前回は「中学校に大いに失望したアインシュタイン〜「ひたすら暗記すること」と「理解して考えること」・逃避行へ・ドイツの兵役〜」の話でした。
自由の都市・ミラノへ向かったアインシュタイン
ギムナジウムの雰囲気は
僕には全然合わない!
とにかく
暗記しろ!
覚えることが
大事なのだ!
暗記ばっかりの勉強なんて、
絶対嫌!
僕は考えることが
大好きで、暗記は嫌いなんだ!
ビスマルクの元、軍国主義に近い帝国主義へまっすぐ向かっていたドイツ。
そのドイツで窒息しそうになったアインシュタイン。
軍隊なんか、
大嫌いだ!
ドイツの雰囲気は
僕には合わない・・・
まずは、プロシア(ドイツ)を統一して、
強国となるのだ!
見るからに怖い顔つきをしたビスマルクのもとには、超優秀な軍人がいました。
私がドイツ軍を
欧州一の軍隊にしてみせよう!
軍人として非常に高名であったモルトケを参謀総長にしたドイツ軍は、破竹の勢いで領土を広げました。
なんか、
怖い・・・
16歳になったら強制的に兵役につかされることは、
何がなんでも
嫌だ!!
根っからの自由人的発想だったアインシュタインには、兵役などもってのほかでした。
そして、一人置いてかれたドイツから、家族のいるイタリアへ向かったのでした。
ドイツ国籍を放棄して無国籍へ:イタリアで自由を謳歌
ヨーロッパの「精神的中心」と言われるイタリア。
現在では「ヨーロッパ」というと、まずは「英独仏」の三強が挙げられます。
イタリアは、どうしても四番目という位置になります。
一方で、昔から「ヨーロッパの文化の中心」とも言えるローマの存在が光ります。
そして、ルネサンスの中心地であるフィレンツェもあるイタリアは。
ヨーロッパの方々にとって「花の都」なのです。
まさに「欧州の精神的中心」とも言えるイタリア。
そのイタリアに、駆け込むようにして逃げたアインシュタイン。
ドイツと
全然雰囲気が違う!
軍国主義で覆われたドイツに比べて、自由な雰囲気のイタリアで伸び伸びします。
イタリアって、なんて
自由な雰囲気なのだろう・・・
イタリアに来た16歳のアインシュタイン少年は、重大な決断をします。
なんと、
もう、ドイツの
国籍はいらない!
ドイツ国籍を放棄してしまいます。
当時、国籍放棄の手続きは難しいことではなかったようです。
ところが、他国の国籍を取得するのは容易ではありません。
「他の国の国籍があるから、ドイツ国籍を手放す」のなら、まだ分かります。
実は、当時のアインシュタイン少年は「ドイツ国籍しか有していなかった」のです。
「無国籍」となったアインシュタイン。
これを16歳にして決断したアインシュタイン少年は、よほど思い切りの良い子だったのでしょう。
例えば、あなたが日本人で「日本国籍を有する」時、様々な意味であなたを日本国が守ってくれます。
日本にいる間は「日本国籍を有する人間」として適切に処遇される権利があります。
あるいは、外国に滞在している時に思わぬことが起きた時、日本大使館や総領事に駆け込めば、
日本の国籍を
持つ方ですね・・・
日本政府が
お守りしましょう!
と現地の外交官などの方が守ってくれます。
それが、「無国籍」となると親や親族が守ってくれても、「守ってくれる大きな存在=国」がなくなります。
これは、非常に心細いことです。
まして、ドイツの国外であるイタリアにいるアインシュタインにとって、「無国籍」は辛い立場のはず。
でも、
無国籍でいいの!
パスポートが強い国
良い面もあれば、悪い面もたくさんある日本。
欧米と比較すると画一的な教育といわれ、「引かれたレールを歩く」ことを求められる面も多いです。
「国籍」というと、真っ先に関係があるのがパスポートです。
外国に行った経験がある方は分かりますが、海外に行ったら「まずはパスポート」となります。
到着した空港などで、まずパスポートを差し出して、
私は〜人(国籍)
です。
と申告する必要があります。
各国の外交関係によって、「Visaの取り扱い」が異なり、国によって「パスポートの強さ」があります。
それでは、日本は「どの程度パスポートが有効な国」なのでしょうか。
2023年は「世界2位」です。
近年、「世界で最もパスポート強い国:1位」にも何度かなった実績のある日本。
2023年はシンガポールに抜かれて2位となりました。
それでも「菊の紋章」のパスポートは、世界各国の中で非常に強いのです。
雑誌TIMEの「有志以来の100人」に一人も入らない日本。
世界中を揺るがせているウクライナ戦争では、欧米・ロシア・中国などの話ばかりで、日本は「蚊帳の外」です。
それでも、「パスポートで自由に行ける国が非常に多い」のは、非常に大きなメリットです。
僕は
無国籍・・・
ドイツ国籍放棄後、5年ほどの間「無国籍」であったアインシュタイン少年。
16歳から20歳くらいの間、不安だったに違いないでしょう。
若くして、「自らの道をゆく」大いなる決断しました。
次回は上記リンクです。