医師から内務省官僚へ転身した後藤新平青年〜恩人の安場保和の娘との結婚とドイツ留学・北里柴三郎との出会い・内務省衛生局長へ〜|後藤新平18・明治中期の日独

前回は「超大物・板垣退助に喧嘩を売った後藤新平青年〜大いなる強気と苦言・愛知県病院長へ出世・上下水道完備を強く推進・政界の大物の治療〜」の話でした。

後藤 新平(Wikipedia)
目次

医師から内務省官僚へ転身した後藤新平青年

板垣 退助自由党総理(Wikipedia)

当時、野党とはいえ政界の超大物であった板垣退助の治療に懸命に取り組み、成功した後藤青年。

後藤新平

板垣退助とは、
まさか・・・

後藤新平

あの迅衝隊の
乾退助か!

幼き頃に「地獄の苦しみ」を味わう人生となった後藤。

後藤新平

あの頃は、
最も辛い時期であった・・・

そのキッカケを作った人物の一人が、他ならぬ今は板垣退助となった「かつての乾退助」でした。

後藤新平

土佐の
乾退助か・・・

後藤新平

俺を賊軍にした
一派か・・・

いわば後藤青年にとっては、「仇」に近い存在の板垣退助。

ここで、後藤は「仇への感情」より「医師の責務」を優先しました。

後藤新平

医師として
最大限尽くす!

後藤は、懸命に板垣を治療して回復させました。

ところが、超勝気で鳴らした後藤青年。

若さもあって「何か言わなければ、腹の虫が治らない」状況です。

後藤新平

ご負傷ですか・・・
ご本望でしょう・・・

板垣退助

な、なにっ!!
ふん!

板垣退助

後藤は
政治向きだ!

心の中で思っても、政界の超大物相手に、こんなことが言える人物は極めて少数でしょう。

そして、板垣の「後藤は政治向き」という言葉。

この言葉は、実は「後年の後藤の人生の予言」となりました。

板垣退助

奴は医師にしておくには、
勿体ないわ!

当時も現代も、医師は重要な立場ですが、板垣にとっては、

板垣退助

混迷極めた今こそ、
政治家が最も重要!

「政治家こそが世を導く」存在でした。

この点で後藤も板垣も相当な人物であり、「士は士を知る」と言える状況でした。

この時点では、まだ「政治家の要素」は全くなかった後藤。

後藤新平

予防が
大事です!

後藤新平

上下水道の整備など、
病原菌を絶つのです!

内務省衛生局で、積極的に「予防の重要性」を説いて回った後藤青年。

内務省官僚V

あの後藤新平という奴は、
少しやかましいが・・・

内務省官僚W

言っていることは
真っ当だな・・・

そして、後藤は、ますます名声が上がりました。

軍医 石黒忠悳(Wikipedia)

そして、軍医であり、かなりの権限を持っていた石黒忠悳に認められました。

石黒忠悳

後藤よ・・・
内務省に来てくれないか・・・

後藤新平

人を治療することも
大事だが・・・

後藤新平

予防は
もっと大事だ!

石黒忠悳

君にはぜひ、
予防の最前線で活躍して欲しい!

後藤新平

はいっ!
分かりました!

後藤新平

内務省へ
行きましょう!

内務省の官吏(官僚)となり、予防学などの確立に尽くすことになった後藤青年でした。

恩人・安場保和の娘との結婚とドイツ留学

安場保和 愛知県令(Wikipedia)
後藤新平

内務官僚として
頑張るぞ!

張り切る後藤に、さらなる転機が訪れます。

人生の大きな節目となる「結婚」です。

安場保和

娘を
頼むぞ!

後藤新平

はいっ!
必ず幸せにしてみせます!

恩人とも言える安場保和の娘と結婚して、身を固めた後藤。

後藤新平

安場さんの娘さんは
必ず幸せにしなければ!

後藤新平

よしっ!
さらに頑張るぞ!

石黒忠悳

ドイツの医学は
我が国よりはるかに進んでいる。

石黒忠悳

ドイツに留学し、
学んでこい!

後藤新平

はいっ!
分かりました!

そして、後藤はドイツに向かいました。

医師・最近学者 Robert Koch(Wikipedia)

当時のドイツは、「近代細菌学の父」と呼ばれるロベルト・コッホなどがおり「医学のメッカ」でした。

後藤が留学している頃、ドイツ南部でアインシュタインは、まだ子どもでした。(上記リンク)

後藤新平

これが
ドイツの医学科か・・・

後藤新平

これはすごい!
凄過ぎる!

後藤新平

日本の医学は
一体なんなんだ・・・

あまりに日本とドイツの医学のレベルの違いに愕然とします。

後藤新平

頑張って
全てを吸収するぞ!

そして、ドイツで一生懸命学んだ後藤新平でした。

北里柴三郎との出会い:内務省衛生局長へ

医師 北里 柴三郎(Wikipedia)

当時、日本の優れた医師が沢山学んでいたドイツ。

ドイツ留学中に、後藤は様々な人物と出会います。

その一人に、医師の北里柴三郎がいました。

東京医学校(東京大学医学部)を出て、「近代日本医学の父」と言われる北里柴三郎。

北里もまた、後藤とおなじ内務省衛生局に勤めていました。

後藤新平

おおっ!
北里さん!

北里柴三郎

やあっ!
後藤さん!

ウマがあった二人は、親しく交際しました。

後藤新平

北里さんは、
素晴らしい!

北里柴三郎はノーベル賞第一回生理学・医学賞の最終15名にノミネートされました。

それほど、北里=Kitazatoの名前は世界で知られる存在でした。

そして、この後に後藤が大変な苦難の道を進むことになりますが、その間も二人の友情は続きます。

ドイツで一生懸命学んだ後藤。

後藤新平

日本と
全然違う・・・

後藤新平

ドイツが、
こんなにも進んでいるとは・・・

後藤新平

日本の医学は
一体なんなのだ・・・

ショックを受けた後藤。

帰国して、

後藤新平

いよいよ日本で
頑張るぞ!

長与専斎 内務省衛生局長(Wikipedia)
長与専斎

ああ、
後藤よ・・・

長与専斎

私の後任に
衛生局長になって欲しいのだが・・・

後藤新平

はいっ!
任せて下さい!

順風満帆すぎるほどの後藤の人生。

これから、さらに上昇してゆくしかなかった後藤新平。

誰が見ても「順風満帆すぎる人生」だった後藤の生き様でした。

ところが、後藤はこの後に「思いがけない大事件」に巻き込まれることになります。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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