前回は「関東の大大名・北条家の名前の由来〜「伊勢」から「北条」へ名前を変えた理由・鎌倉幕府執権「北条家」のブランド力〜」でした。
日本人の姓に多い佐藤さん・伊藤さん・加藤さん達の名前の由来
今回は名前の由来を考えてみましょう。
佐藤さん、伊藤さん、加藤さん、斎藤さんと言えば「日本人によくある名前」です。
お読みの方の中に、きっとこれらの名前の方がいらっしゃるでしょう。
このとても多い佐藤さん、伊藤さん、加藤さん、斎藤さんなどの名前の共通点を考えてみましょう。
確かに、僕の友達にも
佐藤くんがいるけど・・・
みんな「〜とう」さん、
つまり「藤」が同じだ!
共通点は佐「藤」、伊「藤」、加「藤」、斎「藤」と全ての名前に「藤」が次いています。
これは藤原氏の影響です。
絶大な影響力を有した太政大臣・藤原氏と藤原道長
佐藤さん、伊藤さん、加藤さん、斎藤さんなどに共通する「藤」の共通点は「藤原氏」でした。
かつて、日本で最強のパワーを持っていたのが藤原氏でした。
当時の太政大臣は「現代の総理大臣」格ですが、政治のトップであると同時に公家のトップでした。
この意味においては、「太政大臣は総理大臣より格上の存在」とも言えます。
いわば「極官」とも言える存在だったのが太政大臣でした。
我が藤原家こそが、
この国の主!
後の世には平家全盛期を築いた平清盛もまた、太政大臣に就任しています。
太政大臣は、
我が国における最高の職位!
この平氏を打倒した源頼朝によって、武家政権が樹立されました。
これからは
征夷大将軍がこの国のボスなのだ!
以後、武家政権である鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府が続きました。
この間は「天皇は形式的な存在で、征夷大将軍が事実上のボス」という状況でした。
征夷大将軍になりたいが、
なれないから・・・
ならば、朝廷のシステムで
最高の立場になって見せよう!
遂に太政大臣
になったぞ!
「征夷大将軍就任を望んでいた」説が有力な秀吉は、太政大臣となって「天下統一」を果たしました。
征夷大将軍に
なったぞ!
1603年に征夷大将軍に就任して徳川幕府を開いた徳川家康は、1605年に
征夷大将軍は
息子の秀忠に譲る!
征夷大将軍は
代々、徳川家が就任するのだ!
こうして「天下を治めるのは徳川家」という意思表明をした家康。
1614〜1615年に豊臣家を討滅し、亡くなる直前の1616年には、
徳川家康を
太政大臣に任ずる!
遂に太政大臣にも
なったか・・・
武家政権では、平清盛・足利(源)義満・豊臣秀吉に続く四人目の太政大臣就任となりました。
新政府のトップである
太政大臣は私だ!
明治維新で新政府が樹立されると、「政治のトップは征夷大将軍ではなく太政大臣」に戻りました。
体制が古い時代に戻ったので、「王政復古」と呼ばれます。
このように、日本の歴史において絶大な影響力を持ち続けてきた太政大臣という極官・役職。
藤原家は
とても凄い家柄なのだ!
藤原道長が、意気揚々とした気持ちが分かります。
当時は、今のように戸籍などがしっかりしていないので、名前を名乗ることも可能でした。
私もあやかって、
藤原にしたい!
私も
藤原!
僕も
藤原だ!
このように、みんなが「藤原の名前にしたい」となりました。
我が藤原一門に繋がりたい
気持ちは分かるが・・・
みんなが「藤原さん」では
困るでしょう・・・
自分の「藤原一派」が増えることは、藤原家にとっては望ましい時代です。
まあ、「藤原」派閥が
増えるのは好ましいけど・・・
例えば、学校の同じクラスで「藤原さん」が4人いると、
では、
藤原さん・・・
はーい!
はーい!
はーい!
はーい!
こうなってしまい、困ってしまいます。
現実としては、男の子に対しては、
では、
藤原くん・・・
女の子に対しては、
では、
藤原さん・・・
男女の区別があるので「くん」か「さん」で多少区別は可能です。
それでも、「同一の姓の方が沢山いる」のは混乱します。
藤原の「藤」と区別:「伊勢の藤原」は「伊藤」さん
藤原道長が全盛期を迎えた頃は、ちょうど1000年頃でした。
この時代は、まだまだ公家の力が圧倒的で、武士は「公家を守る存在」で格下でした。
私の名前も
藤原にしたいかな・・・
絶大なパワーを誇る藤原氏に「あやかりたい」人が大勢出てきました。
まあまあ、みんな
藤原で良いから・・・
分かりにくいから、
少し変化をつけましょう!
佐藤さんは「左衛門尉の藤原さん」が他の藤原と区別しやすいように、左(佐)をつけたのです。
同様に伊藤さんは「伊勢の藤原」、加藤さんは「加賀介の藤原」です。(諸説あります)
これで、佐藤さん、伊藤さん、
加藤さん、斎藤さんなどの名前で区別できる・・・
そして、皆が
藤原一門なのだ!
古来から「源平藤橘」と言われていますが、苗字に関しては藤原氏の影響が最大です。
藤原道長が、
この世をば
わが世とぞ思ふ望月の・・・
欠けたることも
なしと思へば・・・
「望月の歌」を歌って絶頂期を迎えた藤原氏。
藤原系の苗字の多さからも、藤原氏の凄さが分かります。
苗字の数ランキングで、佐藤さんが1位、伊藤さんが6位、加藤さんが10位です。
現代では「苗字=姓」という感覚が強いですが、実は「姓」は「苗字の根幹」とも言えます。
そして、苗字は様々でも姓は「源平藤橘」のみであったのが、戦国末期に転機を迎えました。
1590年に、関東の覇王・北条家を下して「正式に天下人」となった秀吉。
「天下が事実上定まった」1586年に、
源平藤橘と
互角の新たな新たな姓を!
氏素性が定かでない、というより「ない」羽柴秀吉は、権威をつけるために新たな姓を考えました。
昔は貧しかったから、「豊か」という
漢字はぜひ入れたい!
あとは、余は天皇の家臣だから、
「臣」も良いな!
よしっ!
豊+臣で「豊臣」だ!
「豊臣の名前の由来」は諸説ありますが、当時、秀吉はこのように考えたのでしょう。
秀吉が関白・太政大臣から太閤となり、当時「源平藤橘+豊臣」という時代になりました。
その後、豊臣家は滅亡してしまい、
こんなに早く
滅亡してしまうとは・・・
「源平藤橘」に戻った経緯があります。
日本人の名前にも、様々な歴史の痕跡の残滓(ざんし)があります。