなっている
ごわすか・・・
大久保たちと手紙のやりとりをして「中央情勢を把握」するも、「何もできない」立場の西郷。
イライラが募る中、同志たちが一生懸命活動します。
やっぱり、吉之助どんが
いなければ、なにも始まらなか!
西郷には、大久保たち「精忠組」という同士がいました。
久光様!
やはり、これからの薩摩には吉之助どんが必要ごわす!
うむ・・・
西郷か・・・
奴は
大嫌いなんだが・・・
久光の母「お由羅」が関わった「お由羅騒動」のこともあり、西郷が嫌いな久光。
久光様!
江戸や中央政界に明るい吉之助どんが必要です!
そうは言っても、西郷は「薩摩藩士の下っ端」であるため、
まあ、我が薩摩の
ために役立つなら、西郷を戻してもよかろう・・・
久光にとっては「西郷がどこにいようと、大したことではない」のが現実でした。
「維新の元勲」西郷の存在は、当時「その程度であった」のが現実でした。
因縁の島津久光との対面:性格に大問題があった西郷
久しぶりの
薩摩の土ごわすな・・・
吉之助さぁ!
おかえりごわす!
一蔵どん・・・
一蔵どんが久光様を説得してくれたごわすな・・・
本当に
有難か・・・
なんの!
我ら、小さき頃からいつも一緒ではないか!
1859年2月から1862年2月の三年程のとても長き時間を奄美大島で過ごした西郷。
「小さな頃からいつも一緒」だった西郷と大久保は「義兄弟に近い仲」でした。
この二人が、「後に政治的闘争に至り、最後は本当に戦争に至った」歴史。
後の歴史は、この当時二人は「思いもよらないこと」より「考えもしない異常事態」でした。
吉之助さぁ!
久光様に会って話してくれ!
久光様と、おいどんは
絶対に合わないのだが・・・
久光様・・・
ただいま戻りましたごわす・・・
おう!
西郷か!
・・・・・
・・・・・
しばらく無言となる二人。
そして、
こやつは、斉彬様を
毒殺した憎き一味・・・
「師であり主君であった斉彬を殺したのは久光」と勝手に思い込んでいた西郷。
西郷のような人物は「思い込みが異常に強い」傾向があります。
斉彬様が亡くなったのは、
こいつのせいごわす・・・
本来、藩士にとって藩主(同等)の島津久光は「絶対に従う相手」です。
それにもかかわらず、
おのれ・・・・・
島津久光を睨み続ける西郷。
その西郷の「憎む気持ち」は、島津久光の気持ちにも反射して、
こ、
こやつ・・・・・
島津久光もまた西郷を強く憎むようになってゆきます。
そして、この二人は生涯かけて「すれ違う関係」となります。
西郷!
私は、これから江戸に出てゆく!
我が薩摩が
主導権を握るのだ!
・・・・・
こう主人に言われたら、「普通の性格」の方なら、
お力に
なります!
となるはずですが、西郷は全然違いました。
あなたでは
無理です・・・
あまりに想定外の西郷の返答に、険しい表情をしながらも久光は、しばし沈黙します。
・・・・・
かなりの人物であった久光は、気を取り直して、
ま、とにかく、お前は
江戸で活動して、色々と知り合いがいるだろう・・・
だから、我が薩摩の窓口となり、
江戸・京で私が活動するのを援護するのだ!
よいな!
分かったか!!!
ここまで言われたら、「分かりました!」と従うのが普通ですが、
あなたのような地ゴロ(田舎者)
では無理です・・・
この回答に対して、久光は激怒してしまします。
家臣・部下に表立って、こんな無礼なことを言われて「激怒しない方がおかしい」事態です。
こ、
こやつ・・・・・
それでも、「かなりの人物」であった久光は必死に我慢しながらも、
とにかく、お前は先に出発し、
馬関(ばかん、下関)で私を待て!
これは「命令」であり、家臣である西郷は反論できない立場です。
はっ・・・
分かりもした・・・
島津久光が吸っていた銀製のキセル(タバコ)には、クッキリと歯形が残りました。
それほど「激怒」した久光。
こうして、西郷は「命令」を実行するために、少し先に出発して馬関へ向かいました。
二度目の島流し:瀕死の西郷と歴史の転換点
馬関(下関)に到着した西郷は、馬関で有数の商人であり、「志士御用達の白石正一郎邸」に向かいました。
西郷さん、
お久しぶりです・・・
ここで、長州藩士たちと久しぶりに語り合う西郷は、「京でのただならぬ空気」を感じます。
これは、今日の薩摩藩士たちを
止めなければ、暴発してしまう・・・
徳川の世は弱体化しているが、
今、暴発しても犬死してしまう!
ここは、おいどんが京へゆき、
同志達を鎮めるほかなか!
西郷がこう考えるのも当然でした。
精忠組の中で「大物」であった西郷が京の仲間と語らうことは、一刻を争う事態です。
し、しかし、
吉之助さぁ!
久光様から
ここ馬関で待て、と命を受けていますが・・・
そんなことは
関係ない!
おいどんが、
今すぐ京へ向かうのだ!
い、いや・・・
そうしたら、久光様は激怒してしまう・・・
今度こそ、
吉之助さぁの生命は・・・
おいどんの生命がどうの、なんて
言っている場合ではなか!
こうして、周囲が止めるのを聞かずに、「久光の命令を破って」京へ向かった西郷。
その後数日して、久光一行が馬関に到着しました。
さて、と・・・
西郷はどうしておる?
ひ、久光様・・・
そ、それが・・・
西郷に
何かあったのか?
「不穏な空気」を感じる久光。
久光の瞳がキランと光ります。
じ、実は、吉之助さぁは
京へ向かいました!
な、
なんだと!?
精忠組の仲間達が京で
不穏な動きをしていて、そこを・・・
話を続ける家臣など関係なく、久光は再び激怒しました。
ちょっと待て!
分かった!
要するに西郷は、私の命令を
破ったのだな!!
い、いえ・・・
吉之助さぁは、我が薩摩藩士のために・・・
薩摩藩士のため、など
関係ない!
大事なことは、
私の命令なのだ!
当時の封建社会では、「藩主(同等)の命令は絶対」でした。
はっ、
確かに・・・
もはや、だれも島津久光を止めることはできません。
もう良い!
西郷はいらん!
西郷は
切腹だ!
とにかく、西郷を
捕縛せよ!
は、
ははっ・・・
西郷捕縛令が発せられ、西郷は逮捕されてしましました。
・・・・・
お前という奴は、
島流しから帰ったと思ったら・・・
今度は、私の命令を
無視か!
・・・・・
本来ならば「切腹させたい」気持ちの久光。
ところが、西郷を切腹させては、
一蔵(大久保)や精忠組の連中が
叛逆するかもしれん・・・
まあ、島流しにして、
島で死ぬのを待つか・・・
西郷よ!
お前は沖永良部島へ島流しだ!
「戻ってきた」と思ったら、主命を公然と無視して、再び島流しになった西郷。
のちに「敬天愛人」で知られ、「聖人君子」のような「ほのぼのしたイメージ」の西郷。
実は「性格にかなり問題がある人物」でした。
いかに「久光と合わない」とは言え、これほど「他人を怒らせることが上手な人間」は珍しいでしょう。
性格に大問題があった、傲岸不遜な西郷。
・・・・・
今度は、前回の島流しの奄美大島より、はるかに遠くの沖永良部島に流されます。
その期間は、1862年7月から1864年2月の一年半程度の長き時間でした。
流石に
やりすぎたか・・・
ここで「瀕死の状況」に追い込まれた西郷。
一年半もの長き間、特にやることもなく「ひたすら座敷牢で座っている」ような人生でした。
ここで、「性格にかなり問題がある人物」西郷は大きく変わったのでしょう。
西郷が「二度目の島流し」の間、薩英戦争が勃発して薩摩藩は「存亡の危機」に陥ります。
この「歴史の転換点」にあって、再び「島流しにあって逼塞した」西郷。
やがて、西郷は一気に時代の中心に躍り出てゆきます。
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