前回は「ドイツで驚愕した後藤新平〜西洋欧米への日本の強い憧憬・明治期の日本と欧州と米国・学問から国家の姿まで「丸ごと輸入」した日本・寺子屋と識字率〜」の話でした。
飛び級して東大医学部へ進級した森鴎外:超成績優秀だった鴎外
1862年生まれの森林太郎(鴎外)は実年齢を偽って、1873年に11歳で東大医学部へ入学しました。
11歳で
東大医学部だぞ!
当時は、大学制度確立の過渡期であり、森のように「実年齢を偽る」方は多くいました。
そして、1881年、満19歳で東大医学部を8位の成績で卒業した森。
江戸時代(徳川時代)から明治時代になり、混乱期であった時期に東大(帝大)医学部を卒業した森。
19歳で
東大医学部卒業だぞ!
現代の日本では考えられない「超飛び級」です。
現代の大学受験制度と全然異なる制度であった当時。
当時の東大医学部入学は、現代の「東大理科III類へ合格」とは少し異なりそうです。
それでも、当時は頭脳明晰な人物が大勢向かった先であった医学。
そして、中でも「西洋医学を学ぶ」のは、超一流の子弟だけでした。
当時は、東大ではなく「日本でただ一つの帝国大学」であった帝国(東京)大学。
まだ10代なのに、
8位で東大医学部卒業だ!
それは制度の甘さもありましたが、森の頭脳が超抜群だったことが大きな理由でした。
鴎外の子どもたちの「不思議な名前」
文豪として有名な森鴎外の正体は、極めて優れた能力を持った軍医である森林太郎でした。
帝大(東大)医学部に史上最年少で合格し、非常に頭脳明晰で優れた軍医だった森林太郎。
まあ、
私は頭は大変良い!
現代であれば、日本全国の模試・試験で常にトップを走り続けたであろう大秀才でした。
軍医であった森林太郎にとっては、
実は私の正体は
森鴎外!
「正体は森鴎外」だったかもしれません。
そして、文豪・森鴎外にとっては、
実は私の正体は
軍医の森林太郎!
「正体は森林太郎」だったかもしれません。
いずれにしても、軍医の最高階級であった軍医総監にもなった森林太郎。
「文豪と軍医トップ」の、どちらかの人生を送るだけでも大変な功績です。
それを「二つ同時にこなした」巨大な才能を持っていたのが、森鴎外でした。
そして、1882年、20歳の時から6年間プロシア(ドイツ)へ留学しました。
私の医学は全て
プロシア(ドイツ)で学んだ!
懸命に学んだ森は、ここでも「超明晰な頭脳」を活かし続けました。
ドイツ語は
ドイツ人にも負けないぞ!
猛勉強し、頭脳明晰な森は、ドイツ人に引けを取らないほどドイツ語が堪能になりました。
そして、男子3人・女子2人の子どもに恵まれた森鴎外。
「ドイツかぶれ」の鴎外は、子どもたちに下記のような「不思議な名前」をつけました。
子供 | 名前 |
長男 | 於菟 |
次男 | 不律 |
三男 | 類 |
長女 | 茉莉 |
次女 | 杏奴 |
難しい漢字も多いです。
長男が
まず分からない・・・
長女は同級生にもいるけど、
「まり」だね・・・
でも、他の子の名前の
読み方は分からない・・・
読み方を確認してみましょう。
子供 | 名前 | 読み方 |
長男 | 於菟 | おと |
次男 | 不律 | ふりつ |
三男 | 類 | るい |
長女 | 茉莉 | まり |
次女 | 杏奴 | あんぬ |
これでも、まだちょっとピンとこないです。
ひょっとして、
外国の方の名前?
「るい」や「まり」は、いかにも「外国の名前」です。
本来の外国の音にしてみましょう。
子供 | 名前 | 読み方 | 由来 |
長男 | 於菟 | おと | オットー |
次男 | 不律 | ふりつ | フリッツ |
三男 | 類 | るい | ルイ |
長女 | 茉莉 | まり | マリ |
次女 | 杏奴 | あんぬ | アンヌ |
なんだ、
そういうことね!
全て「外国の名前が元」であり、「漢字を無理やり当てた」名前が本性でした。
欧州への極めて強い憧憬を持った鴎外たち
これほど偏った「不思議な名前」をつけた森鴎外(林太郎)。
まず長男のオットーは、当時プロシア(ドイツ)で「鉄の宰相」と言われたビスマルクです。
ドイツ留学から帰国した直後に結婚した森鴎外。
あのドイツに
ちなんだ名前にしよう!
これで、「オットー」→「おと」→「於菟」に決まりました。
「於菟」の漢字は、いずれも珍しい漢字です。
両方とも、現代で使うことは非常に稀です。
おそらく、現代において、この字を名前に持っている方は非常に少ないでしょう。
次男のフリッツは、当時のドイツ皇帝からです。
ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ルートヴィヒ・フォン・プロイセンという長い名前のドイツ皇帝。
「フリードリッヒ」は欧米では「フリッツ」という愛称で呼びます。
「デービッド」なら「デイブ」など、欧米では短くして名前を呼ぶ慣習があります。
三男のルイは、とて分かりやすいです。
フランス共和国にたくさんいる「ルイ〜世」という王様に由来するのでしょう。
長男・次男にドイツ由来の名前をつけた鴎外は、
ドイツの
次は・・・
次は
フランスかな・・・
そんな「気軽な気持ち」もあったのでしょう。
そして、長女と次女の「マリ」と「アンヌ」です。
フランス共和国の女性の象徴であり、「自由の女神」とも言われる「マリアンヌ」。
欧州では「知らない人はいない」ほど有名です。
プロシア(ドイツ)に傾倒しきっていた鴎外ですが、
プロシア(ドイツ)は、
帝国主義で男子には良いが・・・
女の子は、
やっぱりフランスかな・・・
現代日本においても、「欧州の女性」と言ったら「フランス人女性」がトップに上がるでしょう。
最も華やいだ雰囲気のあるフランス人女性。
そのイメージを、森鴎外は自分の娘に託したのでしょう。
深読みすれば「舞姫」のこともあり、
ドイツ人女性より、
フランス人女性の方がいいかな・・・
「ドイツ人女性は避けた」のかもしれません。
この世界最先端の欧州に極めて強い憧憬を持っていたのは、森だけではありませんでした。
やっぱり、欧州が
一番だ!
当時の日本の知識人にとって、欧州こそが「学問上、最高の地」だったのです。
次回は上記リンクです。