西郷隆盛が基礎を固めた若き日々〜郷中教育と造士館・基礎を固める大事さ・基礎から生まれる応用力・頭の良さと勉強・西郷と大久保と木戸の比較〜|西郷隆盛9・少年時代・経歴

前回は「西郷隆盛と大久保利通の描いた「日本の未来像」〜根本的に異なる両者の思想・知識至上主義へ・日本の科学技術力の大幅増強・欧米の文明と日本の文明・「まずは猿真似」が目標〜〜」の話でした。

西郷 隆盛(国立国会図書館)
目次

西郷隆盛が基礎を固めた若き日々:郷中教育と造士館

江戸時代の藩校・私塾:図解幕末史(インフォレスト)

百花繚乱のごとく、日本全国に多数のそれぞれカラーと特徴を持った藩校・私塾が誕生した江戸時代。

郷中教育のグループ

二才(にせ):元服(14~15歳)から20歳頃

稚児(ちご):6~8歳頃から元服まで(14歳頃)

中でも最も強いカラーを持っていたと考えられる郷中教育で、西郷は育ちました。

6歳頃からずっと生まれ育った下加治屋町の郷中教育で、ずっと学び続けた西郷。

郷中教育の方針

・切磋琢磨しながら文武の修練に励む

・青少年が胸襟を開いて、語り合う

・風俗を正して、礼儀を重んじる

・語り合う過程で、それぞれ熟考し、衆議を尽くす

・自治の教育

習字・読書をしっかり固め、武士として大事な武術鍛錬にも励みました。

教科書は「四書・五経」などで、基本をしっかり学んだのでした。

郷中教育の学習内容

・習字・読書

・「四書五経」「太閤記」など軍記物を輪読

・武術鍛錬(剣・馬など)

西郷隆盛

四書・五経は、
しっかり学んだ!

西郷の雰囲気から「郷中教育一筋」と思いきや、8歳頃から藩校の造士館で学び始めています。

西郷隆盛

造士館にも通って、
ますます勉強するごわす!

そして、演武館では、剣術・馬術などの武術を稽古しました。

当時、それぞれの家庭や郷中の考え方もあったでしょうが、「郷中教育のみ」という方もいたでしょう。

そもそも、郷中教育での教育内容もかなり高いレベルです。

郷中教育と造士館の両方で熱心に学んだ西郷少年は、「勤勉家」と言っても良いほど勉強したのでした。

基礎を固める大事さ:基礎から生まれる応用力

新教育紀行
仙巌園(新教育紀行)

この藩校への登下校は、郷中ごとに「年上の二才(にせ)に連れられてゆく」のが通常でした。

小学校の集団登校と同じで、「子どもたちは一緒に登校」だったのです。

藩校で学ぶことは義務ではなく、それぞれの考え方だったでしょう。

下級藩士で、かなり貧しい家柄だった西郷家でしたが、

西郷隆盛

しっかり
基礎を学ぼう!

このように「学びへの強い意欲」がありました。

郷中教育の特徴

・先生不在:先輩(二才)が後輩(稚児)を指導

・自治教育:青少年たちが熱心に考え、話し合い教育方針決定

・独自カラー:青少年や郷のカラーに合わせた独自方針

「先生不在で青少年たちが自治で決定する」教育であった郷中教育は、素晴らしい要素が沢山あります。

反面、「先輩が大勢先生となりうる」という状況では、「体系的な学び」は難しい面があるでしょう。

薩摩藩の子弟A

ここはさぁ、
こうやって考えるのがいいんだよ!

薩摩藩の子弟B

いやいや、ここは
こう考えた方がいいだろう!

「正しい答え」や「正しい考え方」とは何か、には様々な意見があります。

「学ぶ側」としては、「あれもこれも」と言われると混乱してしまうでしょう。

すると「教科書的書物」があって体系的な学びのが方が望ましい面も多数あります。

西郷が8歳ごろから造士館にも通ったのは、

西郷隆盛

郷中教育も
良かごわすが・・・

西郷隆盛

もっとしっかりと
色々と学びたいごわす・・・

という意志があったかもしれませんが、おそらくは西郷家の発想において、

西郷家

うちは貧しいけど、
長男には藩校に行ってもらいたい・・・

このように「貧しく、金銭的に厳しくても学ばせたい」という強い意向があったのでしょう。

日本歴史上「最大の大人物」の「最有力候補の一人」とも言える西郷隆盛。

その西郷ですら、小さい頃は「しっかり基礎を固めて」人生を生きてきたのでした。

西郷隆盛

基礎が
大事ごわす!

「基礎無くして何もなし」という方針を、西郷家も持っていたのでしょう。

頭の良さと勉強:西郷と大久保と木戸の比較

新教育紀行
明治維新の立役者たち:左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)

明治維新最大の「大人物」と言われる西郷隆盛。

西郷隆盛という人物の強さ・奥深さは、諸説あります。

西郷は「頭が良かったか?」に関しては、さまざまな意見があります。

そもそも「頭の良さとは何か?」という議論もあります。

ここでは、一般的に現代で「頭が良い」とされる「成績が良いこと」を、一つの価値基準とします。

すると、西郷はとても「頭が良い」部類には入らないでしょう。

西郷隆盛

「ここぞ!」という勘所は、
優れているごわす。

それもまた、これからご紹介する「様々な大挫折」で後天的に得たように感じます。

「試験がすごく得意」という感じではありませんが、算盤等の基本はしっかりしていました。

西郷は優等生とまで行かなくても、「ある程度の成績優秀者」となり得たでしょう。

薩摩藩士 大久保利通(国立国会図書館)
大久保利通

私は頭の良さには
自信がある!

ある意味、西郷とは対照的な大久保利通。

彼は典型的な「頭が良い」人物で、様々な策謀を巡らせるのが得意でした。

明治維新では「戦場での働き」はほとんどなく、もっぱら「頭脳戦」で薩摩を牽引しました。

現代でも、大久保は「かなりの優等生」で通すでしょう。

薩摩藩士 木戸孝允(国立国会図書館)
木戸孝允

私はずっと
優等生で通した!

木戸孝允は、文句なしの「抜群の優等生」でしょう。

このいかにも「優等生です」という顔つき。

彼が現代に生きてきたら、ほとんど全ての科目を優れた成績で通し、立派な優等生になりそうです。

現代的な意味で、抜群の優れた頭脳を持っていた訳ではなかった西郷隆盛。

現代で言う、算数・国語をしっかりと造士館で学んで「人生の基礎」を作ります。

学ぶ内容も大事ですが、「基礎を固める姿勢」が後の西郷の土台になったのでしょう。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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