前回は「歴史上の人物とまとめと流れ〜日露戦争の日本陸軍司令官・児玉源太郎との名コンビ・「将に将たる器」を持つ稀有な人物・西郷隆盛の従兄弟・バルチック艦隊に大快勝・世界中が驚愕した決戦〜」の話でした。
今回は明治維新の人物・出来事を考えてみます。
幕末と戊辰戦争のまとめとして、考えてみましょう。
1.長州藩出身の蘭学者・医師。長州藩の軍事指揮者の一人となる。
戊辰戦争では軍事の中心人物の一人となり、江戸城明け渡し後の上野の幕軍残党を倒す。
明治新政府の初代兵部大輔を務める。
2.1の人物が討伐した上野の幕軍の名前。上野の拠点名。
医師から新政府陸軍の総指揮官へ:長州藩の希望の星
1は大村益次郎です。
元は村田蔵六という、適塾出身の医師でした。
医学は、とても奥が深く、
蘭学は非常に進んでいる・・・
蘭学への深い知識があり、当時最新鋭だった西洋兵学に非常に詳しい人物でした。
蘭語(オランダ語)は
ほとんど理解できるようになった・・・
桂小五郎(木戸孝允)の強力な推薦により、表舞台に出ます。
村田(大村)は、
蘭語を理解できるから・・・
最新の西欧の軍事学も
理解できる・・・
最新の軍事学ならば、
戦略・戦術・用兵に大きな力を持つだろう・・・
木戸は「人物を見る目」がありました。
我が長州の思いを
天皇へ!
御所へ
攻め込め!
「御所へ攻め込む」という前代未聞の「重大事件」を引き起こし、敗北した長州。
む、
無念だ・・・
「若手ホープ」の久坂玄瑞は自決しました。
禁門の変(蛤御門の変)で、「朝敵」となってしまった長州藩。
徳川幕府による長州征討では、高杉晋作らと共に一方の軍事指揮官となりいよいよ頭角を表します。
はっは〜!
幕軍を蹴散らせ!
天才的能力で、長州軍のボスとなり、幕軍相手に暴れ回った高杉でしたが、
もう少し、
もう少し行きたかったのう・・・
長年の無理もあり、29歳で病死してしまいました。
高杉や久坂が
死んでしまった・・・
ところが、幕末に久坂玄瑞・高杉晋作らが次々と亡くなってしまい、人材が急速に減少した長州藩。
極めて優れた人物である一方で、「書生のような若々しさ」で「生き急いだ」高杉・久坂たち。
人物が払底する長州藩にあって、「落ち着いた」村田は「長州藩の希望の星」でした。
高杉・久坂がいない今、
村田に全てを任せるしかない・・・
徳川幕府軍との最終決戦:江戸での戦い
大村よ、
全て軍事指揮を任せたい・・・
お任せを・・・
全ては、
理論でいけるはずです・・・
大村の存在感は益々高くなり、戊辰戦争では軍事指揮を執ります。
極めて優秀でしたが、かなりぶっきらぼうな性格であった大村。
医師の時代に、
村田先生、
暑いですねえ〜
村の人から「暑いですね」と挨拶された時。
これは日本人ならば分かりますが、この後は、
暑いですねえ〜
最近は、いかがですか?
会話のキャッチボールが続く「挨拶」です。
ところが、村田(大村)は、
夏は暑いのが
当たり前です!
「暑いのは当たり前」と返答し、
・・・・・
これでは会話が続かず、人間関係に支障をきたすレベルでしょう。
これは、「合理的思考の権化」であった大村にとっては、
「夏は暑いのが
当たり前」は極めて合理的回答!
こう考えていたようです。
「人格的には、かなり難しい」大村でしたが、木戸とは折り合いが良く、
推薦してくれた
桂(木戸)さんのために頑張ろう!
長州軍の指揮官から、「新政府軍の最高指揮官」となります。
戊辰戦争の際、上野寛永寺(2の答え)に立て籠った彰義隊(2の答え)撃滅の軍事指揮を執ります。
我が長州の代表として、
大村に指揮を執ってもらいたい!
これも木戸の強力な推薦・バックアップあってのことでした。
西郷隆盛を敵視:西南戦争への備えと熊本鎮台設置
薩摩の西郷隆盛とは、ずっと折り合いが悪かった大村。
西郷・・・
奴は大問題のある人物だ・・・
大村は西郷を「悪党の如く」非常に敵視していました。
これは、西郷が大嫌いな木戸の影響もあります。
西郷め・・・
奴のせいで、我が長州藩士は大勢死んだのだ・・・
木戸さんの言う通り、
西郷は、悪党の素質があります・・・
そして、大村は新政府軍で初代兵部大輔になります。
現在の防衛省次官であり、兵部卿(大臣)が公家だったので、軍事の実権を握ります。
西郷は、
必ず将来禍根をもたらす・・・
敵視する西郷隆盛が唯一の陸軍大将でしたが、冷静な大村は粛々と様々な改革を行います。
新政府内で物事を最も合理的・論理的に考える大村。
彼からすると、西郷隆盛の人格や生き様は「非常に危険」でした。
大村は、
西郷は、
必ず反乱を起こす人物だ・・・
「西郷は反乱を起こすだろう」と読んだ大村は、慧眼の持ち主でした。
新政府の間違った
政治を正すごわす!
そして、後に「大村の想定通り」に大反乱を起こした西郷隆盛。
維新10年後の西南戦争を予期したとも言え、大村の頭脳が優れていたのです。
軍事を主導していた大村にとって、西郷を非常に敵視しました。
おそらく「同じ薩摩出身」で「明治新政府の巨頭」の大久保には、あまり興味がなかったのでしょう。
大久保には、
別に興味がない・・・
西郷は非常に危険だ・・・
奴は危険すぎる・・・
と考えた大村は、将来「西郷及び薩摩軍団が反乱を起こす」ことを想定します。
そして、「対薩摩」の布陣で、
熊本鎮台・大阪鎮台を
設置するのだ・・・
本来「対外戦争を意識した」はずの鎮台でしたが、
西郷が反乱を起こした場合、
熊本鎮台・大阪鎮台で順次迎撃・・・
その間に
東京から救援部隊を増派する!
熊本鎮台と大阪鎮台は「対・西郷」という考えでした。
鎮台は、いわば軍事拠点で、最初は国内に4箇所しかありませんでした。
1869年という新政府初期の段階で暗殺されてしまった大村。
こんなところで、
私が死ぬのか・・・
西郷軍を
ここ(熊本鎮台)で防ぐのだ!
実際に、大村の構想であった「熊本鎮台」は西南戦争で政府を守りました。
西郷が考えることくらい、
私は全て読み通していたわ!
結果的に、大村の想定通り「熊本鎮台=熊本城」が西郷軍を大きく阻みました。
そして、超強力な西郷軍を撃退する大きなチャンスとなったのです。
次回は下記リンクです。