前回は「受験に向けて不安な気持ちの解消法〜二宮尊徳「小積もりて大となればなり」・己の信念を貫く姿勢・時代の境目と金次郎・小さいことを積み重ねる大事さ〜」の話でした。
懸命に農学を学んだ新渡戸稲造:札幌農学校(北大)へ
今回は、新渡戸稲造に関する話をご紹介します。
五千円札の肖像画にもなった「日本人に非常に馴染みある人物」です。
農学のメッカであった札幌農学校(北海道大学)に二期生として進学しました。
Boys,
Be Ambitious!
(少年よ、大志を抱け!)
「少年よ、大志を抱け!」で有名なクラーク博士が札幌農学校の教頭を務めました。
ところが、新渡戸とは入れ違いでした。
クラーク博士に
教えて欲しかった・・・
少しがっかりした新渡戸ですが、一生懸命農学を学びました。
農学は、
我が国最先端の自信がある!
一時は北海道庁に就職した新渡戸。
頑張りたいけど、
まだまだ不勉強だ・・・
その後、一念発起して創立間もない帝国大学(東京大学)へ入学します。
現代で考えれば、大学を卒業して社会人経験後に大学院に入るイメージでしょう。
日本では大学から大学院へそのまま行きますが、欧米では、
一度社会に出て、
働いてから、学び直そう!
このような気持ちで大学院へ入る傾向が強いです。
米国や英国などの大学院が「プロフェッショナルスクール」で専門職が極めて強いことも理由です。
それに対して、日本の大学院は、なんとなく「大学の延長」という感じで運営されているのが実情です。
設置年 | 大学名 |
1877年 | 東京帝国大学 |
1897年 | 京都帝国大学 |
1907年 | 東北帝国大学 |
1911年 | 九州帝国大学 |
1918年 | 北海道帝国大学 |
1924年 | 京城帝国大学(韓国、のちに廃止) |
1928年 | 台北帝国大学(台湾、のちに廃止) |
1931年 | 大阪帝国大学 |
1939年 | 名古屋帝国大学 |
現代、旧帝大と東大・京大などをまとめて称し、日本のトップ校です。
そして、新渡戸が帝大(東大)に入った頃は「帝大は東大だけ」でした。
帝大で
頑張るぞ!
大いに振るった新戸部でしたが、すぐにガッカリしてしまいました。
当時の帝大(東大)は、農業の本場の札幌農学校(北海道大学)よりもレベルが低かったようです。
東大では
全然ダメだ・・・
日本は、欧米より
はるかに遅れている・・・
新渡戸は定台を退学して、一念発起して米国ジョンズ・ホプキンス大学へ留学します。
太平洋の
架け橋になりたい!
ドイツなどにも行き、最後は国際連盟事務次長を務めました。
「武士道」を英語で書く:太平洋の架け橋
「太平洋の架け橋」という非常に大きな夢を持って、米国へ渡った新渡戸。
この夢は非常に大きく、米国で一生懸命勉強しました。
一生懸命、
頑張るぞ!
もう勉強した新渡戸稲造は、英語を習得し、さらに世界最先端の農学を学びました。
次はドイツで
学ぶ!
ドイツは
サイエンスの本場だ!
この頃、アインシュタインが生まれたドイツ。
アインシュタインに関する話を、上記リンクでご紹介しています。
この頃は、サイエンス・科学のメッカとも言えるほど、最先端を走っていたのがドイツでした。
ドイツでも
一生懸命学んだ!
とにかく、一生懸命勉強を続けた新渡戸稲造は、古巣の札幌農学校(北大)教授となりました。
新渡戸の最も大きな功績は、英語で“Bushido(武士道)”を書いたことです。
日本の精神を海外に紹介したことは、とても大きな業績でした。
Japanese(日本人)というのは、
こういう方々なのか・・・
Bushidoを読めば、
JapanやJapaneseがよくわかるぞ!
新渡戸稲造が国際連盟事務次長という住職になったのは、
Bushidoを書いた、
Nitobeか!
欧米で「Bushidoの著者」として、大変高名だったのが影響しています。
海外からも大変好評な「武士道」は中学生・高校生以上の方は、ぜひご一読ください。
後藤新平の招聘受け台湾へ:不安でも「もう一踏ん張り」の精神
我が同郷の新渡戸稲造が
大変、農学に詳しいと・・・
しかも、私と同じく
ドイツに留学して最先端のサイエンスを学んだと!
同じ「陸奥国出身」で、後藤新平と同郷だったこともあり、後藤は新渡戸に目をつけました。
私の5歳下で、
若いながら大変良い!
ぜひ、台湾の
民政に役立ってほしい!
当時、台湾の民政長官だった後藤新平の招聘を受けた新渡戸。
分かりました。
台湾へ行きましょう!
そして、台湾の民政部門で大いに力を振るいました。
やる気満々だった新渡戸稲造は、当時、台湾総督だった児玉源太郎に意見書を提出しました。
台湾の糖業は
このようにすれば発展するでしょう。
「糖業改良意見書」か・・・
これは素晴らしい!
よしっ!
すぐにこれを実行せよ!
新渡戸の意見書・建白書通りに改良したら、台湾のサトウキビなどの糖業が飛躍的に発展しました。
日清戦争での勝利によって、清国(中国)から正式に台湾の割譲を受けた日本。
日本は台湾を「植民地」というよりも「自国の一部」として、非常にその発展に力を入れました。
日本からも大量のお金や資源、そして人を投入して台湾の発展に尽くしたのでした。
それでも、
台湾が大事なのは
わかるが・・・
内地(日本本土)が最優先であり、
軍備にもお金がかかる・・・
出来れば、台湾にも
経済的に自立して欲しいのだが・・・
このような声が、内地(日本本土)から聞こえてきます。
その中、糖業が発展して「台湾が経済的に自立できる」方向になることは、極めて好ましいことでした。
これで、台湾がますます
発展してゆくな!
もっともっと
台湾を良くしよう!
さらに
頑張ります!
Japanは
大好きです!
現在、超親日国家である台湾は、児玉、後藤、新渡戸たちの日本の民政重視の政治の賜物でもあります。
Japanに何かあった時は、
Taiwanは、いの一番で駆けつけます!
東日本大震災の時も、台湾は異常に早いスピードで日本への大きな支援を実行してくれました。
新渡戸は下記のようなことを言っています。
井を掘りて一尺で出る水を
掘らずに出ぬといふ人ぞ うき(憂き)・・・
井戸を掘って掘って、「もう出ないのでは」と不安になってやめてしまわないように戒めているのです。
今、少し不安で、
本当に
僕は合格するだろうか
不安になっている受験生、あるいは
うちの子は
大丈夫かしら・・・
不安になる親がいらっしゃるかもしれません。
足元の「井戸を掘る」気持ちで、もう一踏ん張りしてみましょう。
新渡戸の言う通り、もう少しあと少し頑張ってみて、合格に辿り着きましょう。
「ほんのあと少しで合格」という可能性も十分にあります。
最後の最後まで「井戸を掘るが如く」学んでみましょう。
次回は下記リンクです。