広い視点で記述問題を考えるコツ〜「感激」の様々な解釈・日本の勝利に感激したネルー・大英帝国の植民地だったインド〜|武蔵中1990年社会8・過去問・中学受験

前回は「記述問題のポイントを考えるコツ〜「全ての国々に影響」の意味・ペリーに「扉と窓をこじ開けられた」日本・鋭いネルーの分析〜」の話でした。

目次

日本の勝利に感激したネルー:大英帝国の植民地だったインド

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今回は問8に進みます。

この問題(原題は問1〜3及び問7〜10)は、歴史と現代を多角的に俯瞰する良い問題です。

問8は総合的な近代史の知識と理解を問う問題で、

出題者

日本の勝利に、なぜネルーは
そんなに感激したと思いますか。

出題者は「なぜ、そんなに感激したと思いますか?」と問いを投げかけています。

歴史的事実に関する知識や理解を問うならば、

出題者

日本の勝利に、なぜネルーは
そんなに感激したのでしょうか。

このように「事実を問う」形式になりますが、「思いますか?」は回答の範囲が少し広がります。

New Educational Voyage
ジャワハルラール・ネルー インド首相(Wikipedia)
ネルー

Japan(日本)が勝利したことは、
本当に、本当に感激したんだ!

日本人でもなく、日本に特別な縁がある(出生した、肉親が日本人等)訳でもないネルー。

人それぞれ様々な考えを持ちますが、ほとんどの方は「自国の勝利や発展は嬉しい」です。

例えば、フランスが好きな方にとって、「パリに行くこと」などは感動することです。

一方で、「感激」というニュアンスは「感動」を超えた何かがあります。

男子小学生

僕は〜に
感激したんだ!

日常生活で「感激した」と言うことはあまりなく、手紙の中の文章で書くことは少ないです。

これは「少しおとなしめ」の日本人の性格もありますが、「感激」の理由を歴史的に考えてみましょう。

新教育紀行
大英帝国の領土:1921年(Wikipedia)

現代、英国(イギリス)と呼ぶ国は、かつては大英帝国という覇権国家でした。

大英帝国の領土は世界中に広がり、カナダ・オーストラリア・インド等は全て大英帝国領でした。

日清戦争の後頃から、日本もまたこのような「帝国主義」の方針をとって、領土を拡大してゆきます。

新教育紀行
ロンドン(新教育紀行)

大英帝国にとっては、本国イングランド地域こそが「本土」であり、インド等は植民地でした。

大英帝国

とにかく、植民地からは
搾り取るだけ搾り取るのだ!

大英帝国

India(インド)は膨大な人口があるから、
彼らを酷使して、生産量を上げるのだ!

当時から膨大な人口を抱えていたインドに対して、大英帝国は圧政とも言える支配をしました。

ネルー

Great Britain(大英帝国)に
我々は支配され、実に辛い思いをした・・・

そして、当時は「白人至上主義」とも言える時代でした。

大英帝国

とにかく、世界を支配するのは
我々白人であって・・・

大英帝国

黒人や黄色人種たちなど
人間ではない・・・

大英帝国

我らこそ主人であり、
Asiaの連中が我らに勝てるわけはないのだ!

日本を含むアジアの黄色人種、アフリカの黒人たちに対して、「超上から目線」だった白人たち。

それが、ネルーが若き頃に生きた時代でした。

広い視点で記述問題を考えるコツ:「感激」の様々な解釈

新教育紀行
日露戦争(Wikipedia)

ネルーが若き頃に、当時新興国で小国であった日本が、大国ロシアと戦争することになりました。

1889年生まれのネルーにとって、1904年の15歳中学三年生の頃に勃発した日露戦争。

ネルー

Japan(日本)が、あのRussia(ロシア)と
戦争するのか・・・

ネルー

さすがに、Japanが
Russiaに勝つのは難しいのでは・・・

ネルー少年はこう思ったでしょう。

新教育紀行
アレクセイ・クロパトキン・ロシア満州軍総司令官(Wikipedia)
クロパトキン

Japanが我がRussia(ロシア)と
戦う、だと?

クロパトキン

何言ってるんだ・・・
笑わせてくれるな・・・

当時、大英帝国とロシアは非常に険悪な中でしたが、一方で「白人仲間」であったのが現実でした。

クロパトキン

黄色人種の猿ども(日本人)が
我々、白色人種と対等に戦えるはずがないだろう・・・

クロパトキン

まあ、戦ったとしても、
あっという間にTokyoに侵攻することになるだろうな・・・

日露戦争前に日本を訪問したクロパトキン将軍もまた、「超上から目線」でした。

そして、まさに日露関係が決裂し、いよいよ日露戦争勃発となりました。

大英帝国

我がGreat Britain(大英帝国)は、
日英同盟があるので、Japanを支援する!

大国ロシアと戦う為には、当時世界最強国(米国と同等)だった大英帝国が同盟国であることは重要でした。

日露戦争初期の頃の状況を、上記リンクでご紹介しています。

クロパトキン

Japanと戦うことになったが、
これは「戦争」ではない・・・

クロパトキン

黄色人種のJapanese(日本人)ごとき相手に、
我がRussian(ロシア人)が本気で戦ったら、すぐに終る・・・

クロパトキン

諸君!今回は「戦争」ではなく、
単なる「軍事的散歩」なのだ!

新教育紀行
戦艦三笠と東郷平八郎連合艦隊司令長官(Wikipedia)

こんな認識だったロシアでしたが、日本海海戦で大敗北し、陸軍の戦いでも日本優勢が続きました。

クロパトキン

ま、まさか・・・
こんなことが・・・

日露戦争によって、「日本がロシアに勝った」という歴史的大転換が起こりました。

それは「黄色人種が白色人種に勝った」という世界史上で、初めての画期的出来事だったのでした。

男子小学生

当時、インドも白色人種の英国人に
支配されて、ネルーも「支配される側」だったね。

女子小学生

アジアの黄色人種が
白色人種を倒したのが、感激の理由だね。

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問題文の前文に、「インドがイギリスの植民地であった時代に」と記載あることにも注意しましょう。

これらをもとに、ある程度広く考えて、知識をもとに広い視点で書いてみましょう。

問8の答え(解答例)

A.当時インドは大英帝国(イギリス)に植民地として支配を受けていた。小国で新興国であった日本が大国ロシアに勝利したことは、「白色人種優位」の時代にピリオドを打ち、独立を望むネルー及び全てのアジア人が大いに鼓舞され、独立成功の可能性に大いなる希望を持った。(最も良い例:ネルーの感激・希望と「白色人種優位」の時代からの転換が表現されている)

B.イギリスの植民地であったインドにおいて、ネルーもまた圧政を受けていた。白人が黄色人種や黒人の上であった時代において、当時小国で黄色人種であった日本が、大国で白色人種であったロシアに打ち勝ったことは、アジアの人々の民族独立への道を切り開いた。(最も良い例:黄色人種と白色人種が具体的)

C.欧米諸国がアジアなどに多くの植民地を有した帝国主義の時代において、小国でアジアの国である日本が大国のロシアに勝利した事実は、民族独立を強く望む全てのアジア人に希望を与え、「自分たちも白人たちに勝てる」と勇気づけた。(良い例:日露戦争の意義が表現されている)

D.日露戦争で小国日本が大国ロシアに勝って、大いに元気づけられたこと(やや悪い例:インドが植民地であった事実が欲しい)

E.当時小国だった日本が大国ロシアに勝利したことが、アジアの人々を大いに元気づけたこと(悪い例:インドが植民地であったこと、「元気づけた」の具体的内容が欲しい)

上記Cにおいて、「インドが植民地であったこと」がありませんが、全般的に良いのでCは○と考えます。

少し簡潔に書いてみましょう。

問8の答え(簡潔な解答例)

A.当時インドはイギリスに植民地として支配を受けていた。小国であった日本が大国ロシアに勝利したことは、独立を望む全てのアジア人が大いに鼓舞され、独立成功に強い希望を持った。(最も良い例:ネルーの感激・希望が表現されている)

B.イギリスの植民地であったインドは苦しんでいた。白人が黄色人種や黒人の上であった時代で、小国で黄色人種だった日本が、大国で白色人種だったロシアに勝ったことは、アジアの民族独立への道を切り開いた。(最も良い例:黄色人種と白色人種が具体的)

C.欧米諸国が植民地を有した時代に、小国でアジアの国である日本が大国ロシアに勝利した事は、民族独立を望む全アジア人に希望を与え、「自分たちも白人たちに勝てる」と勇気づけた。(良い例:感激を「勇気づけた」と表現)

この問題は、上記の解答例を参考にある程度幅広くかけます。

ポイントはいくつかあり、問題文記載の「インドが植民地だった」ことは書いた方が良いでしょう。

また、Cのように、

ネルー

私は、とっても
感激したんだ!

このように、ネルーの「感激や希望」を書くことも大事な視点です。

このような「率直な感情」に対して、広い視点で考えて書いてみると記述力が上がるでしょう。

次回は上記リンクです。

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