前回は「歴史上の人物とまとめと流れ〜土佐藩出身の猛将・新政府軍に反感持つも、武士らしさ貫く・土佐と長州と薩摩・西南戦争を戦い抜いた若き参謀・日露戦争〜」の話でした。
下記の、幕末の人物・事件を考えてみましょう。
漢字で答えられるようにしましょう。
1.幕末の長州藩の人物で松下村塾で学ぶ。
徳川幕府が長州征討を決定し、長州藩が幕軍から侵攻される際、藩兵・民兵を率いて幕軍を撃退。
海軍総督として長州藩を支えるが若くして病死。
2.徳川幕府が長州征討を決定した原因で、長州藩が京へ侵攻した事件名。
3.1の人物が組織した民兵の名称。
明治維新の導火線に火をつけた男:疾風怒濤の如く
1は高杉晋作です。
晋作の晋の字は、亡くなった安倍元首相の「安倍晋三の晋」と同じです。
幕末を、疾風怒濤の如く駆け抜けた高杉晋作。
英国大使館を
焼き討ちだ!
なんと、当時、世界最強国である大英帝国の大使館を焼き討ちしました。
現代で言えば、東京の米国大使館を大砲で砲撃し、攻撃するようなものであり、
米国大使館を
攻撃って、何考えてるんだ?
流石に、大使館を
攻撃するのは・・・
「理解し難いこと」であり、当時の「大英帝国大使館焼き討ち」もまた異常事態でした。
英国大使館を
焼き討ちしてやろう!
こう「考えた」方は、一定数いたでしょう。
ところが、
英国大使館を本気で
焼き討ちしてやる!
本気で「実行を考えた」方は、極めて少数派であったはずです。
「世界最強国に喧嘩を売る」ことは「常人の発想では不可能」です。
とにかく
やるんだ!
やれば、大英帝国の関係者に「逮捕される」では済まず、処刑される可能性もありました。
この「実行できる人は、ほとんどいない大変な大事件」を実行することこそ、高杉の真骨頂でした。
幕末「煮えたぎった火薬庫」のような存在だった長州藩において、人一倍燃えていたのが高杉でした。
高杉たちの「先生」であった吉田松陰の過激な姿勢。
とにかく
実行あるのみなのだ!
高杉は「明治維新の導火線に火をつけた男」と言って良いでしょう。
何事も実行しなければ、
意味がない!
長州藩内部で、俗論党に押されて一度失脚します。
くっ・・・
一時、雌伏の時期だ・・・
「危険すぎる高杉」は、
高杉を放っておくと、
何をするか分からん・・・
長州藩上層部の考えによって、高杉は牢屋に入れられます。
高杉よ・・・
少し頭を冷やせ・・・
「高杉を牢屋に入れた」ことは、ある種の「温情」でもありました。
この勢いで暴れ回ったら、
高杉は若くして死んでしまう・・・
・・・・・
そして、吉田松陰先生は、安政の大獄で処刑されました。
よ、吉田先生・・・
私が後を継ぎます・・・
私が、私が・・・
長州藩をまとめて、幕府を叩き潰してみせる!
最終的に長州藩の軍事の中心人物となって、長州藩を支えました。
禁門の変:長州の木戸と薩摩の西郷
2は「禁門の変」あるいは「蛤御門の変」です。
どちらでもOKですが、「禁門の変」の方がベターでしょう。
「蛤御門」は「門の名称」ですが、「禁門」は文字通り「御所にしかない門」です。
高杉は久坂玄瑞と共に、「松下村塾で、特に松陰に目をかけられた双璧・優等生」でした。
京都から駆逐された長州藩は、
おのれ!
我が長州藩の本領を見せてくれるわ!
激昂して、
御所へ
攻め込むのだ!
長州藩が大軍勢で御所へ攻め込んだ大事件です。
日本の歴史において、「将軍が暗殺された」や「将軍がいるところが攻撃された」事はあります。
ところが、「絶対的存在であった天皇陛下」がいる「御所を攻撃」は、「完全な禁じ手」でした。
「禁じ手」というよりも「御所は攻撃する対象ではない」のが、当時の日本人の通念でした。
御所を攻撃するのは、
人しての道に外れるかもしれない・・・
優等生であった久坂は「御所攻撃が禁じ手」であることは、十分に承知していました。
だが、御所を・・・
攻撃するしかないのだ・・・
他に・・・
他に我ら長州が打てる手はない・・・
とにかく「完全に追い込まれていた」のが、当時の聴衆でした。
この時、徳川幕府や会津藩と一緒に、長州藩を撃退したのが西郷率いる薩摩藩でした。
当時、薩摩藩は明確な「徳川幕府方の立場」でした。
長州めが!
御所を攻撃だと!
さすがに、長州の連中といえど、
御所は攻撃しないのでは・・・
「守りを固めて準備していた」西郷ですが、「御所攻撃」には半信半疑だったのが実情でした。
西郷先生!
長州が御所へ攻め込んできました!
本気か!
一体何を考えているのだ!
とんでもない
連中だ!
皆のもの、長州藩士を
全て撃退するごわす!
ははっ!
西郷先生に続け!
我が薩摩の力を
見せつけるのだ!
チェスト!
行け〜!!!
ははっ!
我らが、長州を潰して見せます!
もともと「勝ち目のない戦い」を仕掛けた長州藩。
くっ・・・
会津だけでも厄介なのに、薩摩まで・・・
我が薩摩の鉄砲の
威力を見せつけよ!
薩摩め・・・
絶対に、絶対に許さんぞ!
幕軍・会津軍・薩摩軍などの連合軍に猛反撃されて、撃退されました。
首謀者の一人で「若手のホープ」だった久坂玄瑞は若くして、責任をとって自決(自殺)しました。
む、
無念だ・・・
御所への出撃に猛反対していたのが、もう一方の「若手ホープ」の桂小五郎(後の木戸孝允)でした。
こ、これは・・・
長州は滅びてしまう・・・
とにかく、
私も長州へ逃げねば・・・
乞食の如く身をやつし、辛くも京から本国・長州へ逃げます。
長州藩の若手筆頭的立場であった久坂が自決に追い込まれ、長州軍は壊滅状態に陥りました。
さらに、自分も死ぬような「九死に一生を得た」思いをした木戸。
おのれ・・・・・
西郷め・・・・・
木戸孝允が、生涯通して「西郷を憎んだ」のは当然でした。
この「木戸の西郷への思い」は、明治時代となり、木戸が死ぬまで変わりませんでした。
奇兵隊:武士ではない「非正規軍」
3は奇兵隊です。
もはや、長州は
滅亡寸前だ・・・
正規軍だけでは、
幕軍と戦うのに戦力不足・・・
武士・侍ではない
新たな軍隊を募る!
正規兵ではないから、
奇兵隊と名乗る!
まさに「正に対して奇」を実行した高杉。
幕末を駆け巡った高杉は、病のため29歳で亡くなってしまいました。
もう少し、
もう少し戦いたかったのう・・・
陸軍だけではなく、軍艦に乗って暴れ回った高杉は海軍の軍事能力も高かった人物です。
多数の優れた人物を輩出した幕末において、「陸海軍両方の軍事能力が卓越した」圧倒的人物でした。
面白き・・・こともなき世を
面白く・・・
病とはいえ、若い頃から「死と隣り合わせ」で苦労し続けてきた高杉。
た、
高杉・・・
病死とはいえ、生命エネルギーを使い果たし、事実上「戦死」であったのが高杉でした。
この時、高杉の補佐役である「奇兵隊の軍監」を努めていたのが山縣狂介、後の山縣有朋でした。
若い頃から、伊藤俊輔(博文)と「ヤンチャ坊主」だった山縣は、
私が高杉さんの
後継者だ!
「奇兵隊を知る男」であり、「高杉晋作の後継者」であった山縣は新政府の超重要人物となりました。
高杉死後、明治新政府で陸軍卿となり、最後は内閣総理大臣となった山縣。
日本陸軍は、
全てワシが握っておる!
「日本陸軍の法皇」と言われるほど強力な権力を持ちました。
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