徳川家の精神的故郷・関東〜「学びの中」で鍛え上げられた家康・文武両道の太原雪斎と家康・駿河と遠江と三河と甲斐と信濃から一気に「端の関東」へ〜|江戸から東京へ10

前回は「徳川家の由来と源氏発祥の地である関東〜源平交代思想・「大将軍」就任目論む源頼朝の狙い・一気に格上げされた「征夷大将軍」〜」の話でした。

目次

徳川家の精神的故郷・関東:「学びの中」で鍛え上げられた家康

戦国大名 徳川家康(Wikipedia)

源氏である徳川家康にとって「精神的故郷」とも言える関東地方。

家康本人が「関東地方を領土とすることを、望んでいたか」は、様々な意見があるでしょう。

一方で、やはり家康にとっては苗字を変えたとはいえ、松平家の代々の土地・三河。

徳川家康

三河は我が松平の
土地であったのだ!

そして、自分が人質としてとはいえ、小さい頃から長年過ごした駿河には大きな愛着があったでしょう。

戦国大名 今川義元(Wikipedia)

今川義元の支配する駿河で、人質として長年過ごした家康。

人質とはいえ、義元にはとても可愛がられた家康。

今川家の軍師格であった僧侶 太原雪斎に様々な教えを受けます。

いわば、当時の超一流の人物の手解きを受けた家康。

徳川家康

今の私があるのは、
雪斎殿の教えのおかげ・・・

優れた人物・武将がキラ星の如く登場した戦国時代。

その中でも、徳川家康の軍事的・政治的能力は抜群です。

その能力は、生まれながら持っていたものもあるでしょうが、多くは「学びの中」で鍛えられました。

そしてその「学び」を、織田信長と共に連戦する「実戦・実践」のなかで磨き上げたのでした。

西郷隆盛は「自治の教育」と言われる郷中教育で大きく成長し、藩校 造士館で学びました。

発明家 Thomas Edison(Wikipedia)

小学校に入って間もなく退学し、「小卒ですらない」大発明家エジソンは、独学の要素が強いです。

独学の要素は強いですが、基本的なことは「エジソンの母親から手解きを受けた」のでしょう。

この点で、エジソンの母親は「非常に優れた教育者」だったと考えます。

徳川家康

駿河で学んだことが、
私の人生の基礎。

文武両道の太原雪斎と家康

甲相駿三国同盟(歴史人 別冊「戦国武将の全国勢力変遷地図」)

今川家の外交・軍事の取りまとめ役だった太原雪斎。

戦国中期に、武田家・北条家・今川家の間で結ばれた画期的な同盟であった「甲相駿三国同盟」。

大きな勢力が「お互いが背後を固める」という、非常に効果的な同盟でした。

諸説ありますが、この甲相駿三国同盟を発案し、具体的交渉を取りまとめたのが太原雪斎です。

今川家と織田信長の父・織田信秀が合戦になった時、太原雪斎が今川家の総大将となることもありました。

文武両道だった太原雪斎に、駿府館・雪斎のいる寺院で様々習った家康。

江戸時代に「寺子屋」がありましたが、その語源・起源は「寺院での学び」です。

寺子屋(Wikipedia)

院での学び」が盛んだった日本の中世時代。

」のような「小屋(寺ほど大きくはない家)」が起源で、「寺子屋」になったと考えられます。

後に豊臣秀吉が死去した後、征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた徳川家康。

その後、将軍職は息子の秀忠に譲り、自身は大御所となって駿府城に住みます。

それだけ、気候温暖であり、自分にとって「小さな頃過ごした駿河」に大きな思いがあったのでしょう。

小さな頃、駿河で
一生懸命学んだなあ・・・

私は、駿河が
とても好きなのだ。

京都から遠いとはいえ、「遠い江」から遠江と名付けられた「京と縁がある国」遠江。

駿河・遠江・三河・甲斐・信濃から一気に「端の関東」へ

本能寺の変(Wikipedia)

本能寺の変後に、ゴタゴタの混乱期に奪取した甲斐・信濃の国。

それらの国は、家康が尊敬する武田信玄の旧領土です。

戦国大名 武田信玄(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
徳川家康

武田信玄公は、
私の軍事・政治の師匠。

そして、必死に固めた駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の五か国・約150万石の領土。

「150万石から250万石への100万石アップ」とはいえ、日本の中心であった京から大きく遠くなります。

家康が「関東への移封を喜んだ」とは考えにくいでしょう。

天下人・太閤 豊臣秀吉(Wikipedia)
豊臣秀吉

江戸は良いところ
ですぞ!

徳川家康

くそっ・・・
猿(秀吉)め!

徳川家康

猿(秀吉)の
命令をきかなければ、ならんのか・・・

徳川家康

あんな奴に命令されるのは、
腹立たしいが・・・

徳川家康

やむを得ん!
江戸へ!

これが、家康の本心だったでしょう。

1590年ごろの江戸(新教育紀行)

そして、現在の東京とは大きく異なる、湿地帯が広がる江戸へと家康は向かったのでした。

次回は上記リンクです。

新教育紀行

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