前回は「日本の旧国名の覚え方・暗記のコツ 2〜名前の由来・上と下・中心の京都・京・山城からの距離・文化の香り豊かな「上野」という地名〜」でした。
近い国と遠い国

日本の旧国名は、「京・山城を中心とした考え方」でした。
・越前と越中と越後
・備前と備中と備後
・豊前と豊後
・筑前と筑後
・肥前と肥後
・陸前と陸中と陸奥(奥=後のさらに遠いイメージ)
・羽前と羽後
・上野と下野
・上総と下総
「前・中・後」と「上・下」がつく旧国名は、それぞれ「京・山城から見た位置」です。
他に、京=山城との位置関係の国名があるか、考えてみましょう。

「前・中・後」と「上・下」が
あったから・・・



「京・山城から見た位置」で
位置に関する言葉だと思う・・・


それは、近江(おうみ)と遠江(とうとうみ)です。
京=山城から「近い湖」と「遠い湖」です。
「近い湖」の湖は、日本最大の湖=琵琶湖です。
「遠い湖」の湖は、湖ではありませんが、遠江の湾のことです。
古来から重要な地:近江


昔は水運が非常に重要で、琵琶湖は近江国の水瓶的役割をしていました。
豊富な水を背景に、稲作等が非常に盛んであった近江。
近江において、琵琶湖の存在は非常に重要な意味を持っていました。
特に近江国(滋賀県)は、古来から戦国期・江戸時代において、非常に重要な地でした。
近江周辺では、古来から大きな合戦が行われ、その勝利者が時代を動かすことが多かったのです。
壬申の乱に始まり、源義経率いる軍が木曾義仲の軍を破った「宇治・瀬田の合戦」も近江です。
戦国時代には、姉川の合戦・賤ヶ岳の戦いなどの合戦がありました。





姉川で浅井・朝倉を
叩き潰して、ようやく包囲網を脱した・・・



賤ヶ岳で、宿敵の柴田勝家を倒して、
私が正式に織田家の後継者となった・・・
これらの合戦に勝利した織田信長・豊臣(羽柴)秀吉が、台頭する契機となりました。
そして、豊臣から徳川へ権力が移行した関ヶ原の戦い。



関ヶ原の合戦で、
豊臣の時代から徳川の時代へ!
関ヶ原は美濃ですが、実態としては「近江周辺での戦い」であったと言っても良いでしょう。
太閤検地による各国石高確定:石高1位の近江





天下を統一するからには、
各土地の生産力を把握する必要がある!
天下人となった豊臣秀吉は、「太閤検地」を実施しました。
「検地を実施する理由」は、年貢を確定させるために必要だったからでした。
当時の税金である年貢。
年貢こそが、国力のもとでありました。
太閤検地において、堂々の1位となった近江国。
近江は77万石以上の石高を有し、ダントツの生産力を誇りました。(広大な陸奥を除く)
さらに、近江は鉄砲生産地である国友村などがある、商業盛んな地域であったのです。
お米が沢山収穫できて、商業が盛んなだけでも「非常に重要な地」です。
さらに、「近江が重要な理由」がありました。
それは、京都から近畿圏・東国へ向かう「街道・流通路の結節点」となっていたことです。
つまり、人の流れ・物流の要衝であった近江。
極めて重要な地であった近江は、織田信長も目をつけました。



琵琶湖付近に、
新たな城・安土城を築くぞ!
安土城を築いた信長。
安土城趾を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。


日本で「京・山城に次いで重要な地」とも言える国だったのが近江でした。
そして、その近江に、織田信長は豪華絢爛たる安土城を建築したのでした。
地名には色々な由来があって、面白いです。



近江と遠江は、京から「近い江」と
「遠い江」なんだね・・・



ただ丸暗記するよりも、
こういうことを知ると覚えやすい!
こういうことを知ると、地図から色々と新しいこともわかり、暗記にも役立つでしょう。
・近江と遠江
次回は下記リンクです。