歴史に興味を持って成績を上げるコツ〜日本の歴史的立場と元寇・「外国の方の日本史への視点」を楽しむ姿勢〜|武蔵中1990年社会3・過去問・中学受験

前回は「大陸から日本に来たもの〜文明と文化を取り入れて変容させ続けた日本・問題文を読みながら想像・色々夢想して歴史に興味持つ姿勢〜」の話でした。

目次

歴史に興味を持って成績を上げるコツ:日本の歴史的立場と元寇

hs09MSS1990_21ts


hs09MSS1990_22ts


hs09MSS1990_23ts


問2に進みます。

現代では、「常に緊張関係にある」と表現して良い日本と中国の関係。

New Educational Voyage
ジャワハルラール・ネルー インド初代首相(Wikipedia)

ネルー・インド初代首相の視点から見れば、歴史的に日中関係は、

ネルー

日本は中国のよくできる
弟子であったが・・・

という認識で、日本は「中国のよくできる弟子」であり続けた表現されています。

この表現に関しては、ちょっと異和感を感じる方も多いかと思います。

ニュアンスとしては、「日本は中国の優れた高弟であり続けた」とも受け取れます。

ネルー

日本は中国から自分のやり方で取り入れ、
都合の良いようにつくりかえた・・・

ネルーの手紙においては、

ネルー

(日本と)中国との間には
親しい関係が保たれ・・・

と中世頃まで「ずっと仲良しだった日本と中国」という表現がされています。

これに対して、問題文では、

日本と中国の親しい関係は、
13世紀後半に一度中断しましたが、なぜですか?

と聞いています。

まず、歴史を学ぶ際には「〜世紀」よりも「〜年」で考えることが多いでしょう。

そのため、基本的には「〜年頃」の方が「〜世紀頃」よりも分かりやすい傾向があります。

「1世紀=西暦元年(1年)〜100年」のため、「100年代では、世紀と一つずれる」です。

「2000年代の現代は、21世紀」であることを念頭に「13世紀後半=1200年後半」となります。

これは基本的なことかも知れませんが、「世紀と年号」はパッと切り替えられるようにしましょう。

1200年代後半に
中国との間に起きた大事件・・・

あっ!
元寇だ!

New Educational Voyage
モンゴル帝国初代皇帝 チンギス・カン(Wikipedia)
チンギス・カン

我がモンゴル帝国の
領土を広げるのだ!

初代皇帝 チンギス・カンが建国したモンゴル帝国は、大変な膨張を続けました。

New Educational Voyage
モンゴル帝国五代皇帝 クビライ・カン(Wikipedia)
クビライ・カン

ジパング(日本)へ
攻め込むのだ!

第五代皇帝クビライ・カンの時に、モンゴル帝国は海を越えて日本へ攻め込んできました。

マルコ・ポーロの時代のこの頃は、日本は「ジパング」と呼ばれていました。(諸説あります)

New Educational Voyage
モンゴル帝国の最大版図(Wikipdeia)

アジアから欧州へかけて「超大帝国」を築き上げたモンゴル帝国。

「西へ西へ」と伸びていたモンゴル帝国は、一転して、

クビライ・カン

海を越えて、
東のジパング(日本)を支配下へ!

猛烈な勢いで西へ伸びていたモンゴル帝国は、「もっと西へ行く」と思いきや、東に攻め込んできました。

日本へ攻め込んだ理由は諸説ありますが、とにかく、

クビライ・カン

我がモンゴルの大軍勢ならば、
ジパング(日本)なんぞ、すぐに潰せるわ!

こう考えていたに違いないのが、クビライでした。

蒙古襲来絵詞(Wikipedia)

モンゴル軍は
凄まじい最新兵器を持っているぞ!

我らの弓矢や刀の戦いとは
大きく違うな!

我が日本の武士の
強さを思い知らせてくれる!

ところが、モンゴル軍の予想とは大きく異なり、ジパング(日本)軍は猛烈な抵抗を見せました。

文永(1274年)・弘安(1281年)の役と二度攻め込んだのに、台風などもあって敗退したモンゴル軍。

クビライ・カン

なぜ、ジパング(日本)軍ごときに、
我がモンゴル軍が敗北したのだ・・・

内心、大きなショックを受けたに違いないでしょう。

日本にとっては、

蒙古襲来だ!
負けたら、属国にされてしまう!

自分達の国家・家族たちの運命を決する、超大戦争だったのが元寇でした。

問3の答えは「元寇」ですが、記述では少し説明したいです。

例えば「モンゴル帝国(元)の大軍勢が二回日本に攻め込んできた」は、ちょっと良くないです。

これは「歴史的事実を答えている」点で正しいですが、問題文は「なぜですか?」と聞いています。

そのため、事実を記載するだけでなく、「〜のため」や「〜だから」「〜による」と答えるのが良いです。

問2の答え(解答例)

・モンゴル帝国・元の大軍勢が二度に渡り、日本に攻め込んできたため。(良い例)

・元の大軍が二度に渡って日本の北九州周辺に侵攻(元寇)し、双方が多数の損害を受けたから。(良い例)

・モンゴル帝国(元)の大軍勢が二回日本に攻め込んできた。(惜しい例:「理由の答え」になっていない)

・元寇があったから。(悪い例:元寇の説明が少し欲しい)

・中国が大軍で日本に攻め込んできたから。(悪い例:モンゴル帝国は中国と異なる)

元寇に関する選択問題を考える話を、上記リンクでご紹介しています。

「外国の方の日本史への視点」を楽しむ姿勢

New Educational Voyage
中国(新教育紀行)

問3へ進みます。

ネルーが日本の歴史を誤解している
と思われる箇所は、何ですか?

外国の方にも関わらず、ネルーの日本史への理解はかなり高いレベルです。

非常に優れた人物であったネルーですが、いくつか「日本の歴史への誤解」が見受けられます。

この「他国の歴史への誤解」は、当然起こりうることです。

「自国の歴史」ならば、自国の民族性を感覚として把握していますが、「他国は別」です。

この問題は「日本史の事実に基づく」問ですが、「誤解は何か」という大変良い問です。

誤解といえば、
「日本は中国の弟子」はちょっと違う・・・

そうだよね。
確かに、中国から様々な文明・文化をもらったけどさ・・・

hs09MSS1990_22ts


もう一度、ネルーの手紙を読んでみましょう。

それから、日本を「好戦的な軍事国家」と
表現するのは、ちょっと行き過ぎな気がする・・・

鎌倉時代って、そんなに平和だったのかな?
結構内部抗争もあったよね・・・

このように、日本人の視点から見ると「ちょっと違うんじゃないの?」という点は多数あります。

でも、テストの答案で答えるのは、
「ちょっと違うのでは?」で良いのかな?

この問題の採点基準は、「かなり採点者による」と考えます。

そのため「何が○で、何が✖️か」は採点者本人以外には、確たることは不明です。

私が「ちょっと違う」と思っても、
✖️の可能性があるのかな・・・

このように「個人の主観が大きく入る余地がある問題」は、出題されにくいかもしれません。

実際、1990年武蔵中で出題されたので、「自分が違う」と思うことを堂々と書くと良いでしょう。

3人って信長・秀吉・家康だけど、
「連中」って一まとめにしてるね・・・

3人とも、朝鮮侵攻と結びつけている
のも気になるけど・・・

「これは変でしょ」と思うことを「答えて下さい」という問題です。

「ネルーの勘違いでしょ」「変だと思う」と考えることを書いてみましょう。

そして、「外国の方の日本史への視点」を楽しむ姿勢を持って、こういう問題を考えると良いでしょう。

下記は一つの例で、他にも解答例はあるでしょう。

問3の答え(解答例)

・中国が穏健な国で、日本が好戦的軍事国家という表現は歴史的事実と異なる。(最も良い例)

・中国から様々な文物を受けたのは事実だが、日本を「中国の弟子」というのは少し言い過ぎである。(最も良い例)

・「3人の人物」は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を指すと思われるが、朝鮮侵略を主導したのは秀吉であり、信長は関与していない(「家康の間接的関与」は書かなくても良い)。(良い例)

・「都合の良いように全てをつくりかえた」は、「全て」ではないので不適切。(良い例)

・鎌倉時代は平和な時代ではなく、源氏将軍は三代で絶え、執権・北条氏周辺では内部抗争が続いていた。(良い例)

・「日本は中国のよくできる弟子」は違う。(惜しい例:ネルーがこう考えた事実を認める姿勢が欲しい)

・日中の貿易が「主として中国の商船」による表現は違う。(悪い例:「主として」は曖昧で否定しずらく、問題の対象は「日中の歴史」よりも「日本の歴史」)

・「中国は本質的に穏健な国であった」は、中国の歴史を勘違いしており、事実と違う。(悪い例:「日本の歴史」に関する問なので、中国のみを対象とするのは✖️)

次回は上記リンクです。

New Educational Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次