合格する記述の書き方〜大事なポイントをしっかり説明・秀吉の大飛躍と朝鮮侵攻・「中国の冊封体制とアジアの秩序」への大挑戦〜|武蔵中1990年社会5・過去問・中学受験

前回は「合否分ける記述の書き方〜簡潔にポイントを説明・ネルーの日本史分析・信長→秀吉→家康のバトンタッチと天下統一〜」の話でした。

目次

秀吉の大飛躍と朝鮮侵攻:「中国の冊封体制とアジアの秩序」への大挑戦

hs09MSS1990_22ts


hs09MSS1990_24nts


原題に筆者が追加した問5に進みます。(原題は問1〜3、問7〜10の7問)

秀吉の朝鮮侵攻=文禄・慶長の役は、事実上大失敗に終わります。

New Educational Voyage
ジャワハルラール・ネルー インド首相(Wikipedia)
ネルー

朝鮮に侵攻したが、彼らは
たっぷり後悔させられた・・・

ネルーの視点から見れば「中国の弟的存在」だった日本が、一気に朝鮮に攻めたことは「異常」でした。

見方によっては「中国中心のアジア体制」とも言えたのが、この頃のアジアの国々です。

朝鮮の国々は「中国からの冊封」を受け、「国家を承認してもらっていた」存在でした。

新教育紀行
室町幕府第三代将軍:足利義満(Wikipedia)
足利義満

中国の支配下に入るのは
嫌なのだが・・・

足利義満

中国との貿易による利益の前では、
そんなメンツはどうでもよい・・・

強い権力を持っていた室町幕府第三代将軍・足利義満ですら、一時は「冊封を受ける」姿勢をもちました。

このように「中国中心の冊封体制」という秩序を、「弟の分際で破壊しようとした」のが秀吉でした。

出題者

彼らはたっぷり後悔させられた、は
どのようなことですか?

新教育紀行
京都が中心・重心の日本列島(新教育紀行)

当時は、家康が江戸(東京)に移封され、江戸が少しずつ活性化したものの、まだ田舎町でした。

京中心の日本の国家像における、「当時の江戸(東京)」に関する話を上記リンクで紹介しています。

そもそも、「外国への侵略」を考えた秀吉は、「なぜ朝鮮を狙った」のでしょうか。

当時は、現代のように正確な地図はありませんが、中国や朝鮮の位置は大体わかりました。

ネルーが言う通り、古来から中国・朝鮮との関係が非常に強く、また深かった日本。

対外侵攻を考えた時、「海を渡って最も近い」国が朝鮮だったことからも、

豊臣秀吉

まずは朝鮮を攻めて、
さらに明へ乗り込もう!

このように秀吉は考えたのでしょう。

豊臣秀吉

我が豊臣軍ならば、
大陸全土を制圧できよう!

これは、現代の視点から考えれば、どう考えても「誇大妄想狂」としか考えられません。

日本及びアジアの歴史を理解していたネルーにとっては、

ネルー

日本が大陸に攻め込むとは、
信じられない事態だ・・・

という気持ちもあり、その気持ちが「たっぷり後悔」という表現につながったのでしょう。

合格する記述の書き方:大事なポイントをしっかり説明

New Educational Voyage
長篠の戦い(戦国合戦絵巻 ダイヤプレス)

実は、当時の日本の軍隊の強さは世界有数であったと考えられています。

さらに、鉄砲先進国であった欧州を抜いて、日本軍が「鉄砲保有数世界一」だったという説もあります。

New Educational Voyage
種子島・鉄砲館(新教育紀行)

1543年に種子島に鉄砲が伝来(諸説あり)の後、瞬く間に日本全国に広がっていった鉄砲。

九州や堺では鉄砲の大規模な輸入が続く中、鉄砲の国産化が進み、近江(滋賀)国友村などが有名です。

世界一かどうかは別として、世界トップ3には入っていたであろう、当時の日本軍の鉄砲装備率。

そして、打ち続く戦国時代を勝ち抜いた将兵たちの熟練度・訓練度もまた最強クラスでした。

豊臣秀吉

朝鮮を攻めれば、明軍が援軍に
来るのは間違いない・・・

豊臣秀吉

だが、我がオール日本の
豊臣軍団ならば、明と朝鮮を叩き潰せよう!

当時、「百戦錬磨の大将軍」だった豊臣秀吉。

秀吉が、こう考えたのは「ある意味で合理的」でした。

そして、

ネルー

彼らはたっぷり
後悔させられた・・・

ネルーが指摘するのは、最終的に日本が大変な敗北をしたことを指します。

加藤清正・小西行長をはじめとし、島津義弘・立花宗茂・鍋島直茂ら優れた将軍が多数向かった日本。

「戦国時代で長年戦い続けた」日本軍は強力で、緒戦は大勝利を続けました。

New Educational Voyage
朝鮮軍水軍大将 李舜臣(Wikipedia)
李舜臣

おのれ!
我が朝鮮に攻め込むとは!

李舜臣

日本軍を
叩き潰すのだ!

ところが、明軍の強力な援軍に加え、李舜臣など優れた将軍も登場して、日本は追い込まれました。

かなりの名将だった李舜臣(りしゅんしん、イスンシン)は、日本軍撃退の原動力となりました。

この「日本軍が追い込まれて、事実上敗北した」事実を「後悔」という表現踏まえて書きましょう。

問5の答え(解答例)

A.大名たちは勇んで朝鮮侵攻したが、明軍と朝鮮軍の反撃に敗北を喫し、多数の死傷者が出て多額の費用がかかったものの、得るものが何もなかったこと。(最も良い例:「後悔」が説明されている)

B.国内で合戦がなくなり「戦いを望む」将兵たちは勇んで朝鮮で戦ったが、明の大軍勢や朝鮮の反撃により、敗北を喫したこと。(最も良い例:問4との関係がある)

C.緒戦は日本軍が勝利し続けたが、朝鮮への明国からの援軍も加わり、反撃されて徐々に追い込まれて最終的に日本が敗北したこと。(良い例:「後悔」の説明ないが、経緯は良い)

D.日本の戦国大名たちが朝鮮で大いに戦ったものの、最終的に敗北したこと。(やや悪い例:「後悔」の説明がない)

E.日本が負けたこと。(悪い例:簡単すぎて、「後悔させられた」経緯が不明)

記述は「まずは書くこと」が大事で、簡潔なことが望まれます。

上記の「最も良い例」A,B「良い例」Cを簡潔にして、下記でも良いでしょう。

問5の答え(簡潔な解答例)

・朝鮮侵攻した諸大名は敗北し、多数の死傷者が出てお金がかかったが何も得られなかったこと。(最も良い例:「後悔」が説明されている)

・「戦いの恩賞」望む将兵は朝鮮でよく戦ったが、朝鮮軍と明軍の反撃で敗北し戦果がなかったこと。(最も良い例:問4との関係がある)

・緒戦は日本軍が勝利したが、朝鮮軍と明軍から反撃され、日本が敗北したこと。(良い例)

合否を分ける記述は「大事なポイントを簡潔に説明する」ことです。

記述の解答欄のサイズ・文字数などにもよりますが、まずは記述に慣れることが大事です。

それには、自分なりに「解答例を真似る」など書いてみましょう。

書いてみれば、

男子小学生

こんな感じで
書けば良いのかな・・・

女子小学生

こういう風に
まとめればいいんだ・・・

「自分なりの書き方」や独自の発想が生まれて、少しずつ書けるようになるでしょう。

次回は上記リンクです。

New Educational Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次