若き頃に初志貫徹したアインシュタイン〜無国籍のユダヤ人・土佐藩へ戻った龍馬の国籍との距離感と運命〜|アインシュタイン12・高校生・エピソード

前回は「無国籍のアインシュタイン少年〜脱藩者坂本龍馬との比較・自由のメリットとデメリット・自由を満喫〜」の話でした。

科学者 アルバート・アインシュタイン(Wikipedia)
目次

無国籍のユダヤ人

ミラノ(新教育紀行)

わずか16歳にして、

アインシュタイン

僕には
ドイツ国籍はいらない!

「ただ一つのドイツ国籍を放棄する」決断をしたアインシュタイン少年。

そして、当時のドイツよりも遥かに自由な雰囲気のイタリア・ミラノにやってきました。

アインシュタインに関する本を数冊読みましたが、この点は割合軽く扱っています。

ところが、これほど重大な決断を若き時に実行したアインシュタイン少年の実行力は抜群です。

「国籍を放棄して無国籍」という状況は、不安すぎる状況です。

自由の代償に「守ってくれる国家がない」という不安定な状況となったアインシュタイン少年。

アインシュタイン

あのドイツの
怖い雰囲気は嫌だ・・・

ドイツの軍隊的な学校を辞めたアインシュタイン。

「辞めた」のではなく「辞めさせられた」という説もあります。(諸説あり)

ユダヤ人であったアインシュタインは、「差別を受けた」事実もあったようです。

アインシュタイン少年が、ドイツを脱出した1894年の40年ほど後のドイツ。

アドルフ・ヒトラー独総統(Wikipedia)
ヒトラー

我がドイツが
欧州の強国となるのだ!

1933年、ヒトラーがドイツ首相となり絶大な権力を握るに至ります。

そして、ヒトラーがユダヤ人に対して行った、極めて非人道的で異常な所業。

ヒトラーの登場は、第一次世界大戦が決定的な影響を持ちました。

ヒトラー

第一次世界大戦の結果、
我がドイツ国民は、苦しめられすぎている!

ドイツ人X

そうだ!いくらなんでも、
フランスもイギリスも酷すぎる!

「40年」は長い時間ですが、一方で「それほど長くない」とも言えます。

のちにヒトラーが登場し、多くのドイツ国民が彼を熱狂的に支持した事実があります。

アインシュタインの頃も、ドイツには何らかの異様な兆候と雰囲気があったのかもしれません。

アインシュタイン

・・・・・

少し後に、ヒトラーという「極めて異常な人物」が出現する兆候と雰囲気が。

土佐藩へ戻った龍馬の国籍との距離感と運命

土佐脱藩志士 坂本龍馬(Wikipedia)

幕末の風雲児に、突如現れた土佐脱藩人の「自由人」坂本龍馬。

坂本龍馬

土佐脱藩人
坂本龍馬です!

大英帝国商人 トーマス・グラバー(グラバー園)
グラバー

大英帝国の
Gloverです。

時は1865年頃で、この頃、坂本龍馬は薩摩藩の庇護を受けていました。

当時、薩英戦争後で薩摩と大英帝国が急接近していた頃でした。

薩摩藩士 西郷吉之助(隆盛)(国立国会図書館)
西郷隆盛

坂本どんは
面白か人物ごわす・・・

薩英戦争後に大英帝国と仲良くしている薩摩藩。

そして、脱藩人で「藩のレッテル」がない坂本龍馬。

龍馬は薩摩の力を借りて、「日本初の株式会社」と言われる「亀山社中」を興しました。

西郷隆盛

坂本どんの立場は、
薩摩が保障するごわす・・・

「日本初の会社」とも言われる「亀山社中」の実態は、薩摩藩の外郭組織・団体でした。

坂本龍馬

カンパニー(会社)を
作るぜよ!

坂本龍馬

大英帝国から武器や船を
買います!

グラバー

Satsuma(薩摩)の
代理ですね!

グラバー

Satsumaがバックにいるなら、
支払い能力は十分!

グラバー

それならOK!
Sakamoto(坂本)さんを信用しましょう!

商人であったグラバーにとって、「武器や船の代金の支払い能力」は最重要項目でした。

グラバー

Satsumaがバックなら、
いくら武器を売っても問題なし!

グラバー

たくさん武器を
売りましょう!

こうして、大英帝国から最新式の武器を大量に購入したのが、龍馬の会社でした。

購入した費用は、もちろん薩摩持ちでした。

その後の龍馬は、薩長同盟を仲介する有力者の一人となりました。(上記リンク、諸説あり)

私たちから見れば、「極めてカッコいい!」坂本龍馬ですが、当人は、

坂本龍馬

私は完全に
自由の身だ!

坂本龍馬

でも、誰も
守ってくれない・・・

内心不安だったに違いないでしょう。

そして、「土佐の背景」を失った坂本龍馬は「幕府の背景」を求めて勝海舟の弟子となりました。

徳川幕府 軍艦奉行並 勝麟太郎(海舟)(Wikipedia)
勝麟太郎

坂本龍馬か・・・
有能で面白い奴だ・・・

龍馬を可愛がっていた勝は、龍馬が脱藩した土佐藩主 山内容堂との会話の際に、

勝麟太郎

山内殿・・・
一つ私からお願いがある・・・

「ある話」を切り出しました。

土佐藩主 山内容堂(Wikipedia)
山内容堂

なんで
ございましょうか・・・

山内容堂

勝様の願いなら、
なんでも聞きましょうぞ!

土佐藩24万石の太守といえども幕臣と同格であり、中でも軍艦奉行並の勝は幕閣の超有力者でした。

つまり、土佐では「泣く子も黙る」容堂よりも勝の方が格上だったのでした。

勝麟太郎

うむ・・・
実はだな、山内殿・・・

勝麟太郎

坂本龍馬を
許してやってもらいたい・・・

山内容堂

なんですと!
「龍馬を許す」ですと?

途端に容堂の表情が引きつりました。

山内容堂

奴は我が土佐藩を
脱藩した身ですぞ!

「要望はなんでも聞く」と言ったはずの容堂ですが、にわかに機嫌が悪くなりました。

これに対して、駆け引きが際立っていた勝は、

勝麟太郎

そんなことは、
私も承知している・・・

勝麟太郎

だから、(幕府高官の)私が
こうして「お願い」している・・・

ここで、勝の瞳がキランと輝き、容堂を見据えました。

勝麟太郎

・・・・・

勝麟太郎

ま、別に「私の願い」を
拒否して頂いてもいいですが・・・

さらに、ここで一息入れて、勝は容堂をじっと睨んで、

勝麟太郎

土佐藩が
徳川幕府を敵に回したいなら・・・

こう言われては、一藩主としては「反論のしようがない」のが当時の世界でした。

山内容堂

いえいえ!
滅相もありません!

山内容堂

龍馬の帰藩、
認めましょう!

山内容堂

ガハハハッ!

脱藩後、勝海舟らの尽力により帰藩が叶えられた龍馬。

ただし、この「帰藩が認められた」程度は諸説あり、「正式ではなかった」説もあります。

こうして晴れて「土佐藩という国籍」を取り戻した龍馬でしたが、

坂本龍馬

一度は
脱藩した身・・・

坂本龍馬

土佐藩邸には、
居づらい・・・

京都における「現代の在外公館」とも言える、土佐藩邸での滞在に遠慮があったのでしょう。

そして、大政奉還の最中、坂本龍馬は同志・中岡慎太郎と共に暗殺されてしまいます。

龍馬の最後の住まい。

それは、土佐藩邸の目の前の近江屋でした。

長州藩士 高杉晋作(Wikipedia)

この以前に、寺田屋で幕吏に襲撃された龍馬。

龍馬は、高杉晋作からもらったピストルを撃って脱出に成功しました。

坂本龍馬

襲撃された時は、
寺田屋の時みたいに・・・

坂本龍馬

ピストル撃って脱出して、
土佐藩邸に逃げ込むぜよ!

龍馬は、こう考えていたでしょう。

まさに「道路隔てた目の前」に土佐藩邸があったのです。

土佐藩邸には屈強な土佐藩士が、たくさんいました。

さらに土佐藩邸を攻撃するのは、大変な外交問題に発展します。

坂本龍馬

・・・・・

「2,3人を暗殺する」のと「藩邸を攻撃する」では、全く次元が異なります。

もし、土佐藩邸に滞在する龍馬を暗殺しようとして、暗殺者が土佐藩邸に乗り込もうものなら、

土佐藩士P

者共、出会え、出会え!
敵を倒せ!

土佐藩士Q

よしっ!
合戦だ!

土佐藩士P

我が土佐藩と
合戦をするつもりか!

「暗殺」が「合戦・戦争」に発展してしまい、尋常ならぬ非常事態になってしまいます。

暗殺の実行者は諸説ありますが、龍馬が土佐藩邸にいたら「龍馬暗殺は不可能」だったでしょう。

若き頃に初志貫徹したアインシュタイン

新教育紀行
バイオリン(Wikipedia)

楽器と読書が大好きで、考えることが趣味のようなアインシュタイン少年。

アインシュタイン

ドイツ国籍を
手放すのは、勇気がいるけど・・・

アインシュタイン

あの軍国主義みたいな
雰囲気の国とは、距離を置きたい!

アインシュタインの母

ちょっと、
アルバート!

両親共に、「必死に止めた」に違いないでしょう。

これほど大きな決断を独断で行い実行するのは、さすがに16歳では不可能です。

手続きには費用がかかるでしょうし、未成年者が「親に内緒」で出来ることでは決してありません。

アインシュタインの父

アルバート、
後で後悔するぞ!

アインシュタインの父

本当に
いいのか?

両親は念には念を入れて、「無国籍」となることを止めたでしょう。

アインシュタインの母

あなた、
無国籍になってしまうのよ・・・

アインシュタインの父

それがどういうことか、
分かっているのか?

必死に止めようとする両親に対して、アインシュタイン少年は、

アインシュタイン

とにかく、
ドイツ国籍だけは、嫌なんだ!

アインシュタイン

頑張って、
他の国の国籍を取るから!

アインシュタインの父

まあ、
仕方ないか・・・

「無国籍になる」という、これほど重大なことを「認めた」両親。

両親は、よほど進歩的だったのか、あるいは何らかの意図があったのか。

それは、アインシュタインのその後の人生によって、大きく評価が別れる道だったでしょう。

そして、若き頃に初志貫徹したアインシュタイン。

これほどのことを「自分で決断する」ことは「尋常ではない」を超えて「異常なこと」でした。

アインシュタイン

思い切って、
初志貫徹したぞ!

高校生にして、自ら進んで「異常な人物」となりました。

両親の気持ちの詳細は不明ですが、アインシュタイン少年は16歳にして、大変な決断をしました。

この決断力こそ「アインシュタインの真骨頂」でしょう。

新教育紀行

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