前回は「徳川幕府から新政府への流れ 1〜幕藩体制の実態・「独立国家の集合体」の江戸時代・藩独自の通貨「藩札」・廃藩への猛烈な反対者島津久光〜」の話でした。
討幕の主導者・西郷隆盛の絶望
今回は「版籍奉還」の話です。
「版籍奉還」という言葉も
実施の1869年も知ってるけど・・・
版籍奉還は廃藩置県の
前段階だよね・・・
具体的には
どんな経緯で、何があったんだろう・・・
版籍奉還から廃藩置県のプロセスは、「明治新政府の星」たちの思惑が交錯しています。
ぜひ、この頃の歴史の総まとめとして、復習しておきましょう。
1868年に明治維新となりましたが、まだ函館などでは戦いが続いていました。
新たな世の中になったのだから、
新政府の機能を作ろう!
とにかく藩を解体し、
全ての権限を新政府に持たせねば!
藩を廃止することを、最も躍起になっていたのは大久保利通でした。
まずは、全ての藩をなくす
廃藩を行いたい!
この頃、明治維新・王政復古最大の立役者とも言える西郷隆盛。
おいどん(私)が、討幕の
主導権を握っていたごわす!
徳川をぶっ潰し、
新たな理想の社会をつくったごわす!
ところが、明治新政府の状況は「西郷の理想像」とは、かけ離れていました。
おいどん(私)が求めていた「新しい世」は、
これではなかった・・・・・
なんとなく嫌になってしまい、薩摩に帰り、新政府とは距離を置いていたのでした。
違う・・・
違うのだ・・・
あの戊辰戦争で流した多くの血は、
一体なんだったのか・・・・・
西郷隆盛が薩摩・鹿児島へ帰ってしまったことには、明確な理由がありました。
俺たちが
討幕を成し遂げたんだ!
大変な苦労をして、
死にかけることもあったんだから・・・
新政府では、私たちに
大きなメリットがあって当然!
新政府側の人間の中に、突然華美な生活をし始めた人がたくさん出てきました。
そして、
あんなに苦労して、
徳川家を倒したのだが・・・
なぜ、こんなに勘違いする
バカが多いのだ。
西郷が憤ったからでした。
中でも、長州藩出身の井上馨、山縣有朋たちの汚職っぷりは言語道断でありました。
少し後のことになりますが、これが原因で井上馨は「失脚しかける」ことになります。
これは私が求めていた
国の姿・政治とは違う!
肥満のため、体調を崩していたこともあり、西郷は、
もう全てが
嫌になった・・・
全てが嫌になった西郷は、大好きな薩摩に帰ってしまいました。
徳川幕府討幕目指して一途に邁進してきた西郷隆盛。
チェスト!
ゆけ〜!!!
戦場の前線に立ち続け、多くの人物が亡くなるのを目前で見てきた西郷でした。
やっと討幕が実現されて、
疲れたし、
何もかも嫌になった・・・
疲れ切ってしまったのでしょう。
実に多くの将兵が
亡くなった・・・
武力討幕を押し進めた西郷でしたが、当初は徳川慶喜を推戴する姿勢だったのでした。
かつては「この方こそ!」と思った
徳川慶喜公を叩き潰したのも私・・・
討幕という目的が大きすぎたために、討幕後の自分のイメージが湧かなかったのでしょう。
もう、みなさんで、
勝手にしてくだされ!
西郷は絶望した、故郷・薩摩(鹿児島)へ帰ってしまいました。
版籍奉還の実態:「独立国家」藩解体の第一歩
徳川幕府の終焉は、いわば「時代の流れ」ではありました。
徳川幕府がなくなって、
天子様(天皇)の時代になったのは分かる・・・
それは、
分かっているのだが・・・
ところが、藩主たちは「藩という独立国家の殿様・王様」だったので、
封建制度がなくなるのは、
良い面もあるだろう・・・
だが、私は藩主であり、
藩主のままで良いのではないか・・・
多くの藩主たちは、「殿様」である自分達の立場は変わって欲しくなかったのでした。
中でも、「廃藩猛反対」の急先鋒が、薩摩藩の事実上の藩主であった島津久光でした。
徳川幕府がなくなって、
新政府が出来たのは理解した!
だが、
だが、だ・・・
私の立場は変わらないのが、当然だ!
私は「薩摩の主」なのだ。
ちゃんと
分かってんだろうな!
西郷よ!
一蔵(大久保)よ!
・・・・・
幕末まで「大久保一蔵」という名前だった大久保利通は、元々は島津久光の家臣でした。
「元々は」というよりも、この頃は「つい最近まで久光の家臣だった」のが西郷と大久保の二人でした。
・・・・・
ところが、今や「明治新政府の中心人物」となった西郷と大久保は、「久光の上」になり、
ちょっと待て!
お前たちが「上」なんかではない!
お前たち、
家臣風情が何を抜かしている!
新たな世になり、「西郷と大久保が自分の上になった」事実に島津久光は強烈な抵抗を感じていました。
廃藩をしたいが、
反乱が起きてしまうかもしれん・・・
そこで、大久保たち新政府は「版籍奉還」を実施します。
まずは、版籍奉還を
行って、第一段階を踏むか・・・
そして、まずは形式上各藩の藩主から、お上=天皇へ領土等全てを返還してもらいます。
版=版図・領土
籍=戸籍・領民
そして旧藩主は「知藩事」という現在の知事のような立場に「新政府から任命する」形になりました。
廃藩置県強行に対する反乱の懸念
ところが、「知藩事」という名前に藩が入っていることから分かるように「形式上のこと」でした。
藩主が知藩事になっただけだ。
大して変わってないではないか・・・
実情は、大して変わらなかったのです。
といっても、世襲制であった大名に対して「政府の任命」という意味では大きな前進でした。
まあ、世襲制を
壊したことは大事ではある・・・
・世襲制であった大名から、知藩事(現在の知事)は「政府の任命」へ:大きな前進
・実態は大きくは変わらなった:一定の停滞
だが、廃藩を強行すれば、
大きな反乱が勃発するかも知れん。
新政府は出来たばかりで、
またひっくり返ってしまう可能性もある・・・
「武力で徳川幕府を倒した」結果出来たのが、明治新政府でした。
ということは、何者かが「武力で明治政府を倒す」可能性もあったのが当時の状況でした。
ちょうどこの頃、新政府で軍事の中心人物であった大村益次郎。
これからの時代は士族中心ではなく、
徴兵によって軍を整備すべきだ!
大村が推進する「徴兵制」に対し、強く反対していた士族。
大村、
お前は我らの敵だ!
・・・・・
「新政府軍の中心」だった大村は、不平士族たちに暗殺されてしまいました。
な、
なんと・・・
木戸孝允は、茫然自失になるほどのショックを受けました。
私が見出した才能ある大村が、
不平士族に暗殺された・・・・・
政府の中心人物の一人である彼すら、
あっさり暗殺されるようでは、非常にまずい・・・
高杉・久坂亡き後、長州藩の重要人物として木戸自身が見出した、元医師の大村益次郎。
大村を、ずっと後見人のようにバックアップしてきた木戸。
大村に新生日本の
軍を任せたかった・・・
木戸の視点では、大村は「新生日本・長州藩のため」には不可欠の人物だったのです。
大村の死後は、長州出身の山縣有朋らが軍事を担当しました。
軍の実権は
長州が握るのだ・・・
廃藩置県を強行する場合「起こりうる反乱・非常事態」は、極めて重大な問題でした。
これに対処するのは、山縣らが束になっても難しそうです。
反乱が起きた時、我らが新政府軍に「出撃しろ!」と、
命令したところで・・・
彼らは
従うまい・・・
特に旧薩摩士族は、
我らをなんとも思っていない・・・
我らにとって
大事なのは西郷先生だけだ!
岩倉なんか、
どうでもよいわ!
新政府軍の中核をなす存在の「旧薩摩藩士」たち。
薩摩出身といえども、
大久保も別にどうでも良い!
というより、大久保は
西郷先生の「腰巾着」だろう!
薩摩出身の巨頭・大久保利通には、「旧薩摩藩士」を押さえつける力量はありませんでした。
やはり、
「あの男」がいなければ・・・・・
「あの男」の命令なら、
旧薩摩士族たちは従うでしょう・・・
岩倉・大久保は、
荒療治は、
「あの男」でなければ、ならんな・・・
「あの男」に新政府に
戻ってきてもらおう!
こう考えるに至りました。
そして、超大改革を、新政府からいなくなっていた「あの男」の手に委ねようと考えました。
次回は上記リンクです。