前回は「記述問題のコツ・解き方〜記述式問題に対する自信・何を書けば良いのか・「分かっていること」を表現・自分のメモを大事に・メモ・走り書きでも「書いてみる」姿勢・登場人物になりきってみる〜」の話でした。
記述問題対策・最大のポイント:「書けない」から「書ける」へ
多くの受験生が苦手意識を持つ「記述式」問題。
何を、どう書けば
良い点をもらえるのか・・・
塾でコツを教えてもらったけど、
自分で文章を書くのは難しい・・・
選択・暗記問題の「対極」にあるとも言える「記述式」問題。
多岐にわたる様々なことを暗記するのは、大変です。
暗記に対しては、「書いて覚える」や「語呂合わせ」など様々な手法があります。
「手法」は様々ですが、目標は分かりやすく「とにかく覚えれば良い」のです。
そう、たくさん覚えるのは
すごく大変だけど・・・
「覚えれば良い」というのが
分かっているから、暗記問題は安心だよ。
対して、「何をすれば、出来るようになるのか」が不明である記述問題。
そして、「どのような採点基準で、点数がつくのか」が不明である記述問題。
これでは、受験生たちが、
何を、どう対策すれば
良いのか・・・
このように迷う気持ちになるのは、とてもよく分かります。
そこで、今回は、武蔵中学で僕が生徒だった時の「教員の記述・レポートへの姿勢」の話です。
武蔵中学・高校では、非常に多くのレポート課題が課されます。
武蔵中学の志望者の方は、よくご存知かと思いますが、試験問題・形式の雰囲気が他校と全く違います。
「ほとんど白紙」の武蔵中学の試験問題兼答案用紙。
多くの学校では、「試験問題」と「答案用紙」が別です。
武蔵中学の入試では、「試験問題」と「答案用紙」が「一緒」の形式で、かなり珍しいでしょう。
これは「なんとなくそう」ではなく、武蔵中高の教員が、
「紙の上」という制限があるが、
志望者の学力・考え方を、出来るだけ知りたい・・・
そして、志望者の総合的な能力と
武蔵中高の校風・指向性との相性をしっかり測りたい!
このような「武蔵の教育理念」独特の気持ちがあるのです。
受験生にとっては、一生に数えるほどしかない「非日常」の「受験」という体験。
一方で、学校・教員側から考えると「毎年実施される大事な行事」です。
「大事な行事」ですが、「毎年欠かさず行われる」ため、「日常」となります。
そのため、日頃の教員・先生方の考え方が、「採点の方向性・採点基準」になると考えます。
武蔵中学の超名物教師K先生:武蔵中学の先生教員たちの考え方
武蔵中学・高校には多くの名物先生がいました。
音楽のK先生は、「武蔵イズム」を具現化したような先生でした。
私が
Kだ!
まさに超名物先生で、かつては校長を勤められました。
音楽の先生で、特に声楽の専門家であるため、素晴らしい声量をお持ちです。
その素晴らしい声量からか、日頃話す言葉にも「勢い」のような力がありました。
K先生は中高6年間の間に、授業の選択にもよりますが、4年ほど教わる生徒が多いです。
その強烈な風貌と、強い教育理念から、数多くの武蔵生に絶大な影響を与え続けました。
僕が中学校一年生だった時に30代後半だったK先生は、他のクラスの組主任(担当)でした。
3クラスのうちの一つで、他のクラスであっても修学旅行などで接点が多いです。
風貌からして「ド迫力」だったK先生。
K先生がいると、
ちょっと緊張するな・・・
多くの武蔵中高生は、K先生の「ド迫力」に押されました。
「ヤンチャ」が多い男子中高においては、K先生のような「ド迫力」教師の存在は大事です。
お前たち、
何やってるんだ!
このように生徒に「ある程度の威厳・威圧」を与えうる教師は、教育上極めて重要と考えます。
筆者は、音楽を聴いたり考えることは結構好きです。
武蔵では、中学1年からレポートが多いことで有名です。
中学1年から多数のレポートを出すことになり、あまり慣れないうちでもなんとか自分で調べます。
このレポートは
どんな風に書こうかな・・・
考えて考えて、「自分なりの考え」を表現したレポート・書類の提出を求められます。
物理や化学では、「ある程度答えがある」レポートとなります。
なんらかの「発見のかけら」が見つかるかもしれませんが、「概ね答えがある」のです。
音楽は「答えを自分なりに考え・考え方を構築して、しっかり書いて提出する」が求められます。
社会でも「答えがある」場合がありますが、歴史などにおいては、真相は分からないことは多いです。
「答えがない」ことに対して、「自分なりに考えて、表現する」ことが求められます。
「間違っていても、自分で考える」ことを最重視する教育です。
K先生の音楽の時間では、モーツァルトを聴いたり、オペラの「オセロウ」を鑑賞しました。
そして、「自分なりに感じたこと」をレポートにまとめて提出することを求められます。
「感じたこと」ですから「正解」はないのです。
人それぞれであり、その「個性を出してレポートを書く」のです。
記述問題の考え方のコツを、上記リンクでご紹介しています。
中学3年生の時、
モーツァルトについて、
レポートを書きなさい。
「モーツァルトに関して自由に書く」という課題がありました。
生徒がレポートを出した後、一通り読んで評価を書いて返却してくれたK先生の言葉。
それは、30年近く経過した今でも明確に覚えています。
次のような話でした。
モーツァルトに関して君たちが色々と調べたり、
本などに書いてあることを・・・
そうした事実を自分なりにまとめたり、
書くことは良い・・・
君たちの勉強に
なるからだ・・・
ここで一息おいたK先生は、続けて、
ただし、
そればかり、ダラダラとレポートに書くな!
「良い」と褒められると思ったら、叱咤されてしまいました。
私はモーツァルトのことは、
人生も音楽も全て知っている!
それを読んでも、
私は全然面白くない!
私が聞きたいのは、
君たちの意見なんだ!!
これを聞いて、衝撃を受けた中学3年の僕は、
そっか、
そうなんだ!
「レポートを書くこと」に対して、改めて考えました。
それ以来、僕はレポートにおいては自分の意見を「より強く・明確に」書くようになりました。
出題者の意図:受験生が何をどう考えるか?
武蔵中学の入試において、「記述式がほとんどである」理由。
それは、このK先生の考え方が端的に現しています。
小学校6年生の子どもが「何を知っている」「何が出来る」に対し、武蔵の先生方は、
まあ、色々知っていたり、
問題が解けることは、良いことだ・・・
このような考えで、大してというか、あまり興味がないのです。
それよりも、大事なことは、思考力であり、
「何をどう考えるのか」なのだ。
「出来ること」「知っていること」は、大事なことです。
それ以上に大事なことは、「自分で考えること」であること。
それを重視している「武蔵中高の教育理念・カラー」が現れている入試問題・形式です。
上の武蔵中高の先生・教員の方々の考え方は、「特殊」な面があります。
「武蔵だから」という面がありますが、記述に関しては、他校志望者も参考になるでしょう。
「正解がある」算数や理科の記述問題に対して、「自分の考え」を、はっきりと書きましょう。
「正解がある」のですが、「間違っていても、考え方がしっかり」していれば、一定の評価になります。
「正しい答えが一つではなく、自分の意見を書く」社会・国語の記述問題。
それらに対しても、「自分の考え」を明確に書きましょう。
むしろ、堂々と、
僕は
こう思います!
私は
こんな風に思います!
このように、ハッキリ・具体的に自分の思い書きましょう。
なかなか、
面白いね。
このように採点者が「良いかな」と感じてくれれば、良い点がつくでしょう。
採点者が「面白い」と感じたら、結構良い点がもらえる可能性も高いです。
志望する中学校の教育理念は、概要で良いので把握しておきましょう。
ホームページや配布資料で、一生懸命に各校は教育理念を発信しています。
理念を大雑把でも理解し、それに合う姿勢・考え方で直前期は過ごすのが良いでしょう。
記述問題を考えるポイントを、上記リンクでご紹介しています。
あなた(志望者)は、
どういう考え方をしますか?
あなたは自分で考えることができて、
この中学・高校に入って成長する人材ですか?
採点者は、このようなことを試験の形式で受験生に尋ねているのです。
尋ねられている以上、思い切って、
僕は、このように考えることが
出来ます!
こう表現しましょう。
その姿勢が、合格へつながる「大いなる道」となるでしょう。
次回は下記リンクです。