前回は「日露戦争の流れ 4〜大日本帝国とロシア帝国・陸軍・満州軍の総指揮者・児玉源太郎・旅順での死闘・児玉の常識外の作戦・バルチック艦隊の動き〜」の話でした。
陸軍の戦いから日露海軍での決戦へ
今回は、日本海海戦の話です。
ロシア陸軍との戦いでは、
奉天の戦いなどで、善戦をした・・・
旅順では大損害を受け、多数の
戦死者を出してしまった・・・
大勢の・・・
大勢の日本の将兵が・・・
項目 | 大日本帝国 | ロシア帝国 | ロシア/大日本帝国 |
人口(万人) | 4,600 | 12,000 | 2.6 |
現役兵力(万人) | 100 | 200 | 2.0 |
歳入(億円) | 2.5 | 20 | 8.0 |
火砲(門) | 636 | 2,260 | 3.6 |
艦船(トン) | 25 | 80 | 3.2 |
石油産出量(万バレル) | 200 | 44,500 | 222 |
遥かに「格上」のロシアに対して、陸軍は児玉 満州軍総参謀長らの必死の戦いでロシア軍に善戦しました。
「善戦」と言っても、それは「日本側からの視点」であって、ロシアから見れば、
Japanごときに、
なにを前線は、てこずっているのだ?
程度の認識だったのでしょう。
ところが、ロシア国内は、実はガタガタの状況でした。
この「ガタガタの状況」の中、「格下の日本」なんかに負けたら、国家が解体する危機です。
冗談ではないわ!
バルチック艦隊でJapanに止めを刺せ!
ロシアの
バルチック艦隊・・・
いかにも強そうな名前の「バルチック艦隊」は、世界中に雷鳴を轟かせていました。
いわば「世界最強艦隊」とも言われた存在であり、
バルチック艦隊と戦って、
なんとか、なんとか勝たねば・・・
日本海軍の連合艦隊は、
バルチック艦隊との戦いが
ロシアとの決戦だな!
はっ!
万全の体制で待ち受ける日本海軍
本国ロシアのバルト海から「遠路はるばる」日本にきたロシアのバルチック艦隊。
バルチック艦隊は、二手に別れました。
そして、下の地図で「青色のルート」と「赤色のルート」に分かれて日本目指して突き進んできたのです。
青色のルートに至っては、半年以上の年月をかけて日本にたどり着きました。
そのバルチック艦隊を、連合艦隊は完全整備の上、もう訓練して「満を持して」迎え撃ちます。
日本近海で猛烈な射撃の練習をした連合艦隊。
あそこを
狙え!
百発百中というわけにはいかぬが、
出来るだけ命中率を上げるのだ!
陸でも海でも、砲撃・銃撃は「敵に当たらなければ意味がない」です。
特に、海では「大きな弾を敵に砲撃しても、当たらなければ、海に落ちるだけ」です。
とにかく、
少しでも、命中制度を上げるのだ!
ははっ!
ほぼ休みなしの「月月か水木金金」の体制で、海軍はもう訓練します。
そして、
だいぶ射撃の命中率を
上げることに成功しました!
よしっ!
あとは、バルチック艦隊を待ち受けるのみ!
戦艦三笠と日本海海戦:米国の講和仲介
連合艦隊の旗艦は山本権兵衛海軍大臣がゴリ押しして、英国から購入した最新鋭の戦艦三笠です。
日本海海戦は、東郷平八郎連合艦隊司令長官・秋山真之 参謀たちが大いに奮戦します。
そして、世界最強と言われたロシア・バルチック艦隊を、ほぼ全滅させる大勝利としなりました。
みなのおかげで、
バルチック艦隊を完膚なきまでに叩いた・・・
これで、
これで・・・
大勝利に感無量となる東郷司令長官。
我が日本は、
なんとか危機を脱したのだ・・・
我が陸軍はロシア軍を
押しているが・・・
まだまだロシア軍は増援部隊を
送ってくる余力がある・・・
この日本海海戦での大勝利を
持って、なんとか講和を・・・
ここで登場したのが、セオドア・ルーズベルト米大統領でした。
ま〜ま〜、RussiaとJapanの
みなさん・・・
どうでしょう、
このあたりで、講和を・・・
我がUnited States(米国)が間に
入りましょう・・・
それとも、私の提案を無視して、
United States(米国)を敵に回しますか?
実は、伊藤博文たち日本政府要人が米国に働きかけていたのでした。
ルーズベルト大統領の圧力もあり、日本は、なんとかロシアと講和を結ぶに至ったのでした。
日本海海戦から太平洋戦争へ
日本海海戦で戦った大勢の将兵の中に、高野五十六という若手の少尉がいました。
そして、日本海海戦で戦い、左手の指を2本失う重傷を負います。
頑張って戦ったけど、
指を2本なくしてしまった・・・
とても、とても残念だけど、
軍人としての本望だ・・・
そして、まだまだ
僕は戦える!
この高野少尉こそ、後に第二次世界大戦(太平洋戦争)で連合艦隊司令長官となる山本五十六でした。
世界中から
あの最強のバルチック艦隊を
擁するRussiaに・・・
新興国のJapanの
海軍が勝てるはずはない・・・
と思われていた戦いでした。
日本陸海軍の大勢の将兵が心を一つにして、大勝利となりました。
この時、バルチック艦隊を日本海で迎撃し、世界中が驚愕したほど「想像を絶するような快勝」をおさめた日本海軍。
この大勝利によって、「日本海軍の作戦の軸」が決定します。
これ以後、日本海軍が強敵と戦う際は、
日本近海で迎撃し、
敵艦隊に致命傷を与える!
ことが「日本海軍の基本理念・ポリシー」となりました。
後に、日本海軍の大方針「迎撃ポリシー」に正面から逆らった人物がいました。
遠路はるばる「真珠湾へ奇襲攻撃をかける」壮大な作戦を、主導した中心人物。
その人物こそ、日本海海戦に参加した若き高野少尉が成長した、後の山本五十六連合艦隊司令長官だったのです。