前回は「「書きにくい」記述が得意になるコツ〜歴史への理解と解釈・海外の視点で「超異常」だった鎖国・ただ一つではなかった外国への窓口〜」の話でした。
ペリーに「扉と窓をこじ開けられた」日本:鋭いネルーの分析
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インド初代首相ネルーによる、鋭い日本の歴史の分析が続きます。
この鎖国は
まことに異常な現象だが・・・
日本は長期戦の内戦の痛手を
いやした。
世界史で見ても、「かなり異例に平和な時代が続いた」と表現されることが多い江戸時代。
現代日本社会から見れば、当時の封建社会は非常に狭苦しく、窒息しそうな社会に感じます。
当時は、王政などがあった欧州においても身分秩序がありましたが、日本の身分秩序も窮屈でした。
「士農工商」と呼ばれた身分秩序によって「武士・藩士が最高、商人は最低」と位置付けられていた時代。
そして、「生まれた時点の身分が後に変わる」ことは、極めて稀だった時代でした。
浮世絵に描かれているように、江戸時代の日本は平和で町人たちも楽しそうにしています。
窮屈な身分秩序があったものの、平和な生活を町人たちは楽しんでいた面もあったでしょう。
当時の日本橋周辺は、現代では考えられないほど「水の都市」であったのが江戸でした。
現代の東京は隅田川や荒川があり、東京湾が広がっていますが「水の都市」とは言い難い状況です。
江戸時代、日本橋・八丁堀周辺は、運河が広がり、見渡す限り海と運河が広がる都市でした。
上記リンクでは、徳川家康が江戸に移動した(させられた)以降の江戸の都市改造をご紹介しています。
1853年を最後にして、
再び扉と窓を開け放った・・・
この1853年とは、「ペリーが来航したこと」を指します。
Hello!
Japanの皆さん!
現代の日本にとって、「最も関係が深い外国」は様々な意見がありますが、まずは米国が挙がります。
第二次世界大戦で敗戦した後に「米国に一時占領された」ことが強い影響力を持っています。
とにかく「日米関係」といえば、「ペリーから始まった」と言っても過言ではないでしょう。
我がUnited States(米国)と
条約を結びましょう!
黒船四隻の大艦隊で、江戸付近に乗り込んできたペリー提督。
1.長崎・出島:徳川幕府の公式窓口(オランダ・中国)
2.対馬・宗氏:徳川幕府が公認・間接的関与(朝鮮)
3.蝦夷・松前氏:徳川幕府が半公認・間接的関与(蝦夷及びアイヌ)
4.薩摩・島津氏:徳川幕府は非公認だが事実上黙認(琉球・中国・東南アジア)
当時は、江戸は政治の中心でしたが、対外窓口ではありませんでした。
ペリーさん、窓口は長崎ですから、
長崎に行ってください!
徳川幕府は、ペリーに「長崎行き」を要請しましたが、
No! 私はTokugawa Shogun(将軍)と
話したいのです!
そして、強引に江戸湾に居続けたペリー。
困った幕府は、
いきなり条約と言われても困るので、
ちょっと検討します・・・
「また来年」でいかが
でしょうか?
OK!
また来年来ます!
日本政府お得意の「引き伸ばし作戦」は、徳川幕府もまた得意としていました。
メリケン(米国)は遠いから、
来年は来ないだろう・・・
安心していた徳川幕府でしたが、翌1854年にペリーは再び来航しました。
Hello!
また来ましたよ!
本当にまた来たよ・・・
困ったな・・・
条約結ばないなら、
Edoを砲撃しますよ!
強面のペリーによって、「扉と窓を開けた」というより「扉と窓をこじ開けられた」形になった日本。
1854年に日米和親条約を締結しますが、この1854年ではなく、
1853年を最後
にして・・・
前年の1853年をもって「最後」とするネルーの分析は、本質的で鋭いと言えます。
歴史を学ぶ際には学習マンガなどで、ペリーや徳川幕府の状況をイメージすると良いでしょう。
記述問題のポイントを考えるコツ:「全ての国々に影響」の意味
そして、幕末のペリー来航以降の日本をネルーは、
一つの奇跡を
成し遂げた・・・
日本を極めて高く評価し、「奇跡を成し遂げた」と驚愕の視線で見ています。
「一つの奇跡を成し遂げた」とは、
どのようなことですか?
文章の流れで考えると「抽象的表現」で分かりにくいですが、続けて読んでみましょう。
日露戦争は・・・
かくて日本は勝ち・・・
どうやら「奇跡の結果、日露戦争で日本が勝った」と文章が続きます。
アジアの一国である日本の勝利は、
アジアの全ての国々に大きな影響を与えた。
私は少年時代、どんなにそれに
感激したか・・・
ネルーは、日露戦争での日本の勝利に対して「本当に感激した」と伝えています。
このネルーが感激するほどの「極めて大きなこと」につながったのが「奇跡」です。
明治維新で、日本が近代国家に
なって急成長したことだね!
日清戦争のことが触れられてないけど、
日清戦争も大事かも・・・
この問は、かなりの自由度がありますが、根幹的なことは「近代国家に変化して急成長した」ことです。
「ただ成長した」のではなく、「アジアの国がロシアに勝ったことに感激」に注目しましょう。
日露戦争の勝利は「アジアの全ての国々に影響を与えた」とネルーは言います。
「全ての」という点が非常に重要であり、「アジアの国全部」です。
何かが起こった結果、ある地域の「全ての国々に影響」は非常に難しく、稀です。
例外なしに「全ての国」とか「全ての人間」など「全て」と表現することは、非常に強い言葉です。
それでも、「全ての国々」とネルーは強調したかったこと。
それは、「アジアの国・後進国であった日本」が「短期間で欧米諸国と並ぶ立場」になったことです。
これらを主眼に書いてみましょう。
A.開国した後、明治維新の大変革によって後進国から近代国家に成長した日本が、短期間に欧米諸国と同等の国力をつけ、先進国の仲間入りをしたこと。(最も良い例:奇跡の原因と結果が表現されている)
B.鎖国から開国した後に、明治維新によって封建社会から一気に近代国家となった日本が急成長し、数十年で先進国であった欧米と並んだこと。(最も良い例:急成長と数十年が具体的)
C.孤立をやめて開国した日本は、短期間に近代国家へと変貌を遂げ、強力な国力と軍事力をつけた結果、欧米諸国と並ぶ大国となったこと。(良い例:ネルーの「孤立」という言葉を使っている)
D.開国後に軍事力を強化した日本が日清戦争と日露戦争で勝利したこと。(やや悪い例:欧米諸国との比較が欲しい)
E.鎖国をやめて新たな国家となった日本が、軍事力増強に励み、清やロシアを打ち破ったこと。(悪い例:当時、軍事力は最重要だが、総合的な「国力」という視点と欧米との比較が欲しい)
良い例を少し簡潔にしてみましょう。
A.開国後、明治維新で近代国家に成長した日本が、短期間に欧米諸国と同等の国力をつけたこと。(最も良い例:奇跡の原因と結果が表現されている)
B.開国した後に、明治維新で近代国家となった日本が急成長し、数十年で先進国の欧米と並んだこと。(最も良い例:急成長と数十年が具体的)
C.開国した日本は短期間に強力な国力と軍事力をつけ、欧米諸国と並ぶ大国となったこと。(良い例:ネルーの「孤立」という言葉を使っている)
記述問題は、ポイントを意識しながら自分で書いてみると良いでしょう。
次回は上記リンクです。