前回は「歴史上の人物とまとめと流れ〜明治海軍の立役者・海軍への熱き思い・西郷従道との絶妙なコンビ・東郷平八郎連合艦隊司令長官の任命・強き意志を貫く〜」でした。
少し細かい人物に関する問題を考えてみましょう。
分からなかったら、「知らなかったけど、ここで覚えよう!」とポジティブな気持ちになって下さい。
医師となり内務省へ進み、日本統治下の台湾でインフラ建設を大きく進めることに貢献。
後に政治家となり、満鉄(南満州鉄道)総裁、内務大臣・外務大臣、東京市長などを歴任して手腕を発揮。
関東大震災発生直後から帝都復興院総裁となり、東京(帝都)復興に尽力。
医師から政治家へ
答えは後藤新平です。
医師から政治家になった人物で、明治の日本を語るには非常に重要な人物です。
満鉄総裁・内務大臣・外務大臣など数多くの重職につきました。
医師となり、内務省に入りドイツに留学します。
後藤新平に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
児玉源太郎との名コンビ
若い頃から優秀であった後藤新平は、台湾総督となった児玉源太郎に目をつけられて、抜擢されます。
児玉源太郎台湾総督の右腕となり民政局長として、台湾のインフラ建設を強引に進めます。
後にその強引な性格や壮大な計画を立てる事から、
後藤は
大風呂敷だ!
大風呂敷と
呼ばれて結構!
「大風呂敷」とあだ名された後藤。
この頃からその「強引さ」が現れています。
児玉はこの後勃発した日露戦争で、満州軍総参謀長となり日本勝利に導きます。
1906年に当時中国東北部にあった南満州鉄道(満鉄)の初代総裁に就任した後藤。
30代〜40代の若手をどんどん抜擢し、満州のインフラ整備・衛生整備に尽力します。
若手抜擢には反発もありましたが、強引な後藤新平は、
満州は午前8時の人材で
運営するのだ!
お前たちは
黙っていろ!
「黙っていろ」と反対を突っぱねて、押し切ります。
その後、内務大臣・外務大臣・逓信大臣などの要職を歴任します。
半官半民の会社であった「満鉄」ですが、単なる会社ではありませんでした。
事実上「植民地経営」を担っていた満鉄は極めて強力な組織でありました。
後に日本軍が「満州に傀儡政権を樹立」した後は、「満州を運営した」のが満鉄とも言えます。
関東大震災と未完に終わった「東京大改造」
1923年に発生した関東大震災。
関東大震災では10万人以上の方が亡くなり、東京中心部は壊滅状態になります。
東京の中心部が焦土と化し、「甚大な」というよりも「壊滅的な」被害を受けた帝都・東京。
こ、
こんなことが・・・
強気一辺倒の後藤も、極めて大きな衝撃を受けました。
山本権兵衛内閣では、組閣中に発生した関東大震災を受けて、
後藤さんに
帝都を復興して頂きたい!
分かりました!
お任せを!
内務大臣と帝都復興院総裁に就任します。
帝都(東京)復興院総裁となった後藤は、
東京を改造して、
新しい都市づくりをしよう!
大いに意気込み、
東京を全く異なった
近代的な都市に改造するのだ!
パリのような街にしようと試みます。
ところが、あまりに急進的であり多額の費用がかかる計画であったため、
おい!
なにを無茶なことを言っているんだ!
後藤が考えていることは、
滅茶苦茶過ぎる!
地権者の反対等もあったため、後藤が考えたような東京改造の大部分は頓挫してしまいます。
「東京改造」は頓挫しましたが、東京再生に大きな貢献をしました。
優秀な官僚であり、政治家でもあった後藤新平の能力は非常に多岐に渡ります。
日本国内のみならず、海外からも様々な表彰を受けた後藤。
極めて多岐にわたる分野で、獅子奮迅の大活躍をしました。
次回は上記リンクです。