前回は「運命の分かれ道に出会った後藤新平少年〜官軍と賊軍・奥羽列藩同盟盟主となった仙台藩・一大国家となった東北地〜」の話でした。
新政府軍との死闘:善戦する奥羽列藩同盟
「御三家に準じる家格」とも言える松平家。
さらに、元当主・松平容保は第十五代将軍 徳川慶喜に見込まれ、京都守護職という大役を務めました。
京都守護職となり、
京都を守ってほしい・・・
ははっ!
お任せを!
ところが、松平・会津藩以外は、伊達・仙台藩はじめ特に徳川家と親しい間柄ではありません。
まして、伊達家は徳川家とは「親しい間柄」とはとても言える仲ではないのです。
まっ、別に俺たちは
徳川に義理立てするつもりはないが・・・
だが、俺たちにも
武士の面目がある!
会津藩以外は、徳川に殉じる義理は「ない」のです。
そもそも、奥羽武士たちにとって、突然やってきて、
俺たちは
官軍だぜ!
と、「意気揚々と振る舞う」薩長が理解できなかったのです。
徳川の時代は
終わったのか?
一体どうなって
いるのだ?
旧式の武器が多いながら、奥羽列藩同盟は官軍相手に善戦します。
戦うしか
ないか!
武士の最後を飾った猛将・河井継之助:山本五十六が尊敬した河井
中でも、目覚ましい働きをしたのが、長岡藩家老の河井継之助。
当時、日本に数えるほどしかなかった、ガトリング砲で官軍を苦しめます。
あの薩長を
倒すのだ!
何が
「官軍」だ!
お前たちは、
「薩摩と長州」だろう!
勘違い
するなよ!
ところが、大量の軍勢に最新鋭兵器を抱える新政府軍に対して、奥羽列藩同盟は徐々に押されます。
・・・・・
後の世になって、第二次世界大戦の頃、同郷の大先輩である河井継之助をとても尊敬していた山本五十六。
河井先生のように
なるのだ!
7万石余という小さな藩を率いて、官軍相手に一歩も引かずに奮闘した河井の軍事能力は抜群でした。
いわば徳川時代の武士の最期を飾った猛将が河井継之助でした。
最終的には、
お前たちは
全員朝敵!
「朝敵」と指定されたものの、ギリギリまで抵抗する奥羽列藩同盟。
まさに、「日本の武士」の最後を飾る勢いでした。
沢山の同盟藩が
降伏してしまった・・・
もはや、我が仙台藩の
運命は・・・
官軍増援部隊の来襲:迅衝隊の乾退助
江戸では、徳川の残党が踏ん張っていたものの、官軍側が制圧を果たして一区切りつきます。
屈強の武士が集まっていた彰義隊もまた、官軍の最新兵器と勢いに押されて、倒されてしまいました。
どうやら、
関東はわが官軍が制圧したな!
奥州の列藩同盟が、
かなり頑強だ・・・
そして、苦戦する奥羽へ、官軍側が強力な増援部隊を送り込みます。
当時、精強さを誇っていた迅衝隊。
この迅衝隊を官軍は、奥羽の戦場へ送り込みます。
このいかにも危なそうで、強そうな軍団。
この屈強の軍団が、奥羽になだれ込んできました。
ちょっと怖そうで、絶対に「目を合わせたくない」方々でした。
この中でいかにも「大物」風な、上の写真:前列中央の人物が隊長でした。
率いていた迅衝隊隊長の名前は、土佐藩士 乾(いぬい)退助。
後の参議・板垣退助。
次回は上記リンクです。