前回は「アインシュタイン 6〜楽器と読書・英才教育・のろま・ぼんやり・自然科学〜」の話でした。
アインシュタインの愛読書・通俗自然科学読本
アインシュタインが10歳の頃、よく遊びにきていた医学生タルムート。
一生懸命勉強していたタルムートは、医学と共に自然科学に強い興味を持っていました。
やあ、
アルバート・・・
これ、良かったら
読んでみな。
タルムートさん、
有難う!
タルムート兄ちゃんから貰った、科学・サイエンスの本。
子ども向けの本で、「光と磁力」や「電気と地球」などがテーマでした。
写真にある通り、文章ばかりで絵や図が少なく、子どもには少し読みにくそうです。
ところが、アインシュタインは大いに気に入り、愛読書とします。
学校の退屈な授業より
面白いよ!
とにかく、
面白いんだ!
学校行くより、
この本読んでる方がいいかな。
こういう子どもがいると、少なくとも現代日本の教育界では「問題あり」となるでしょう。
場合によっては、
この子は、周囲との
適応性が低いです。
今のうちに、
治した方が良いでしょう。
と、言われるかもしれません。
子どもの個性と好み
アインシュタインの母パウリーネも、当時似たようなことを学校から言われたかもしれません。
教師から「のろま」と言われるということは、教師が、
この子は、
問題あり。
と考えている証拠です。
この教師の性格にもよりますが、子どもに対して「のろま」というのは「かなりの事態」でしょう。
アインシュタイン少年を「のろま呼ばわり」した教師は、
アルバートは、
理解力が全く低い。
と、アインシュタイン少年に対して感じたのでしょう。
その教師からから見たら、後のアインシュタインは「絶対考えられないこと」でした。
この点では「後の大天才」を完全に見誤った、この教師は「教師の資格なし」と言えるでしょう。
一方で、「人を評価する」というのは、非常に難しいことです。
相手が子どもと言えども、「他人を適正に評価する」ことは、現実的には不可能に近いことです。
どうしても「評価する側」の個人的考え方が反映されてしまいます。
科学って
面白いな・・・
と感じて、文章ばかりながら科学の本を積極的に読んだアインシュタイン。
「内向的だけど、読書が好き」というのもまた、子どもの大いなる個性だと考えます。
この頃に、「後の大天才の素地」が出来てきたのでしょう。
とにかく、
この自然科学読本は面白すぎる!
とは言っても、
理科が好きで、
理科の本を読むのが好き!
とアインシュタイン少年くらい、「理科大好き」少年は当時のドイツにも何人もいたでしょう。
その中、タルムートという大学生のお兄さんが「通俗自然科学読本」をくれたのは、大きなポイントでした。
こんな素晴らしい本が
あるなんて!
困難な子どもの能力判断:アインシュタインの脳の分析と成長環境
後に大天才となるアルバート・アインシュタインの小学校の頃の成績は不明です。
小学校低学年では、成績や学力に大きな差は現れにくいですが、小学校高学年は「大きな差」が現れます。
アインシュタインの頃の学校教育と現代日本の学校教育が異なるので、一概には比較は難しいです。
仮に、「日本の小学校6年生の時」のアインシュタインを考えてみましょう。
おそらく、「算数や理科は概ねで出来た」でしょうが、もっと出来た方は学校内に数名はいたでしょう。
算数や理科は
大好きだけど・・・
小学生にして、「理科への大いなる興味」を持ったアインシュタイン少年。
後の人生を考えると、これが「幸せのきっかけ」だったのでしょう。
「能力とは何か?」は非常に難しい問いです。
「答えがない問い」と言っても良いでしょう。
のちに大天才となるアインシュタインの能力は、「測定不可能なほど極めて高い」でしょう。
そのため、アインシュタイン死後に大問題が発生します。
なんと、本人および遺族に無断で「アインシュタインの脳」が勝手に持ち出される事態となりました。
おそらく、持ち出した方は、
アインシュタインの脳は
特殊なのだ!
大天才の脳を
研究したい!
と考えたのでしょう。
持って生まれた才能も大事ですが、環境も大事です。
その中、アインシュタインの個性を理解して、尊重してくれる存在だった両親。
その両親がいたことは、アインシュタイン少年にとって嬉しかったでしょう。
そして、その「開明的」とも言えるアインシュタインの両親の姿勢。
それこそが「世界物理学のブレイクスルーへの扉を開いた」かもしれません。
目に見えない
何かが・・・
何かが
自然にはありそうだ・・・
アインシュタイン少年は、こんなことを子どもながらに感じていたかもしれません。
そして、幼き頃の科学・サイエンスへの興味が「大人になって大きく開花した」のでしょう。
次回は上記リンクです。