前回は「歴史上の人物 10〜歴史のまとめ・覚え方・流れ・欧米の知識に開眼した若き頃・薩摩藩の先進性と商売・ビジネス・卓越したビジネスセンス・西南戦争から遣英使節団の一人へ・一度決まった「大阪遷都」・木戸と大久保の狙い・大阪の立役者・大阪経済と財界の中心〜」でした。
明治時代の大物ですが、少し細かい人物です。
薩摩藩士出身で、薩英戦争・戊辰戦争に従軍し、海軍士官となる。
西郷従道に目をかけられ、日清戦争後に海軍大臣となり、日露戦争の際に東郷平八郎を連合艦隊司令長官に任命。
その後、2度にわたり総理大臣となる。
明治日本海軍の立役者:海軍への熱き思い
答えは山本権兵衛です。
西郷隆盛の推薦で、勝海舟に海軍の指南を受けたとされます。
山本どん・・・
これからは海軍を増強する必要あるごわす・・・
四方を海に囲まれ、「海から欧米列強の恫喝を受け続けた」日本。
太平洋・日本海などの「海に面した」藩が大多数の中、「外洋に目が向いてきた」薩摩藩。
そして、当時最強の軍隊であり「明治維新の原動力」であった薩摩でしたが、
我が薩摩藩は、陸軍には大勢の人材がおるが、
海軍は、ほとんどいない・・・
これは、薩摩藩に限ったことではなく、すべての藩で海軍の人材が少なかったのです。
それは、徳川幕府によって、
各藩が、大きな船を作るのは
絶対にダメだ!
という禁制があったため、海軍以前に「軍艦を作る能力がない」のが現実でした。
そのため、海軍に関しては、徳川幕府の政治家・官僚の方が「はるかに優れた人物が多い」のでした。
まあ、俺は咸臨丸を
動かして米国へ行ったからな・・・
私は欧州で
海軍を学んだのだ!
そこで、「勝と親しかった」西郷は、
海軍は、
勝さんに学ぶが良か!
西郷先生のおっしゃる通り、
勝先生に学びます!
そして、順調に明治新政府で「海軍で身を立てつつあった」山本。
海に囲まれた日本は
海軍を増強して、欧米列強に対抗する!
ところが、突如一大転機が訪れました。
岩倉どん、一蔵(大久保)どんとは
意見が全く合わない!
もう薩摩に
帰るわ!
征韓論(明治六年の政変)で西郷隆盛が下野すると、
私も西郷先生に
ついてゆきます!
山本も追って下野して薩摩に戻ります。
ところが、
山本どんは、
まだ若いごわす・・・
篠原どん、桐野どんたちもおるから、
一蔵(大久保)どんと一緒に新政府盛り立ててくいやんせ!
西郷隆盛自身の説得を受けた山本。
西郷先生が
そうおっしゃるなら、政府に戻ります・・・
明治政府に戻ります。
西郷従道との絶妙なコンビ
西郷下野後に西南戦争が勃発し、西郷隆盛は自刃します。
ここらで
よか・・・
西郷隆盛亡き後は、西郷隆盛の弟の西郷従道に能力を認められます。
山本どん・・・
一緒に海軍をつくってゆこう!
分かりました!
お任せを!
恩人の西郷隆盛の実弟である西郷従道に従って、道を切り拓いてゆくことに決めた山本。
それは、山本の歴史を考えれば、至極当然のことでした。
日清戦争後には海軍省内で、大幅な人事刷新を断行します。
とにかく、優れた人物が
上に行くのだ!
頭が古い連中は、
クビ!
おい、山本!
一体、お前は何様なんだ!
猛烈な反発を受けた山本ですが、
私は山本どんを支持するから、
存分にやりなさい!
分かりました。
思い切ってやります!
山本のせいで、
クビになってしまった・・・
西郷従道のバックアップもあり、「人事刷新」で日露戦争に備えます。
1902年の日英同盟締結を積極的に支持した山本。
ロシアと対抗するには、
大英帝国との同盟はベスト!
日露戦争の足音が聞こえてくる中、大英帝国の戦艦購入を目論みますが、肝心の予算がありません。
ロシアの大規模艦隊に対抗するためには、
日本も最新鋭戦艦が必要だ。
だが、ない袖は
振れない・・・
困った海軍大臣の山本。
「海軍のドン」である西郷従道に相談にゆきます。
ロシアと戦うには、大英帝国の軍艦が
必要ですが・・・
もはや、海軍には手元資金が
枯渇しておりまして・・・
そうか・・・
・・・
しばし目を瞑って、考えた西郷従道 元海軍大臣。
ならば、
予算を流用するがよか・・・
な、なんと
予算流用ですか?
これはやってはいけないことだが、
国家のためごわす!
発覚したら、二人して二重橋(皇居)で
腹切れば良か!
「恩人・西郷隆盛の弟」であり「海軍のボス」である西郷従道の思い切った発言に対し、
西郷さんが、そこまで言ってくれるなら、
私も腹を決めましょう!
予算流用して、
大英帝国の戦艦を購入します!
そして、予算を流用して大英帝国から購入に踏み切りました。
その軍艦こそ、のちに連合艦隊の旗艦となった戦艦三笠です。
このスケールの大きさは、すごいことです。
「予算流用」という「犯罪」を「国家のためにあえて実行した」山本。
その胆力・決断力は、第一級でした。
東郷平八郎連合艦隊司令長官の任命:強き意志を貫く
日露戦争開戦時には、連合艦隊司令長官として東郷平八郎を指名します。
ロシアと戦うには、
東郷平八郎が良いのだ!
のちに「日本海軍の神様」となった東郷平八郎。
実は、当時は「それほど高い名声があったわけではない」存在でした。
東郷平八郎だって?
あいつ、そんなに大したことないだろう!
なぜ、東郷なんだ?
日高がいるだろう!
実は、「連合艦隊司令長官になるはず」だった薩摩出身の日高壮之丞がいたのでした。
東郷起用の理由を、明治天皇に尋ねられた山本。
なぜ、
東郷がよいのか?
彼は運が
良いですから・・・
この人事は、さらに猛反発を受けました。
おい、山本!
勝手に東郷って決めるなよ!
この猛反発に対して、山本は
司令長官など海軍人事は、
海軍大臣の専権事項!
つまり、私が「勝手に決めること」なのだ!
外野は黙っていろ!
山本は反論を突っぱねて、東郷平八郎の連合艦隊司令長官への任命を断行します。
山本に大いなる期待をかけられた、東郷平八郎連合艦隊司令長官。
山本大臣はじめとした方々の
大いなる期待に応えねば!
全身全霊で立ち向かい、
必ずや強敵ロシア海軍を破ってみせる!
補佐役の秋山真之参謀らと共に、ロシアバルチック艦隊を、完膚なきまで打ち破る大功をあげます。
当時、第日本帝国海軍がロシア帝国海軍に勝つことができた理由。
それは軍艦にしても司令長官人事にしても、多くは山本権兵衛 海軍大臣のおかげと言えるでしょう。
東郷よ!
良くやった!
関東大震災直後の2回目の総理大臣の際は、後藤新平と共に帝都(東京)復興に尽力しました。
明治維新期には、欧米列強と比して「海軍不在」に近い状況だった日本。
山本権兵衛、西郷従道たちの尋常ならざる努力により、大日本帝国海軍は飛躍を続けました。
そして、第二次世界大戦には「先輩の大英帝国」を抜き、米国に次ぐ海軍を有した大日本帝国。
第二次世界大戦・太平洋戦争の一つの側面。
それは、「世界の海軍の1位(米国)と2位(日本)の頂上決戦」でもあったのでした。
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