前回は「薩摩を超えて日本を考えた西郷〜強力な大奥への斉彬の秘策・島津斉彬の強い日本再建への思い・強き国家元首擁立へ・際立った力量を持った一橋慶喜の存在〜」の話でした。
島津斉彬の秘策と謀略:一橋慶喜擁立と大奥対策
「次期将軍に一橋慶喜を」と画策する島津藩主 島津斉彬。
ところが、水戸御三家・徳川家出身の慶喜は、現在格下の一橋家にいます。
御三家:紀伊・尾張・水戸
御三卿:田安・一橋・清水
この点はなんとか出来るとしても、より問題だったのは慶喜の父親である水戸藩主・徳川斉昭でした。
この「格式」よりも遥かに大問題がありました。
それは、徳川斉昭が大奥の女性陣に異常に嫌われていることでした。
徳川斉昭さんは、
嫌い!
あの斉昭さんって、
とても嫌!
「斉昭大嫌い」の大奥の女性陣にとっては、
斉昭さんの息子さん?
嫌!
どうしても、「斉昭の子は斉昭と一緒」となってしまいます。
当時、江戸城において強力な権力を持っていた大奥。
将軍職の後継者に関して、大奥の意向を無視することは不可能です。
大奥を味方につける
必要がある!
そして、大奥を味方につける
秘策がある。
それは、
どのようにするごわすか。
大奥に我が味方を
入れるのだ!
なるほどごわす。
そこでだ・・・
だれか、我が島津家に近い女性を
将軍家定の奥方にするのだ。
しょ、
将軍の奥方ごわすか。
うむ、
そうだ。
実は、もう目星をつけており、
準備しておる。
我が島津一門の女性を
すでに我が本家の養女とした。
養女ごわすか。
うむ。
これで「島津本家の女性」だ。
養女である島津一門の女性を、将軍に嫁がせて大奥を味方につけるという謀略です。
西郷よ。
これを実現する
連絡役を命ずる。
ははっ。
この活動で「政治には謀略がつきもの」を身をもって知る西郷でした。
冴える西郷隆盛の政治工作と謀略:天璋院篤姫の登場
ここで、天璋院篤姫が登場します。
2008年に大河ドラマで主役となり、大変な人気がありました。
篤姫様を将軍家定様の
奥方に!
西郷は、一橋派の老中筆頭 阿部正弘や越前藩主 松平春嶽らと綿密に連絡を取る役を果たします。
そして、ついに
養女敬子様を
将軍家定様の正室にしたぞ!
島津斉彬の画策が成功し、島津家の養女 敬子は篤姫として、将軍家定に嫁ぎます。
これで、大奥は
味方につけられるな!
大奥は大丈夫
ごわす!
なんと言っても「現将軍の奥方」に島津家の女性を入れたのです。
「養女 敬子」は、父・斉彬の意向を汲んで江戸城へ向かいます。
西郷よ。
敬子が大奥に入るにあたり、全て準備せよ!
調度品(家具)など、我が島津家の
名に恥じぬもの、取り揃えよ!
費用はいくらかかっても
構わん!
ははっ!
こうして、下級藩士に過ぎなかった西郷は、篤姫と共に江戸城にゆきます。
ここが、
江戸城ごわすか・・・
まさか、自分がのちに軍を率いて江戸城に迫るとは、夢にも思わない西郷でした。
この時は1856年です。
1868年の江戸城無血開城まで、12年の歳月があります。
慶喜反対派の巻き返し:天敵・井伊直弼の登場
着実に「次期将軍は一橋慶喜」の路線が進む中、
薩摩が将軍の奥方まで
送り込んできた!
これ以上、薩摩や外様大名に
デカい顔させるか!
77万石で102万石の加賀藩に次ぐ立場の薩摩藩。
そして、鎌倉時代以来の守護であり、朝廷の位階も高く「格式抜群」の薩摩藩。
ところが、江戸城内部の旗本たち、譜代大名にとっては、
薩摩なぞ、
所詮は反徳川の一派なのだ!
「薩摩=反徳川」という考えが強かったのでした。
ここで、慶喜反対派が巻き返しを図ります。
しかも悪いことに、「慶喜推進派」の中心人物であった老中 阿部正弘が急死してしまいます。
残念だ・・・
総理大臣格であり、仲もよく非常に関係が良好だった阿部正弘の死は甚大なダメージでした。
阿部殿・・・
「慶喜推進派」の中心がいなくなり、大打撃となります。
そして、勢いづく反対派は、篤姫の夫となった将軍家定に、
メリケン(米国)などとの
折衝の責任者には、もっと強い人物を!
大老を
設置してはいかが?
確かに、大老が
いた方が良いかものう・・・
誰が
良いかのう・・・
最近、彦根藩主となった井伊直弼殿は、
強い指導者のようです。
家柄もバッチリで、最も大老を輩出している
井伊です。
そうだのう。
じゃ、井伊にするか!
ここで登場するのが、安政の大獄をもたらした新大老 井伊直弼でした。
別サイト「新歴史紀行」(上記リンク)でも、井伊直弼の話をご紹介しています。
私に全て
お任せを!
一橋慶喜派にとって「天敵」となる巨大な人物が江戸城にやってきました。
次回は上記リンクです。