前回は「歴史の並び替え問題を解くコツ〜「歴史の流れ」で並び替える・選択問題から知識を深める姿勢・「正答に至る」だけでない学び〜」の話でした。
欧化を猛烈に推進した明治新政府:岩倉使節団の真の目的
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問3に進み、明治維新の「お雇い外国人」に関する問題です。
ひたすら「打倒・徳川幕府」で突き進んで討幕を果たした薩長中心の勢力。
「維新の三傑」として、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允が挙げられます。
筆者は、この三名に岩倉具視を加えて「維新の四傑」と整理するのが分かりやすいと考えます。
・薩摩:西郷隆盛、大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
そして、「近代化」を猛烈に推進した明治新政府。
当時の明治新政府にとって「近代化=西洋化・欧化」でした。
我が薩摩は、かなり西洋技術を
推進していたが、もっと近代化せねば!
当時の「近代化=欧化」の勢いは凄まじく、世界史で見ても「異常なスピードの近代化」となりました。
「近代化=欧化」とは「欧米、特に欧州の最先端技術をそのまま輸入する」事でした。
ア:「明治新政府の中心人物が欧米に視察」は、岩倉使節団を指していそうです。
ところが、「明治天皇は同行していない」ので✖️です。
入試当日なら、これで、
よしっ!
答えはアだ!
こう考えて、他の選択肢を読まないで先に進んでも良いでしょう。
ここでは「たまたま最初のアが答え」なので、きちんと全ての選択肢を見ましょう。
イ、ウ、エは全て「明治新政府が超推進したこと」ですから、○です。
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岩倉使節団に関して、補足です。
アの「政府の中心人物が視察」は、後の初代警視総監となる川路利良などが行った視察を指します。
川路利良に関する話は、上記リンクをご覧ください。
この「政府の中心人物が視察」は岩倉使節団も「当てはまらなくはない」ですが、少し異なります。
岩倉使節団の最大の目的は「条約改正」であり、「視察」は優先順位が低かったのが現実でした。
1.江戸時代に締結した(させられた)不平等条約改正の(予備)交渉
2.条約締結中の先進国の国家元首に国書を提出
3.西洋の先進文明の実地調査
岩倉使節団にとって、「視察」や「実地調査」は大事でしたが「最優先ではなかった」のです。
ある意味では「結果論に過ぎない」という見方もあります。
実際、岩倉使節団が「条約改正の成果ゼロ」に終わり、
まさか、こんなにも
成果が挙がらなかったとは・・・
西洋を実際観て、様々視察したのは
大きな収穫だったが・・・
国内でやるべきことが山のようにある中、
果たして、これで良かったのか・・・
政府首脳部はイライラが募り、もともと「合わなかった」木戸と大久保は「喧嘩状態」になりました。
大体、大久保とずっと一緒にいるのは
苦痛でしかないのだ・・・
木戸さんは、幕末のことを
いつまでも引きずっていて・・・
木戸と大久保は「口すらきかない」超険悪な仲となって、帰国に至りました。
大久保とは、出来るだけ
一緒にいたくない・・・
「一緒にいたくない」から、「別々のルートで帰国」に至ったのが大久保と木戸でした。
この頃、40歳頃であり「大英雄」だった二人ですが、共に「少し子どもっぽい」ところがありました。
答えは「ア」です。
答:ア
歴史の理解を深めるコツ:第二次世界大戦と太平洋戦争
次は、「オランダと日本の関わり」に関して、正しいものを選びます。
日本にとって、馴染み深い外国はもともとは「中国と(南北)朝鮮」でした。
室町後期・戦国時代頃から、当時強国だったポルトガルとスペインが日本にやってきました。
アジア人とは違う風貌の彼らは「南蛮人」とまとめ、オランダもやってきました。
南蛮人から地球儀を披露され、説明を受けた織田信長。
コレガ、ワタシタチガ、スンデイル、
チキュウデ、マルイノデス・・・
ほう・・・
「地球は丸い」と申すか・・・
ソウデス・・・
ソレデ、ワタシタチハ、フネデキマシタ・・・
確かに、「地球は丸い」のは
合理的な話だのう・・・
「日本で最初に地球儀を見て、理解した人物」は、織田信長と言われています。
ア:オランダは「ポルトガル・スペインの後」なので、✖️です。
イ:イエズス会と言えば、フランシスコ・ザビエルで、背後にいたのはポルトガルだったので✖️です。
そもそも、戦国期はオランダは「スペインの一部」であり、スペインとの独立戦争を起こしていました。
ウ:第二次世界大戦でオランダは日本の敵であり、軍事同盟は結んでないので✖️です。
エ:太平洋戦争(第二次世界大戦)中、日本はオランダ領=植民地に進出して、占領したので◯です。
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答えは「エ」です。
答:エ
第二次世界大戦の名称に関して、補足です。
世界史では文字通り「第二次世界大戦=World War 2」と呼ばれている、この戦争。
日本では別称として太平洋戦争、大東亜戦争などがあります。
このうち、大東亜戦争という名称は、当時の大日本帝国が「大東亜共栄圏構築を目指していた」からです。
当時は世界中の列強国が「帝国主義」で植民地を多数有していた時代です。
そこで、日本は「アジアの盟主」を目指して「大東亜共栄圏のボス」を目指したのでした。
「大東亜戦争」という名称は「軍国主義を肯定」と見做される傾向があります。
そのため、あまり一般的ではありませんが、「日本の視点」では本質的と考えます。
そして、「太平洋戦争」という言葉は、なんとなく「太平洋中心で戦争した」イメージです。
もちろん、当時は中国や東南アジア各地で戦争していたので、このイメージは「誤り」とも言えます。
一方で、大日本帝国にとって、最大・最強の敵であった米国と死闘を繰り広げたのが太平洋でした。
そして、戦後は「米国の単独占領」を受けた日本。
1945年から1952年まで、7年間ほど「米国の完全支配下」に置かれた日本。
そのため、「日本(大日本帝国)の視点」としては「太平洋中心の歴史」となる傾向があります。
戦争後期において、劣勢となった大日本帝国は、「絶対国防圏」を設定しました。
絶対に、絶対に
このラインを守り抜くのだ!
米国が強すぎるので、
太平洋は後退したが・・・
アジアの占領は死守し、
大東亜共栄圏は、なんとしても守るのだ!
後に崩壊した「絶対国防圏」は、アジアを大きく包摂する国家像を持っていました。
問題文にある「アジア太平洋戦争」という言葉は、あまり聞かない言葉です。
この戦争において、アジアと太平洋各地で激しい戦争・戦闘を繰り広げた大日本帝国。
そして、戦争末期には、大勢の若者たちが「神風特別攻撃隊」として出撃して、散華(戦死)しました。
この点から考えれば、「アジア太平洋戦争」という名称もまた「ありえる」のでしょう。
このように、選択問題で出会った言葉や単語から、歴史の理解を深めると良いでしょう。
・選択問題で、ただ「出来た」「出来なかった」ではなく、背景を理解
・知らない言葉や単語に出会ったら、調べて理解を深める
次回は下記リンクです。