郷中教育から現代教育へ〜欧米列強への対抗と欧米化・幕末の日本の立ち位置と大転換・郷中教育「義を言うな」の優れた後進たち・大山巌や東郷平八郎〜|西郷隆盛5・人物像・個性・才能

前回は「超個性的教育の郷中教育と西郷や大久保たち〜薩摩独自カラー・教育の個性へ与える影響・薩摩的リーダーと長州的リーダーの違い・郷中教育と現代中学高校教育・私立中学と私塾のカラー〜」の話でした。

西郷 隆盛(国立国会図書館)
目次

郷中教育から現代教育へ

大久保利通(国立国会図書館)

オリジナリティー溢れる郷中教育は江戸時代の薩摩藩ならではの教育でした。

郷中教育のグループ

二才(にせ):元服(14~15歳)から20歳頃

稚児(ちご):6~8歳頃から元服まで(14歳頃)

明治時代以降、現代にも続く教育方針とは大きく異なりました。

郷中教育の方針

・切磋琢磨しながら文武の修練に励む

・青少年が胸襟を開いて、語り合う

・風俗を正して、礼儀を重んじる

・語り合う過程で、それぞれ熟考し、衆議を尽くす

・自治の教育

西郷たちの活躍により、明治維新が成立し、大久保利通らが中央集権・画一化を推進します。

明治維新以降に、

大久保利通

西洋に追いつけ、
追い越せ!

「西洋を目指す」がスローガンとなり、「西洋文明を吸収する」ことに主眼が置かれました。

幕末の日本の立ち位置と大転換:欧米列強への対抗と欧米化

左上からH.Parkes英国公使、Matthew Perry米提督、Townsend Harris駐日米大使、Leon Roches駐日フランス帝国公使(Wikipedia)

現代、G7の一員として一応は「強国」の一つの日本。

幕末・明治維新期の頃の日本は、「強国でもなんでもない」国でした。

大久保利通

日本が
強国になるのだ!

比較的平穏だった江戸時代から、一気に「強国へ向けて」舵切った日本。

それは、日本が「外国を侵略したかった」からではありません。

幕末に欧米列強からの接触・交渉をした日本は、

明治の日本人A

このままでは、
日本も植民地にされてしまう・・・

明治の日本人B

隣の清国も、
事実上、大部分が列強の植民地になったらしい・・・

明治の日本人A

あの巨大国家の
清国が・・・

アジアで暴れ回っていた欧米列強は、アジアで猛烈な勢いを持っていました。

その中、「恐怖感」に似た感情を持っていた明治維新政府大幹部たち。

大久保利通

我が国が
植民地にならぬためには・・・

大久保利通

強国に
なるしかない!

大久保利通

他に
方法があるのか?!

現代、「GDPが2位から3位に転落した」日本。

明治維新期のGDP世界ランキングでは、「10位に入るかどうかのレベル」だったのです。

欧米、特に欧州中心の当時の世界にとっては、当時の日本は大きな存在ではありませんでした。

せいぜい「新興国」の一つに過ぎなかったのです。

欧州人A

Far East(極東)に、
Japanという国があるが・・・・

欧州人B

GDP・市場は、Chinaの方が、
はるかに大きいな・・・

欧州人A

Japanは、
大して重要な国ではないな・・・

日本の世界における「立ち位置」は、当時は大したことはなかったのです。

そして「強国になり、自国で守る」姿勢を明確にした大久保たち明治政府大幹部たち。

郷中教育で育った大久保は、

大久保利通

郷中教育のシステムは
とても良かったが・・・

「郷中教育は良い」と主張する立場だったかも知れませんが、

大久保利通

日本のシステムを
全て近代化するのだ!

大久保利通

「近代化」とは
「欧米化」である!

当時の日本の立ち位置を考えた上で、大久保は大転換を図りました。

郷中教育「義を言うな」の優れた後進たち:大山巌や東郷平八郎

大山巌 満州軍総司令官(日露戦争)(Wikipedia)

「考えて、議論すること」を、非常に重視した薩摩藩。

薩摩藩には有名な言葉がいくつかあり、その一つがを言うな」です。

これは、状況などによって多少意味が変わります。

基本的な意味は「しっかり議論して決定した後は、文句言うな」です。

つまり、「皆が寄り合って、ガンガン議論することは大事」であり「決まったら、それを実行」です。

「散々議論して一度決定したこと」を、さらに議論続けても「議論に終わる」可能性があります。

薩摩藩士A

議論しても
実行しなかったら・・・

薩摩藩士B

それでは、議論する
意味がないだろう・・・

このように「議論した以上、実行することが大事」という理念でした。

この議論した後の「実行力」は、薩摩らしい非常に大きなポイントです。

東郷 平八郎 連合艦隊司令長官(日露戦争)(Wikipedia)

郷中教育で育った人物が、明治維新期以降も飛躍して行きます。

大山巌 満州軍総司令官、東郷平八郎 連合艦隊司令長官、黒木為楨 満州軍司令官たち。

明治日本の立役者と言えるでしょう。

彼らはみな、西郷・大久保と同じ下加治屋町出身です。

黒木 為楨 満州軍司令官(国立国会図書館)

ほんの小さな町から、大勢の偉大な人物が育ちました。

彼らが薩長閥によって「出世しやすい環境」にあったことも事実です。

一方で、優れた人物であったこともまた事実です。

そして、その原動力こそが郷中教育だったのです。

さらに、彼らが西郷隆盛の影響を受けていたこともまた事実でありました。

この「後進たちへの絶大なる影響」は、西郷の偉大さを物語ります。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次