前回は「歴史の並び替え問題を解くコツ〜「歴史の流れ」で並び替える・選択問題から知識を深める姿勢・「正答に至る」だけでない学び〜」の話でした。
欧化を猛烈に推進した明治新政府:岩倉使節団の真の目的
hs08JG05mt問3に進み、明治維新の「お雇い外国人」に関する問題です。
ひたすら「打倒・徳川幕府」で突き進んで討幕を果たした薩長中心の勢力。
「維新の三傑」として、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允が挙げられます。
筆者は、この三名に岩倉具視を加えて「維新の四傑」と整理するのが分かりやすいと考えます。
・薩摩:西郷隆盛、大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
そして、「近代化」を猛烈に推進した明治新政府。
当時の明治新政府にとって「近代化=西洋化・欧化」でした。
我が薩摩は、かなり西洋技術を
推進していたが、もっと近代化せねば!
当時の「近代化=欧化」の勢いは凄まじく、世界史で見ても「異常なスピードの近代化」となりました。
「近代化=欧化」とは「欧米、特に欧州の最先端技術をそのまま輸入する」事でした。
ア:「明治新政府の中心人物が欧米に視察」は、岩倉使節団を指していそうです。
ところが、「明治天皇は同行していない」ので✖️です。
入試当日なら、これで、
よしっ!
答えはアだ!
となって、他の選択肢を読まないで先に進んでも良いでしょう。
ここでは、「たまたま最初のアが答え」なので、きちんと全ての選択肢を見ましょう。
イ、ウ、エは全て「明治新政府が超推進したこと」ですから、○です。
hs08JG17mt岩倉使節団に関して、補足です。
アの「政府の中心人物が視察」は、後の初代警視総監となる川路利良などが行った視察を指します。
この「政府の中心人物が視察」は岩倉使節団も「当てはまらなくはない」ですが、少し異なります。
岩倉使節団の最大の目的は「条約改正」であり、「視察」は優先順位が低かったのが現実でした。
1.江戸時代に締結した(させられた)不平等条約改正の(予備)交渉
2.条約締結中の先進国の国家元首に国書を提出
3.西洋の先進文明の実地調査
岩倉使節団にとって、「視察」や「実地調査」は大事でしたが「最優先ではなかった」のです。
ある意味では「結果論に過ぎない」という見方もあります。
実際、岩倉使節団が「条約改正の成果ゼロ」に終わり、
まさか、こんなにも
成果が挙がらなかったとは・・・
西洋を実際観たのは良かったが、
国内でやるべきことが山のようにあるので、果たして・・・
政府首脳部はイライラが募り、もともと「合わなかった」木戸と大久保は「喧嘩状態」になりました。
大体、大久保とずっと一緒にいるのは
苦痛でしかないのだ・・・
木戸さんは、幕末のことを
いつまでも引きずっていて・・・
木戸と大久保は「口すらきかない」超険悪な仲となって、帰国に至りました。
大久保とは、出来るだけ
一緒にいたくない・・・
「一緒にいたくない」から、「別々のルートで帰国」に至ったのが大久保と木戸でした。
この頃、40歳頃であり「大英雄」だった二人ですが、共に「少し子どもっぽい」ところがありました。
答えは「ア」です。
歴史の理解を深めるコツ:第二次世界大戦と太平洋戦争
次は、「オランダと日本の関わり」に関して、正しいものを選びます。
日本にとって、馴染み深い外国はもともとは「中国と(南北)朝鮮」でした。
室町後期・戦国時代頃から、当時強国だったポルトガルとスペインが日本にやってきました。
アジア人とは違う風貌の彼らは「南蛮人」とまとめ、オランダもやってきました。
南蛮人から地球儀を披露され、説明を受けた織田信長。
コレガ、ワタシタチガ、スンデイル、
チキュウデ、マルイノデス・・・
ほう・・・
「地球は丸い」と申すか・・・
ソウデス・・・
ソレデ、ワタシタチハ、フネデキマシタ・・・
確かに、「地球は丸い」のは
合理的な話だのう・・・
「日本で最初に地球儀を見て、理解した人物」は、織田信長と言われています。
ア:オランダは「ポルトガル・スペインの後」なので、✖️です。
イ:イエズス会と言えば、フランシスコ・ザビエルで、背後にいたのはポルトガルだったので✖️です。
そもそも、戦国期はオランダは「スペインの一部」であり、スペインとの独立戦争を起こしていました。
ウ:第二次世界大戦でオランダは日本の敵であり、軍事同盟は結んでないので✖️です。
エ:太平洋戦争(第二次世界大戦)中、日本はオランダ領=植民地に進出して、占領したので◯です。
hs08JG18mt
答えは「エ」です。
第二次世界大戦の名称に関して、補足です。
世界史では文字通り「第二次世界大戦=World War 2」と呼ばれている、この戦争。
日本では別称として太平洋戦争、大東亜戦争などがあります。
このうち、大東亜戦争という名称は、当時の大日本帝国が「大東亜共栄圏構築を目指していた」からです。
当時は世界中の列強国が「帝国主義」で植民地を多数有していた時代です。
そこで、日本は「アジアの盟主」を目指して「大東亜共栄圏のボス」を目指したのでした。
そのため、「大東亜戦争」という名称は「軍国主義を肯定」と見做される傾向があり、一般的ではありません。
そして、「太平洋戦争」という言葉は、なんとなく「太平洋中心で戦争した」イメージです。
もちろん、当時は中国や東南アジア各地で戦争していたので、このイメージは「誤り」とも言えます。
一方で、大日本帝国にとって、最大・最強の敵であった米国と死闘を繰り広げたのが太平洋でした。
そして、戦後は「米国の単独占領」を受けた日本。
1945年から1952年まで、7年間ほど「米国の完全支配下」に置かれた日本。
そのため、「日本(大日本帝国)の視点」としては「太平洋中心の歴史」となる傾向があります。
戦争後期において、劣勢となった大日本帝国は、「絶対国防圏」を設定しました。
絶対に、絶対に
このラインを守り抜くのだ!
米国が強すぎるので、
太平洋は後退したが・・・
アジアの占領は死守し、
大東亜共栄圏は、なんとしても守るのだ!
後に崩壊した「絶対国防圏」は、アジアを大きく包摂する国家像を持っていました。
問題文にある「アジア太平洋戦争」という言葉は、あまり聞かない言葉です。
この戦争において、アジアと太平洋各地で激しい戦争・戦闘を繰り広げた大日本帝国。
そして、戦争末期には、大勢の若者たちが「神風特別攻撃隊」として出撃して、散華(戦死)しました。
この点から考えれば、「アジア太平洋戦争」という名称もまた「ありえる」のでしょう。
このように、選択問題で出会った言葉や単語から、歴史の理解を深めると良いでしょう。
・選択問題で、ただ「出来た」「出来なかった」ではなく、背景を理解
・知らない言葉や単語に出会ったら、調べて理解を深める
次回は下記リンクです。