前回は「徳川幕府から新政府への流れ 2〜版籍奉還の実態・「独立国家」藩解体の第一歩・討幕の主導者西郷隆盛の絶望・廃藩置県強行に対する反乱の懸念〜」の話でした。
廃藩置県の実態
今回は「廃藩置県」の話です。
1868年に明治維新となり、徳川幕府から明治新政府に切り替わりましたが、
独立国家のような
藩が残っては、新たな政治など出来ない・・・
まずは1869年に、版籍奉還を実行して「藩をなくす」ことには成功しました。
版=版図・領土
籍=戸籍・領民
ところが、「旧藩主が知藩事に変わっただけ」という側面もありました。
・世襲制であった大名から、知藩事(現在の知事)は「政府の任命」へ:大きな前進
・実態は大きくは変わらなった:一定の停滞
大きな政治・経済的骨格は、徳川幕府時代と大して変わりませんでした。
これに対して、
廃藩置県
断行!
とにかく、藩をなくして、
新たな国家体制へ!
「廃藩置県」を強く主張したのは木戸孝允と大久保利通でした。
廃藩置県を断行せねば、
近代国家日本は生まれない!
藩が残っていては、
「旧体制そのまま」ではないか・・・
ところが、大名たちは「殿様であり続けたい」のが当然でした。
徳川幕府がなくなって、
天子様(天皇)の時代になったのは分かる・・・
だが、私は藩主であり、
藩主のままで良いのではないか・・・
さらに、新たな世になり検討されていた「徴兵制」に対して強烈な反感を持っている士族が大勢いました。
俺たち士族は、
士農工商で最も上なのだ!
徴兵制など導入して、
農民たちと一緒になれるか!
廃藩置県まで強行すれば、かれら士族が反乱を起こす藩が出てくるかもしれません。
・・・・・
ここで、鹿児島県=旧薩摩藩の「事実上の藩主(国父)」であった島津久光が「最も厄介な存在」でした。
久光は、廃藩置県に猛反対していました。
廃藩置県
だと!
お前たちは、
我が薩摩藩を潰す気か!
大体、一蔵(大久保)よ。
お前は私の家臣だろうが!
・・・・・
幕末、つまり「つい最近まで島津久光の家臣だった」のが大久保一蔵(利通)でした。
西郷は「隆盛」という名前ですが、幼少時から使っていた「吉之助」を好んでいました。
おいどんは、
西郷吉之助ごわす・・・
対して、ずっと大久保「一蔵」だった大久保は、
おいどんは、大久保「一蔵」だったが、
新たな世になり「利通」と名前を変える!
一気に名前を「一蔵から利通に変更」しました。
これは「新たな世になり、名前を変えて気分一新」ということだったでしょう。
この島津久光の姿勢は、後世の視点から見れば「頑迷」に見えますが、一面「当然」でした。
お前たち、
勘違いするなよ!
なぜ、家臣が主人の
意に沿わぬことを考える?
薩摩などで反乱が起きたら、
大変だ・・・
反対者が多い中、岩倉や大久保たちは反乱勃発を危惧しました。
岩倉具視の策略「明治天皇の登場」:再結集した維新の元勲たち
維新最大の功績者であり「軍事の第一人者」であり「最強士族の薩摩士族のドン」である西郷隆盛。
この時、よりによって西郷は薩摩に帰っていました。
新政府は
勘違いした者が多すぎて・・・
おいどんは、やっぱり
薩摩の空気が好きだ・・・
それは、新政府にとって「最大の問題」であったのです。
なんとしても、西郷には戻ってきて欲しい新政府。
西郷よ・・・
戻ってきてくれ・・・
それは
嫌ごわす・・・
政府内では、突然華美な生活するものなどいて、
ほとほと嫌気がさしたごわす・・・
あの戊辰戦争は、
一体なんだったんだごわす!
たびたび上京を促す新政府に対し、西郷は拒絶します。
そこを
なんとか・・・
だから、
嫌ごわす・・・
ここで、策士・岩倉は考えます。
こうなったら、
最後の手段だ!
西郷が
我らの言うことを聞きません・・・
なんとか、陛下(明治天皇)から、
西郷に政府へ戻るように話していただけますでしょうか。
困った岩倉と大久保は、最後の手段に出ます。
うむ・・・
分かった・・・
明治天皇にお願いして、岩倉具視を勅使として鹿児島に派遣しました。
そして、西郷に上京し新政府への協力することを促します。
西郷よ・・・
いい加減に戻ってくるのだ・・・
岩倉さんや、一蔵どんが何を言おうが、
聞くつもりはなか。
じゃっどん、明治天皇の要請を拒否することは
出来んごわす。
我らは、
明治天皇の家臣でごわすから。
これには流石に西郷も拒絶はできず、「自分の案を容れる」という条件付きで新政府に戻ります。
岩倉さん、一蔵どん・・・
おいどんの意見を容れるごわすな!
了解した・・・
西郷さんの言う通りにしよう。
というか、
西郷がいなければ何も始まらない・・・
仕方ない・・・
当面、西郷の言う通りにするしかない。
この時、長州総帥の木戸孝允は、大久保等と揉めて一時的に下野していました。
そして、土佐の頭領とも言える武闘派・板垣退助も下野しており、不穏な状況でした。
西郷は我が長州藩を痛めつけ、
討幕の時から大嫌いだった・・・
西郷の子分だった大久保がなんだ?
増長しすぎじゃないか・・・
大体、倒幕(討幕)は、我ら長州の久坂・高杉らと
私たちが先鞭つけたのだ・・・
そして、久坂も高杉も
早くに亡くなってしまった・・・・・
これでは、私は久坂と高杉に
あの世で合わす顔がない・・・
薩摩は最初は、幕府側だっただろ?
なんで、大久保がデカイ顔してるんだ?
そもそも、江戸城無血開城して、
「簡単に討幕できた」と勘違いしてないか?
西郷さん率いる薩摩藩士や
吾輩が率いた土佐藩士の血で、討幕できたのだ!
討幕が終わった途端、
大久保が出しゃばってきおって!
私は私利私欲で、
新政府にいるのではない!
新しい日本国家をつくることができるのは、
私だけなのだ!
ここで、双方話し合いをしました。
木戸さん、板垣さん、
一緒に維新をやり遂げましょう!
確かに、やり遂げることが、
久坂・高杉のためでもある・・・
土佐で死んでいった将兵の
ためにも、やりますか・・・
木戸・板垣も西郷の上京に応じて、新政府に戻ってきます。
御親兵の設立:怒り心頭の島津久光と西郷隆盛の確執
そして、大久保と岩倉は「薩摩士族のボス」である西郷にお願いして、
おいどんも
廃藩置県に賛成ごわす・・・
廃藩置県の了解を取りました。
徴兵制には抵抗があるも、新たな時代のためには「廃藩置県は必要」と考えていた西郷。
廃藩置県に反対し、反乱起こすものあらば、
おいどんが責任取りもそ・・・
おいどんが
軍隊率いて鎮圧しもそ。
薩摩・長州・土佐から兵を集めて新たに「御親兵」を組織しました。
薩摩のものども。
御親兵という軍隊組織するから、集まりやんせ!
はいっ!
分っかりました!
西郷先生の命令ならば!
どこへでも出撃します!
旧薩摩藩は、西郷が一声かければ旧薩摩藩士がドッと押し寄せてきます。
西郷先生のためなら、
我が生命を投げだします!
このような旧薩摩藩士が大勢いたのです。
旧長州藩は、総帥の木戸孝允が兵を集めます。
誇り高き長州藩士たちよ。
集まれ!
ははっ!
旧土佐藩は、軍事を握っていた板垣退助が協力しました。
土佐藩士よ。
集まれ!
ははっ!
「西郷+巨大な軍事力」で睨みを効かせた上で、
よしっ!
廃藩置県!
新政府は廃藩置県に思い切って踏み切ったのです。
当時の日本における「最強の軍隊+最強の男=西郷隆盛」が組んだ体制でした。
「廃藩置県に反感を持っている」藩主等を黙らせるには十分でした。
反乱を起こしたところで、鎮圧されるのが目に見えているからです。
西郷を
敵に回しても・・・
勝てる
はずがない・・・
また、新政府は用意周到に「藩の借金は新政府が肩代わりする」と各藩主に伝えました。
積もりに積もった借金の山に悩んでいた大勢の旧藩主。
肩の荷が
降りるなら!
さらに、
藩主の皆さんには、
「華族」という特権階級を用意しています!
「華族」だって?
それも良いかな・・・
そして、廃藩に喜んで応じる旧藩主も大勢出てきました。
借金の山を抱えながらも怒り心頭の旧薩摩国父(事実上の藩主)島津久光。
借金帳消しなど、
どうでも良い!
おい、
一蔵(大久保)よ!
お前、
本気なのか!
ところが、最早どうにもなりません。
ま、まさか・・・
こんなことが・・・
怒りのやり場のない島津久光。
おのれ
・・・・・
一晩中花火を打ち上げて、廃藩置県への怒りを晴らしたのでした。
だから、
私は西郷は大嫌いなのだ!
一蔵(大久保)のやつも、わしを裏切りおった。
私は薩摩の国主ぞ!
島津久光のこういう子どもっぽいところが、西郷や大久保をずっと悩まし続けてきました。
おい、
一蔵!
ならば、私を新しい、
その鹿児島県とやらの県令(知藩事)にせよ!
それはご勘弁を・・・
久光様には、極官である左大臣を用意しております・・・
何!?
左大臣だと!
で、私の薩摩は
一体誰が治めるんだ!
・・・・・
久光様との関係は前の時代のこと。
今は、新たな時代が始まったのだ!
元々、久光とは非常に近い関係だった大久保。
この頃、クールな性格の大久保は久光との関係を割り切っていました。
そして、1871年に廃藩置県を断行した明治新政府。
・かつて独立国のようだった「300ほどの各藩」を解体し、中央集権化
・薩摩のみは「中央の意向に従わない」姿勢で独立体制堅持:「討幕第一」の薩摩意識
性格的に大久保よりは情に篤い西郷。
・・・・・
主人であった島津久光との関係に、これまでずっと、
久光様は、
おいどんとは合わないが・・・
元の主人であり、
久光様あっての、おいどんじゃった・・・
そして、西郷は最後の最後まで悩み続けることになります。
「島津久光と西郷隆盛の巨大な確執」は、歴史にも大きな影響を与えたのでした。
そして、日本は現代の「47都道府県」の姿に一気に近づきました。
でも、今と
だいぶ違うね・・・
東京のあたりが
だいぶ違う感じ・・・
この後、さらに「都道府県県境の見直し」が行われ、現代に至ります。
次回は上記リンクです。