日露戦争の流れ 1〜20世紀初頭の日露間の緊張・ウクライナ戦争と日露戦争・南方進出目論んだロシア・三国干渉とロシアのメッセージ・激突必死の日露関係・日露の国力の違い〜|中学受験・高校受験・大学受験・社会

前回は「徳川幕府から新政府への流れ 3〜廃藩置県の実態・岩倉具視の策略「明治天皇の登場」・再結集した維新の元勲たち・御親兵の設立・怒り心頭の島津久光と西郷隆盛の確執〜」の話でした。

目次

20世紀初頭の日露間の緊張:ウクライナ戦争と日露戦争

左上から時計回りに、ゼレンスキー ウクライナ大統領、バイデン 米大統領、プーチン 露大統領、習近平 中国家主席(Wikipedia)

今回は日露戦争の話です。

ウクライナ戦争が勃発してから、かなり長いの時間が流れました。

戦争勃発前、このような大規模な戦争が勃発することは、ほとんどの人が想定していなかったでしょう。

近年、ロシア・中国の動きが活発化していました。

日本人にとって、どこか縁遠い存在のロシア(ソ連)。

実は、江戸時代末期からロシアは日本に接触を続けており、北海道周辺を狙い続けてきました。

「北方領土問題」以外には、ロシアという国は、あまり馴染みがないように感じる方が多いでしょう。

ところが、日本にとっては非常に馴染みがあり、海を隔てた隣国であるロシア。

中学受験等で、「日露関係を振り返る」問題として、日露戦争が出題される可能性があります。

戦艦三笠と東郷平八郎長官(Wikipedia)

文章題などで出題の可能性はあるので、流れをしっかり理解しておきましょう。

日露戦争(Wikipedia)

当時1904年〜1905年にかけて、主に朝鮮半島〜中国・日本海で日露で戦いが起きました。

この戦いは、それまでの戦争の概念を大きく変える戦いであり、「第0次世界大戦」とも考えられています。

男子小学生

第0次世界大戦?
第1次世界大戦の前ってこと?

つまり、19世紀までの戦争とは、根本的に異なり、被害が極めて大きかった戦争だったのでした。

日露戦争に関しては、日本側の見方・ロシア側の見方で180度異なるでしょう。

「見方は異なる」でしょうが、基本的に仕掛けてきたのはロシアでした。

南方進出目論んだロシア:三国干渉とロシアのメッセージ

ロシア皇帝ニコライ2世(Wikipedia)

20世紀初頭のロシアは中国や日本などの南方・極東地域への進出を目論みます。

そして、1891年にシベリア鉄道を着工しました。

ニコライ2世

我がロシア軍が
極東地域を占領して・・・

ニコライ2世

我がロシアの不凍港・ウラジオストックから、
周辺に領土を広げてゆくのだ!

当時も、現代も膨大な領土を有するロシア(帝国)。

バルト海などに展開するロシア海軍には、悩みがありました。

ニコライ2世

冬の間は、
港の海水が凍ってしまう・・・

ニコライ2世

これでは、我が海軍の
動きがままならぬ・・・

そこで、極東地域の都市を清国(中国)から、強奪するように奪取しました。

そして、名付けた名前が「ウラジオストック=東方を征服せよ(ロシア語)」でした。

ニコライ2世

うわっはっは〜!
我がロシアが、ウラジオストックから東方・極東を攻める!

そして、日露戦争勃発の10年前の日清戦争では、日本に苦い思い出がありました。

1894年に朝鮮半島をめぐり日本と清国(中国)が衝突しました。

当時欧米から「眠れる獅子」と言われた清国に日本は快勝しました。

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日清戦争(Wikipedia)

下関条約を締結し、遼東半島を中国から日本へ割譲することが決まります

しかし、この地域への進出する意思を露骨に出していたロシア

ロシア主導で、フランス・ドイツと一緒になって三国干渉を日本に行いました。

そして、遼東半島割譲撤回を日本に求めたのでした。

条約は日清間の事柄で、ロシア・フランス・ドイツはいずれも「関係ない」のです。

ここで、列強の圧力に屈した日本は三国干渉を受け入れ、遼東半島を返還します。

あべこべにロシアは、旅順等に進出します。

三国干渉は、古来からの大国ロシアから、日本へのメッセージでもありました。

ニコライ2世

中国東北部へ進出するのは
我がRussiaだ!

ニコライ2世

新興国のJapanは
引っ込んでろ!

これが「ロシアのメッセージ」であり、これは「おかしい事」ではあります。

ところが、世界中で帝国主義が蔓延していた当時は、「それほどおかしなことではなかった」のでした。

こんなこと理不尽なことを言われて、

ある国

分かりました・・・
引っ込みます・・・

「引き下がること」は、本来ならば、独立国としての対面上、絶対に言えるわけがありません。

外務大臣 陸奥宗光(Wikipedia)

条約で日本側全権であった伊藤博文内閣総理大臣(当時)、陸奥宗光外務大臣たち。

陸奥宗光

ロシアが
出てきたか・・・

陸奥宗光

関係ないのに、
いきなり出てきてなんなんだ!

陸奥宗光

せっかく、清国との話し合いを
上手くまとめたのに・・・

陸奥宗光

悔しいが、我が日本は
ロシアと事を構える力はない・・・・・

激突必死の日露関係:日露の国力の違い

元老 伊藤博文(国立国会図書館)
伊藤博文

こんな馬鹿げた主張を聞くわけには
いかぬが・・・

伊藤博文

聞かなければ、ロシアが攻め込んで
来るかも知れぬ・・・

伊藤博文

その事態が起きたら、
我が大日本帝国は終わる・・・

そして、元老であった伊藤博文は、「ロシア宥和策」を推進しました。

譲歩して、遼東半島を返還した大日本帝国。

それに気を良くしたロシア。

ニコライ2世

やはり、Japanは
大したことはない・・・

ニコライ2世

もっと主張すれば、
どんどん領土を取れるぞ!

ニコライ2世

反論してきたら、
我がロシア軍が叩き潰してやる!

ニコライ2世

まあ、反論など
出来るはずがないがな・・・

その後、朝鮮半島・中国をめぐり、日本とロシアは衝突必至となりました。

ところが、ロシアと日本では「格が違う」ほど国力が違いました。

ロシアは日本に対して、兵力・軍備は5倍〜10倍で資金力も豊富です。

項目大日本帝国ロシア帝国ロシア/大日本帝国
人口(万人)4,60012,0002.6
現役兵力(万人)1002002.0
歳入(億円)2.5208.0
火砲(門)6362,2603.6
艦船(トン)25803.2
石油産出量(万バレル)20044,500222
大日本帝国とロシア帝国の戦力比較(歴史群像シリーズ「日露戦争」学研、「二百三高地」東映、TRT World)
伊藤博文

ロシアに
勝てるはずがないだろう!

衝突必死ですが、ロシアとの戦争に反対の急先鋒は、政界最重鎮の伊藤博文。

伊藤博文

だから、不満ながらも、
三国干渉を受け入れたのだ

ある意味、伊藤の意見は「正論」でした。

元台湾総督 児玉源太郎(国立国会図書館)

これに対して、児玉源太郎は反論します。

児玉源太郎

これから益々シベリア鉄道が複線化・強化される。
そして、極東地域にロシア軍がどんどん来るようになる。

児玉源太郎

そうなる前に戦うべき。
今なら勝てる可能性が、ほんの僅かでもある。

児玉源太郎

このタイミングを逃すと、
ロシアには絶対に勝てなくなる。

反対派の伊藤らに強硬に主張します。

伊藤博文

だが、ロシアに
勝てるわけがないだろう・・・

「ロシアには到底勝てない」と考える幹部・閣僚が多数いた日本政府。

アレクセイ・クロパトキン ロシア満州軍総司令官(Wikipedia)

ロシア側はロシア側で、日本側の「不穏な空気」を読んで牽制してきました。

この時期、東京に来ていたロシア政府の高官は、

クロパトキン

我がRussiaとJapanが
戦うことになったら・・・

クロパトキン

瞬く間に、我がRussia軍は、
Tokyoへ攻め込んでしまうだろう・・・

こう言い放ったのです。

つまり、

クロパトキン

弱小国のJapanの分際で、我が大国Russiaと
本気で戦うの?

クロパトキン

Japanは、
滅亡してしまうかもよ。

平然と恫喝してきたのでした。

こんなこと言われて、黙っていられるはずがありません。

「黙ってはいられない」ですが、

大日本帝国幹部A

ロシアと
戦って勝てるのか?

大日本帝国幹部B

だが、確かに、ロシアは
シベリア鉄道が複線化したら・・・

大日本帝国幹部B

もっともっと
極東地域に軍隊を送ってくるだろう・・・

大日本帝国幹部A

話し合いで
なんとかならぬか?

大日本帝国幹部B

ロシアは、
「話し合い」が出来る相手ではない・・・

大日本帝国幹部A

下手に戦争初めて負けるくらいなら、
ロシアの言うこと聞いた方が良いのでは・・・

侃侃諤諤、意見はまとまりませんでした。

紆余曲折を経て、日本政府はついに、

大日本帝国幹部A

ロシアとの
開戦やむなし!

ついに「ロシアとの戦争」を決断するに至りました。

その直後、伊藤博文は明治天皇に呼び出されました。

明治天皇(国立国会図書館)

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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