前回は「記述問題に「楽しく取り組む」ポイント〜私立中学のカラーとボーダーラインの合否判断・エッセーや記述が「当たり前」の欧米の受験制度〜」の話でした。
知識・暗記問題を解くコツ:流れや全体をイメージ
「暗記問題」と捉えられがちな選択肢を選ぶ問題・答えのみ答える問題では、
知っていると出来るし、
知らないと出来ない・・・
このように考えてしまう傾向があります。
そういう傾向はありますが、「知識」と「合理性」から解答を絞ってゆくことが出来ます。
全て知らなくても、選択問題を合理的に解く考え方を、上記リンクでご紹介しています。
かなり細かな知識を問うている問題ですが、「全て知っている」のは、かなり困難です。
こういう問題を「知識から解く」ことは出来ますが、大事なのは「流れと状況の理解」です。
「長崎」といえば、江戸時代初期からの出島が想像されます。
文禄・慶長の役:戦国時代末期(1592年〜1598年)
出島の整備:江戸時代初期(1634年〜)
文禄・慶長の役の年号に関しては、
それぞれの年号は
必ず暗記すること!
このように教わっているかもしれません。
確かに、こういう年号が「大体頭に入っていること」はとても望ましいことです。
ところが、
全部覚えるって、
無理だよ・・・
このように感じる方が多いでしょう。
歴史が好きな方ならば、大抵の出来事の年号は頭に入っています。
ところが、これらの年号を全て覚えるのは結構難しいことです。
そこで、「流れを頭に入れる」ようにしましょう。
・秀吉が朝鮮侵略したのは、文禄の役→慶長の役
・起きたのは、天下統一の1590年の直後から秀吉が亡くなる1598年頃
このように、当時の歴史の流れを理解しておきましょう。
実際には、下記のような流れです。
・文禄の役:1592年→1593年講和
・慶長の役:1597年→1598年講和(秀吉死去)
文禄・慶長の役はセットで覚え、「文禄→慶長」の順序と時期を知っておきましょう。
それぞれの年号を無理に覚える必要はなく、「朝鮮出兵:1592年〜1598年」のイメージが良いでしょう。
学習マンガのイメージと問題を解く姿勢
この時の豊臣秀吉の朝鮮出兵の理由は諸説あります。
隣国の韓国・北朝鮮は、この秀吉の朝鮮出兵に関して、今でも日本に文句を言っています。
それは、「韓国・北朝鮮の立場」になれば当然のことで、
朝鮮に攻め込むぞ!
ついでに明国(中国)も征服!
若き頃の溌剌とした羽柴秀吉ではなくなり、晩年は「ただの妄想狂」の様になってしまった豊臣秀吉。
我が国の軍事力ならば、
朝鮮を征服できるだろう!
・国内が平和になり、武士たちの「戦う」エネルギーの矛先を海外に求めた
・キリシタンや南蛮(スペイン・ポルトガル)との折衝過程で、日本の武力を誇示する必要があった
諸説ある朝鮮出兵ですが、最終的には「何も得るものがなかった」のが実態でした。
朝鮮で戦っているうちに、豊臣軍の先鋒であった加藤清正は大苦戦を強いられました。
蔚山(うるさん)では、
死にかけた・・・
満身創痍となって帰国した加藤清正を迎えたのは、若き頃からの同僚の石田三成でした。
清正殿・・・
朝鮮では、大変な戦で疲れたでしょう・・・
おい、佐吉(三成の幼名)!
茶などいらん!
と、虎之助(清正の幼名)・・・
そんなに怒らなくても・・・
もともとは「仲良しだったはず」の清正と三成は、この頃、ちょっと関係がこじれていました。
佐吉は後方で、偉そうに
指図ばかりしおって・・・
前線で死闘を繰り広げていた
我らをなんだと思っておるのだ・・・
秀吉子飼いの家臣団が分裂しただけで、何の意味もなかった戦いでした。
まさか
こんなことになるとは・・・
秀吉の朝鮮出兵がなければ、関ヶ原の合戦も豊臣家滅亡もなかった可能性が高いです。
おそらく、泉下(死後)の秀吉としては、
このワシが
こんな判断ミスをするとは・・・
戦国末期に「神の如き智謀」を持っていた秀吉は、急速に衰えていたのでした。
このように、当時の長崎のイメージを「知らない場合」でも正答率を上げることが出来ます。
すると、
大体の
流れが大事なんだね!
朝鮮出兵と長崎の歴史を
結びつけて考えると楽しい!
このように「ただ暗記」ではなく、イメージと一緒に流れを理解しましょう。
受験期後半〜直前期は、
もっともっと
暗記しなければ!
「覚えなければ」と気ばかりはやってしまいますが、こうやって自分を追い詰めすぎると、
こんなに
覚えられないよ!
「覚えること」が嫌になってしまう可能性があります。
「全部覚える」ことをしなくても理解していれば、知識・暗記問題は必ず攻略出来ます。
「間違っているもの」「正しいもの」を選ぶ際には、合理的に考えて確実に得点しましょう。
歴史のイメージ・状況の理解から、選択問題を解く考え方を上記リンクでご紹介しています。
その姿勢を直前期の自宅や塾での勉強の際に意識しておくと、試験当日に、
う〜ん・・・
これはちょっと難しいけど・・・
ここは分かるから、
ちょっと違いそうだぞ・・・
少しずつ「正しいこと」と「違うこと」を詰めてゆけば、出来るようになるでしょう。
その結果、「間違っている可能性」はあります。
仮に「間違っている」としても、
あ〜、分からないから、
この問題は点数を落とした・・・
こう思えずに、
あやふやな面があるけど、
合理的に考えたから合ってそうだぞ・・・
こう考える方が、試験中の精神状態は遥かに良いでしょう。
「選択肢を選ぶ」のではなく「人名など答えを書く」問題でも、このように流れが頭に入っていると、
あ、これはパッと分からないけど、
あの人な気がする・・・
少しでも「分かる」可能性が高まるでしょう。
歴史も音読して声に出してみる:「薩摩」の怖いイメージ
「歴史にはマンガが良い」と言われるのは、イメージが分かりやすいからです。
受験期後半〜直前期は「ただ暗記する」ではなく「イメージする」ことを楽しみながら覚えましょう。
すると、これまで学んだ知識も含めて、どんどん知識が構築されてゆくでしょう。。
幕末に大老井伊直弼が起こした大事件の「安政の大獄」があります。
様々な要因があり、押されていた井伊が猛然と反撃したのです。
「紀尾井」と徳川御三家と同格であった超名門の井伊家。
御三家と
同格の井伊家だ・・・
俺が徳川を救わないで、
誰が徳川を救うのだ!
徳川に歯向かうやつは、
全員一気に消すのだ!
おのれ!
井伊の野郎!
井伊!
覚悟しろ!
そして反撃し過ぎた結果、その反動で「桜田門外の変」となります。
西郷隆盛・大久保利通たちから、大山巌・東郷平八郎を輩出した薩摩。
彼らは同じ薩摩だけではなく、同じ町内出身の方々です。
彼らのうち一人でもいなければ、幕末〜明治の日本の歴史は変わったでしょう。
ぜひ、薩摩という難しい字を読むだけでなく、
さつま出身の
西郷隆盛と大久保利通!
声に出してみましょう。
「さつま」という音・名前からして、長州・土佐・肥前など他の藩よりも怖くて強そうです。
西郷・大久保という強烈な人物の出身である薩摩藩。
江戸時代にあった300ほどの藩の中でも、非常に特殊な藩が薩摩でした。
いかに強烈な藩であったかをイメージしてみるのは、暗記にも役立つでしょう。
新歴史紀行で井伊直弼の話の際に、薩摩藩にも触れています。
そして、頭の中で色々な人物の活動や表情をイメージしながら歴史を復習しましょう。
すると、歴史の暗記・知識・記述問題全てに強くなるでしょう。
理科もイメージすることが大事です。
実験問題に限らず色々と想像して、イメージしながら受験期後半〜直前期に勉強を進めてみましょう。
あっ、
そういうことかな・・・
「少しずつ分かる」ことが大事です。
そういう風に気づくと「無理に覚える」よりも記憶に残るので、暗記もますます進むでしょう。
そして、知識・暗記問題対策だけでなく、総合的な学力が上昇するでしょう。
次回は上記リンクです。