前回は「強き意気込み持っていた後藤新平〜強気の源泉・伊達政宗との共通する巨大な個性・幕末維新期の仙台藩の歴史・仙台藩の立ち位置・全国3位の石高と高い名声〜」の話でした。
藩祖「伊達政宗」の巨大な影響
大抵の日本人なら知っている戦国大名 伊達政宗。
彼の知名度は、織田信長・豊臣秀吉と同程度と言っても良いほど、高い存在です。
今の世と異なり、「武士の世界」だった江戸時代。
「士農工商」という身分の序列があり、武士は最上位の立場に置かれていました。
我が伊達家は
奥羽守護の家柄だが・・・
本来は、奥州探題を
拝命しても良いほどの立場なのだ・・・
そして、
私は伊達家を大いに飛躍させた!
そして、一時は「奥羽に覇を唱えた」伊達政宗および伊達家。
非常に軍事能力が高い伊達家は、特に非常に強力・独自の「鉄砲騎馬隊」を生みました。
あと20年、
いやあと10年早くこの世に生を受けていれば・・・
伊達幕府も
夢ではなかったが・・・
「抜群に優れた男」伊達政宗が生まれた時期は、少し遅すぎたのでした。
諸藩のカラー:私立中高一貫校のカラーと日本の大学
当時、300の藩が別々の国のようであった江戸時代。
「別の国」と言っても日本語はある程度通じましたが、藩によって大きな特色がありました。
各藩は、それぞれがカラーと個性を持っていました。
藩ごとに文化・言語・風習が多少なりとも異なり、それぞれの強いカラーがあったのです。
現代においても、大阪弁の方が、
それは、
あかんわぁ〜・・・
と言えば、東京の人間でも、
ダメって
ことだな・・・
と分かりますが、
机の上のもの、
なおしとけよ!
と言われても、
えっ?
「机の上のもの」をなおす?
なんか、
修理しろ、ってことかな?
でも、別に壊れた
ものはなさそうだけど・・・
さっぱり「分からない」言葉も多数あります。
大阪弁で「なおす」とは「整理する」の意味ですが、東京の人間には意味不明です。
「整理する」がなんで
「なおす」になるの?
もし、大阪の方が思い切り大阪弁で話したら、
〜が〜で
〜ちゃう?
何言っているか
全然分からない・・・
東京の方が「全然分からない」こともあります。
中でも、最強の強烈なカラーと個性を持っていたのが薩摩藩です。
現代の鹿児島弁も、東京の人には「難解な言葉がある」と言われています。
当時の鹿児島弁ならぬ「薩摩弁」は、江戸っ子には全く分からない言葉でした。
そして、
加賀藩を
探れ!
仙台藩も
怪しいから、よく探索せよ!
徳川幕府は、多数の密偵を各藩に潜入させて、諸藩の情勢を掴んでいました。
薩摩を
探れ!
もちろん「徳川の敵」に近い存在の薩摩にも大量の密偵を送り込みますが、
薩摩に行った密偵が
全員戻りません・・・
非常に監視が強く、独特のカラー・言葉・文化を持つ薩摩に潜入した密偵は全員帰りませんでした。
「薩摩人以外」の人物が潜入しても、全然カラーが違い言葉も分かりません。
そのため、
お前!
徳川の密偵ごわすな!
いや、そうではない
ごわすが・・・
その薩摩の言葉は
おかしか(おかしい)!
すぐに正体が発覚してしまい、密偵は拘束され、場合によっては処刑されてしまっていたのでした。
それほど、薩摩には「強烈な異常に強いカラー」がありました。
そのカラーと共に、非常に大事な存在が「藩祖」です。
「藩祖=藩の先祖」であり、各藩にとっては「神様」に似た存在でした。
日本の様々な大学〜大学院は、地域独自の雰囲気を反映した各大学のカラーがあります。
一方で、国立大学は「設立主体が同一」なので、管理体制が同一となり似た雰囲気になります。
「国立大学法人」と名称が変わり、多少仕組みが変わっても、根本は国立大学のままでしょう。
すると、私立大学の方が個性やカラーは強く反映されます。
様々なカラーを持つ私立大学がトップ校の海外の大学と異なり、「トップ校が国立大学主体」の日本。
多様性が望まれる中、本来は日本の大学は「抜本的改革=制度の作り直し」が必要かもしれません。
その中、私立中高が、
うちはA中学らしさを
もっと出してゆく!
うちは〜のような女性を育てる
B中学らしさを、さらに強めたい!
個性やカラーを強めることは、非常に望ましいことでしょう。
「別格」の仙台藩と薩摩藩:強烈な個性の島津家と島津義弘
まさに「藩を生み出した人物」であり、初代藩主です。
倒幕軍の薩摩藩・長州藩にも、もちろん藩祖がいます。
島津藩は島津忠恒(実質は島津義弘)、長州藩は毛利秀就(実質は毛利輝元)でした。
関ヶ原の合戦で、島津家と毛利家は共に西軍についたため、徳川家康に「罰せられる」立場となりました。
特に、戦国時代において雷鳴轟かせた島津義弘は「軍神」上杉謙信に匹敵するほどの闘将です。
島津は
徳川に従うつもりはなかっ!
どうしても島津を
どうにかしたいなら・・・
家康っ!
弓矢でこいっ!
おのれ・・・
島津の奴らめ・・・
本当は、
島津を取り潰したいが・・・
あの軍団は
強すぎる・・・
そして、薩摩まで遠征するのは、
大変すぎる・・・
他にも様々な手練手管を尽くして、島津家は「お咎めなし」で乗り切りました。
やむを得ん・・・
よかよかっ!
対して、毛利は120万石から37万石と領土を1/3以下に削られてしまいました。
他にも領土没収・削減が相次ぐ中、島津家の処遇は「異例中の異例」でした。
多数の優れた武将が登場し、賑わいを見せた戦国時代。
藩が成立した「徳川幕府」開始の頃には、加藤清正・福島正則・黒田長政などの著名な武将がいます。
加藤清正は
非常に優れた武将だが・・・
豊臣と縁が強すぎ、
徳川よりも豊臣を優先し続けた・・・
そんな奴は、徳川の世には、
いらない!
徳川家康に睨まれていた、加藤清正の加藤家。
家康より早くに加藤清正は死去し、家康が1615年に亡くなって間もなく加藤家は取り潰しとなります。
江戸幕府開府の際に存在した藩の中でも、取り潰しになった藩も多かったのです。
その中、幕末まで残った藩で「藩祖が著名人」の藩は、非常に少なかったのです。
幕府側では、大老となった井伊直弼の彦根藩祖 井伊直政が有名です。
非常に有能で優れた武将であった井伊直政ですが、伊達政宗と比べると知名度・能力共に落ちます。
「藩の精神的支柱」とも言える、非常に大きな「藩祖」という存在。
私は、一時とはいえ奥州に
覇を唱えた!
伊達政宗は、
戦国最強の人物の一人だ!
「藩祖」の中で知名度の高い武将は様々いますが、伊達政宗は「別格」です。
その点において、伊達政宗を藩祖に持つ仙台藩は「別格」だったのでした。
仙台藩は
名門なんだぞ!
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