前回は「西郷隆盛と大久保利通の描いた「日本の未来像」〜根本的に異なる両者の思想・知識至上主義へ・日本の科学技術力の大幅増強・欧米の文明と日本の文明・「まずは猿真似」が目標〜〜」の話でした。
西郷隆盛が基礎を固めた若き日々:郷中教育と造士館
百花繚乱のごとく、日本全国に多数のそれぞれカラーと特徴を持った藩校・私塾が誕生した江戸時代。
二才(にせ):元服(14~15歳)から20歳頃
稚児(ちご):6~8歳頃から元服まで(14歳頃)
中でも最も強いカラーを持っていたと考えられる郷中教育で、西郷は育ちました。
6歳頃からずっと生まれ育った下加治屋町の郷中教育で、ずっと学び続けた西郷。
・切磋琢磨しながら文武の修練に励む
・青少年が胸襟を開いて、語り合う
・風俗を正して、礼儀を重んじる
・語り合う過程で、それぞれ熟考し、衆議を尽くす
・自治の教育
習字・読書をしっかり固め、武士として大事な武術鍛錬にも励みました。
教科書は「四書・五経」などで、基本をしっかり学んだのでした。
・習字・読書
・「四書五経」「太閤記」など軍記物を輪読
・武術鍛錬(剣・馬など)
四書・五経は、
しっかり学んだ!
西郷の雰囲気から「郷中教育一筋」と思いきや、8歳頃から藩校の造士館で学び始めています。
造士館にも通って、
ますます勉強するごわす!
そして、演武館では、剣術・馬術などの武術を稽古しました。
当時、それぞれの家庭や郷中の考え方もあったでしょうが、「郷中教育のみ」という方もいたでしょう。
そもそも、郷中教育での教育内容もかなり高いレベルです。
郷中教育と造士館の両方で熱心に学んだ西郷少年は、「勤勉家」と言っても良いほど勉強したのでした。
基礎を固める大事さ:基礎から生まれる応用力
この藩校への登下校は、郷中ごとに「年上の二才(にせ)に連れられてゆく」のが通常でした。
小学校の集団登校と同じで、「子どもたちは一緒に登校」だったのです。
藩校で学ぶことは義務ではなく、それぞれの考え方だったでしょう。
下級藩士で、かなり貧しい家柄だった西郷家でしたが、
しっかり
基礎を学ぼう!
このように「学びへの強い意欲」がありました。
・先生不在:先輩(二才)が後輩(稚児)を指導
・自治教育:青少年たちが熱心に考え、話し合い教育方針決定
・独自カラー:青少年や郷のカラーに合わせた独自方針
「先生不在で青少年たちが自治で決定する」教育であった郷中教育は、素晴らしい要素が沢山あります。
反面、「先輩が大勢先生となりうる」という状況では、「体系的な学び」は難しい面があるでしょう。
ここはさぁ、
こうやって考えるのがいいんだよ!
いやいや、ここは
こう考えた方がいいだろう!
「正しい答え」や「正しい考え方」とは何か、には様々な意見があります。
「学ぶ側」としては、「あれもこれも」と言われると混乱してしまうでしょう。
すると「教科書的書物」があって体系的な学びのが方が望ましい面も多数あります。
西郷が8歳ごろから造士館にも通ったのは、
郷中教育も
良かごわすが・・・
もっとしっかりと
色々と学びたいごわす・・・
という意志があったかもしれませんが、おそらくは西郷家の発想において、
うちは貧しいけど、
長男には藩校に行ってもらいたい・・・
このように「貧しく、金銭的に厳しくても学ばせたい」という強い意向があったのでしょう。
日本歴史上「最大の大人物」の「最有力候補の一人」とも言える西郷隆盛。
その西郷ですら、小さい頃は「しっかり基礎を固めて」人生を生きてきたのでした。
基礎が
大事ごわす!
「基礎無くして何もなし」という方針を、西郷家も持っていたのでしょう。
頭の良さと勉強:西郷と大久保と木戸の比較
明治維新最大の「大人物」と言われる西郷隆盛。
西郷隆盛という人物の強さ・奥深さは、諸説あります。
西郷は「頭が良かったか?」に関しては、さまざまな意見があります。
そもそも「頭の良さとは何か?」という議論もあります。
ここでは、一般的に現代で「頭が良い」とされる「成績が良いこと」を、一つの価値基準とします。
すると、西郷はとても「頭が良い」部類には入らないでしょう。
「ここぞ!」という勘所は、
優れているごわす。
それもまた、これからご紹介する「様々な大挫折」で後天的に得たように感じます。
「試験がすごく得意」という感じではありませんが、算盤等の基本はしっかりしていました。
西郷は優等生とまで行かなくても、「ある程度の成績優秀者」となり得たでしょう。
私は頭の良さには
自信がある!
ある意味、西郷とは対照的な大久保利通。
彼は典型的な「頭が良い」人物で、様々な策謀を巡らせるのが得意でした。
明治維新では「戦場での働き」はほとんどなく、もっぱら「頭脳戦」で薩摩を牽引しました。
現代でも、大久保は「かなりの優等生」で通すでしょう。
私はずっと
優等生で通した!
木戸孝允は、文句なしの「抜群の優等生」でしょう。
このいかにも「優等生です」という顔つき。
彼が現代に生きてきたら、ほとんど全ての科目を優れた成績で通し、立派な優等生になりそうです。
現代的な意味で、抜群の優れた頭脳を持っていた訳ではなかった西郷隆盛。
現代で言う、算数・国語をしっかりと造士館で学んで「人生の基礎」を作ります。
学ぶ内容も大事ですが、「基礎を固める姿勢」が後の西郷の土台になったのでしょう。
次回は上記リンクです。