前回は「超大物・板垣退助に喧嘩を売った後藤新平青年〜大いなる強気と苦言・愛知県病院長へ出世・上下水道完備を強く推進・政界の大物の治療〜」の話でした。
医師から内務省官僚へ転身した後藤新平青年
当時、野党とはいえ政界の超大物であった板垣退助の治療に懸命に取り組み、成功した後藤青年。
板垣退助とは、
まさか・・・
あの迅衝隊の
乾退助か!
幼き頃に「地獄の苦しみ」を味わう人生となった後藤。
あの頃は、
最も辛い時期であった・・・
そのキッカケを作った人物の一人が、他ならぬ今は板垣退助となった「かつての乾退助」でした。
土佐の
乾退助か・・・
俺を賊軍にした
一派か・・・
いわば後藤青年にとっては、「仇」に近い存在の板垣退助。
ここで、後藤は「仇への感情」より「医師の責務」を優先しました。
医師として
最大限尽くす!
後藤は懸命に板垣を治療して回復させました。
ところが、超勝気で鳴らした後藤青年。
若さもあって「何か言わなければ、腹の虫が治らない」状況です。
ご負傷ですか・・・
ご本望でしょう・・・
な、なにっ!!
ふん!
後藤は
政治向きだ!
心の中で思っても、政界の超大物相手に、こんなことが言える人物は極めて少数でしょう。
そして、板垣の「後藤は政治向き」という言葉こそ実は「後年の後藤の人生の予言」でした。
この点で後藤も板垣も相当な人物であり、「士は士を知る」と言える状況でした。
予防が
大事です!
上下水道の整備など、
病原菌を絶つのです!
内務省衛生局で、積極的に「予防の重要性」を説いて回った後藤青年。
あの後藤新平という奴は、
少しやかましいが・・・
言っていることは
真っ当だな!
ますます名声が上がりました。
そして、軍医であり、かなりの権限を持っていた石黒忠悳に認められます。
後藤よ・・・
内務省に来てくれないか・・・
人を治療することも
大事だが・・・
予防は
もっと大事だ!
君にはぜひ、
予防の最前線で活躍して欲しい!
はいっ!
分かりました!
内務省へ
行きましょう!
内務省の官吏(官僚)となり、予防学などの確立に尽くすことになった後藤青年でした。
恩人・安場保和の娘との結婚とドイツ留学
内務官僚として
頑張るぞ!
張り切る後藤に、さらなる転機が訪れます。
人生の大きな節目となる「結婚」です。
娘を
頼むぞ!
はいっ!
必ず幸せにしてみせます!
恩人とも言える安場保和の娘と結婚して、身を固めた後藤。
安場さんの娘さんは
必ず幸せにしなければ!
よしっ!
さらに頑張るぞ!
ドイツの医学は
我が国よりはるかに進んでいる。
ドイツに留学し、
学んでこい!
はいっ!
分かりました!
そしてドイツに向かいます。
当時のドイツは、「近代細菌学の父」と呼ばれるロベルト・コッホなどがおり「医学のメッカ」でした。
後藤が留学している頃、ドイツ南部でアインシュタインは、まだ子どもでした。
これが
ドイツの医学科か・・・
これはすごい!
凄過ぎる!
日本の医学は
一体なんなんだ・・・
あまりに日本とドイツの医学のレベルの違いに愕然とします。
頑張って
全てを吸収するぞ!
そして、ドイツで一生懸命学んだ後藤新平でした。
北里柴三郎との出会い:内務省衛生局長へ
当時、日本の優れた医師が沢山学んでいたドイツ。
ドイツ留学中に、後藤は様々な人物と出会います。
その一人に、医師の北里柴三郎がいました。
東京医学校(東京大学医学部)を出て、「近代日本医学の父」と言われる北里柴三郎。
北里もまた、後藤とおなじ内務省衛生局に勤めていました。
おおっ!
北里さん!
やあっ!
後藤さん!
ウマがあった二人は、親しく交際します。
北里さんは、
素晴らしい!
北里柴三郎はノーベル賞第一回生理学・医学賞の最終15名にノミネートされました。
それほど、北里=Kitazatoの名前は世界で知られる存在でした。
そして、この後に後藤が大変な苦難の道を進むことになりますが、その間も二人の友情は続きます。
ドイツで一生懸命学んだ後藤。
日本と
全然違う・・・
ドイツが、
こんなにも進んでいるとは・・・
日本の医学は
一体なんなのだ・・・
ショックを受けた後藤。
帰国して、
いよいよ日本で
頑張るぞ!
ああ、
後藤よ・・・
私の後任に
衛生局長になって欲しいのだが・・・
はいっ!
任せて下さい!
順風満帆すぎるほどの後藤の人生。
これから、さらに上昇してゆくしかなかった後藤新平。
誰が見ても「順風満帆すぎる人生」だった後藤でしたが「思いがけない大事件」に巻き込まれることになります。
次回は上記リンクです。