田舎の漁村だった江戸の未来〜豊臣秀吉と徳川家康・「鳴くまで待とう」の家康・若武者伊達政宗の登場〜|江戸から東京へ3・戦国時代

前回は「関東における武蔵と江戸〜米の生産量が抜群の武蔵・北条早雲(伊勢新九郎)の登場・急速に膨張した北条家豊臣秀吉の天下統一・関東の北条氏政の狙い〜」の話でした。

目次

豊臣秀吉の天下統一事業:豊臣秀吉と徳川家康

関白 豊臣秀吉(Wikipedia)
豊臣秀吉

もうすぐ
天下統一だ!

怒涛の勢いで、勢力を伸ばしていた豊臣家。

戦国大名 徳川 家康(Wikipedia)

元々は三河の大名だった徳川家康の出身の松平家は没落して、今川義元に臣従していました。

桶狭間の合戦の後、織田家と同盟を結び、武田信玄の猛攻に耐えた徳川家。

1585年頃の勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

本能寺の変直前には、駿河・遠江・三河の三カ国を領する大大名と成長しました。

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本能寺の変(Wikipedia)

当時、徳川家は駿河・遠江・三河・甲斐・信濃(現在の静岡県・愛知県一部・山梨県・長野県)に領土を持っていました。

信長が本能寺で倒れた後、羽柴秀吉は猛烈な勢いで勢力を広げます。

徳川家康

そもそも、私は織田殿の同盟者で、
秀吉は織田殿の家臣。

徳川家康

本来、私の方が、
格上だ!

徳川家康

負けて
たまるか!

家康は秀吉と小牧・長久手で戦い、事実上勝利します。

徳川家康

よしっ!
羽柴に勝ったぜ!

徳川家重臣A

これで、
徳川家の天下ですね!

徳川家康

いや、
秀吉は、この程度ではない・・・

家康は、すでに「豊臣秀吉と豊臣家の底力」を見抜いていました。

若武者・伊達政宗の登場

戦国大名 伊達 政宗(Wikipedia)

ところが、秀吉の政治力で事態は家康に不利になりました。

そして、羽柴家の力は徳川が及ぶレベルではなくなり、やむなく秀吉の家臣となりました。

徳川家康

む、
無念だ・・・

徳川家康

あんな奴の
配下か・・・

この頃、独眼竜・伊達政宗が大きく躍進します。

まだ23歳で非常に若くして、150〜160万石ほどの大領土を獲得した伊達政宗。

伊達政宗

よっしゃ!
俺の出番か!

伊達政宗

北条と組めば、
豊臣を倒せるか?

波に乗っていた独眼竜・伊達政宗。

政宗は本気で、「北条家と組んで、豊臣家と戦う」かどうかを検討します。

豊臣家と戦うには、徳川家康も一緒に組まなければ、対抗できません。

伊達政宗

徳川は、
こっちにつくのか?

伊達政宗

徳川が一緒でなければ、
話にならん。

政宗は、徳川家の方向性を見定めようと、情報を集めます。

徳川家康

豊臣家の力は、
強大すぎる・・・

徳川家康

特に、あの唸るほどの
財力が・・・

徳川家康

悔しいが、
秀吉には勝てん・・・

家康は悩みました。

秀吉を倒すとしたら、徳川・北条・伊達で組むのが「ラスト・チャンス」なのです。

秀吉と小牧・長久手で戦い、事実上勝利した家康。

徳川家康

秀吉に逆らった
ところで・・・

徳川家康

勝ち目は
ない・・・

徳川家康

悔しいが
「ない」のだ・・・

家康は決意しました。

「豊臣家とは戦うわないこと」を。

田舎の漁村だった江戸の未来:「鳴くまで待とう」の家康

新教育紀行
ほととぎす(Wikipedia)
徳川家康

今、秀吉に刃向かったところで、
勝つ見込は非常に小さい・・・

徳川家康

というよりも、
勝つ可能性は「ない」・・・

徳川家重臣A

では、我が徳川が、
信長殿の部下だった秀吉の家臣になるのですか?

ここで、苦渋の表情を見せる家康。

徳川家康

・・・・・・

誰だって、「格下の人物の下」にはなりたくないものです。

徳川家康

・・・・・

徳川家康

秀吉は、
私より7歳上だ・・・

生誕が謎に包まれている秀吉。

秀吉の生まれた年は1536年、1537年説があります。

ここでは、1536年説を取ります。

徳川家康

よし・・・
ここは待とう・・・

家康は「秀吉が衰えて亡くなる」のを待つことにしました。

徳川家康

鳴くまで 待とう
ほととぎす・・・

家康本人は言っていませんが、家康の心境としては、まあまあ合っているでしょう。

しばらく「待つ」ことにした家康でした。

この頃、今の東京、かつての江戸は北条氏が支配していました。

戦国大名 北条氏政(Wikipedia)

北条家の拠点・経済の中心地は相模・小田原であり、江戸は大して重要ではない街だったのです。

北条氏政

我が由緒正しい北条・伊勢家に
挑むとはな・・・

北条氏政

我らには、武田信玄・上杉謙信ですら
落とせなかった小田原城があるのだ!

関東で250万石を持つ大大名だった北条家の中心地・小田原城で豊臣軍を迎え撃つ決断をした氏政。

この時は1590年で、現代の430年ほど昔です。

まだまだ田舎の漁村だった江戸の未来が、少しずつ開かれようとしていました。

次回は上記リンクです。

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