前回は「第二次世界大戦の軍人・威人達から学ぶこと〜第二次世界大戦の歴史に蓋をする歴史教育・現代日本には「いない」軍人から学ぶこと〜」の話でした。
圧倒的個性を持っていた西郷:才能とは何か
今回は、西郷隆盛を考えてみましょう。
「非常に優れた才能を持つ」人物である西郷隆盛。
幕末維新期において、極めて大きな活躍した西郷。
まさに「獅子奮迅の活躍」とも表現できるその活動は「西郷しかできない」ことでした。
優れた人物が「キラ星のごとく」登場した幕末維新。
非常に大きな才能を持った人物には「維新の三傑」の他の二人である大久保利通、木戸孝允がいます。
二人とも個性・才能共に際立った存在です。
一方で、個性・才能共に西郷と比較すると霞んでしまう存在です。
まさに「西郷のみ」とも言える「類まれなる」個性と才能でしょう。
「才能とは何か」というのは難しい話ですが、西郷は「圧倒的個性」を持っていました。
そもそも「維新の三傑」と言っても、西郷の存在は際立った存在で「他と同格」ではありません。
年齢的には、西郷が大久保より3歳上、木戸より6歳上です。
学生時代は、1歳の違いでも先輩です。
そして、社会に出ても1,2歳の差はともかく「3歳以上の年齢差は大きい」のが実情です。
どう考えても「先輩」として「ある程度敬う」存在となります。
上の幕末志士・幕臣たちの中で、勝海舟を除くと西郷隆盛は「最も先輩」にあたります。
西郷のその類まれなる個性・才能、それは「持って生まれた天賦の才」とも言えます。
さらに、「育ちの環境」と「教育」そして「人生経験」が「西郷を西郷たらしめた」のでしょう。
西郷隆盛の個性と精神育んだ郷中教育:寺子屋との大きな違い
若かりし頃の西郷を育てた環境を考える時、薩摩独特の「郷中教育」は極めて大事です。
江戸期から幕末にかけて、各藩には藩校・寺子屋などが教育機関となっていました。
西郷を生み出した薩摩にも「造士館」という藩校がありました。
苛烈な風土で知られた薩摩では、一種独特の教育制度を持っていたのです。
当時、薩摩は「郷」という行政単位があり、一種の村のような組織から成り立っていました。
その郷の中で行われていたのが、薩摩藩独特の藩士育成教育法:郷中(ごじゅう)教育です。
各郷には「咄相中(はなしあいじゅう)」と呼ばれる青少年の団体がありました。
そして、咄相中は郷中教育の中核となりました。
二才(にせ):元服(14~15歳)から20歳頃
稚児(ちご):6~8歳頃から元服まで(14歳頃)
青少年たちは、年齢に応じて上の二才(にせ)と稚児(ちご)に分かれました。
これら二才・稚児が加わった異年齢集団が、お互い切磋琢磨したのが郷中教育です。
今なら、小学校一年生から20歳頃という大学一・二年生まで十数年間「同一組織」に所属したのです。
この「教育」は最も薩摩らしい強烈な教育でした。
物心ついた小学校一・二年生が、大学一・二年生と「一緒に学んだ」のです。
もちろん、上の二つのグループがあった以上、「二才は二才で集まった」でしょう。
対して、「稚児は稚児で集まった」でしょう。
時代が異なっても、10歳の子どもにとって「16歳の青年」は「とても大きな存在」です。
「同じ郷中」だからと言って、毎日「二才と稚児が接した」かは郷のカラーによるでしょう。
二才は後輩たち・稚児たちを指導する立場でしたから、
おい!
今日は論語を学ぶぞ!
はい!
分かりました!
それでは、
書物のこのあたりを開いて!
はい!
準備できました!
それでは、東郷よ!
朗読してみよ!
はいっ!
子、曰く・・・
とにかく「朗読」に極めて大きな比重が置かれていた、この頃の学び。
あの猛烈な薩摩藩士を育てた郷中教育なので、
東郷っ!
声が小さいっ!
その読み方は、声だけ出しているのだ!
もっと、身体全体で読むのだ!
は、はいっ!
子!曰く!・・・
このような「薩摩らしい」苛烈な教育もあったかも知れません。
これら年齢の隔たりの大きい青少年たちが、親しく胸襟を開いて語り合い、切磋琢磨しました。
そして、大事なポイントは文武修練の自治教育であり、熟考の上衆議を尽くしたことです。
これは全ての年齢の子供たちに取って、非常に強烈な経験でしょう。
よしっ!それでは、東郷は
ここに関して、どう考える?
は、はいっ!
私は〜と考えます。
うむ・・・
それでは大山は、どう考える?
はいっ!
私は〜と考えます・・・
小学校では校庭で1年生〜6年生が一緒に遊びますが、他の学年は関係ないのが普通です。
例えば、小学校3年生と小学校6年生は基本的に「話す関係」にありません。
4年生から部活に入り、5,6年生という「1,2つ上のお兄さん、お姉さん」と一緒に活動します。
小学生にとって、大学生は「お兄さん・お姉さんを超えた存在」でしょう。
当時の日本において、薩摩藩が非常に際立った個性をもつ藩・組織であったことが大事です。
それもまた、この「際立った教育」あってのことだったのです。
郷中教育と現代日本の教育の違い:ディスカッションの重要性
こういう教育環境が、「西郷隆盛を生み出した」とも言えるでしょう。
明治に入って「欧米に追いつけ、追い越せ」で、暗記中心の教育となってしまった日本の教育。
衆議を尽くして、子供たちがディスカッションをしていた郷中教育。
対して、ディスカッションがほとんどない今の日本の教育。
小学校で課題発表をして「意見を言う」ことはあるでしょうが、そんなに活発ではないのが一般的です。
〜くん、これに関しては
どう考えますか?
はい!
これは「〜」と感じました。
「感じること」に対しても、「ある程度の答え」が想定されている教育。
これでは、ディスカッションというレベルではないでしょう。
学校の「発表」や「意見を言う」は、大抵は「ある程度想定された答え」を話し合う単なる「トーク」です。
郷中教育は極端な例ですが、今の教育においても「参考となる面」が非常に多くあると考えます。
次回は上記リンクです。