大英帝国を勝利に導いたウィンストン・チャーチル〜陸軍士官から首相に就任したチャーチル・ヒトラーとの死闘〜|チャーチル1・人物像・幼少の頃

前回は「京都を原爆から守ったヘンリー・スティムソン〜原爆投下地の選定・自身の強い思いをハッキリ表現・信念と能力・米陸軍長官へ・自らの眼力に自信を持つ〜」の話でした。

新教育紀行
ウィンストン・チャーチル英首相(Wikipedia)
目次

陸軍士官から首相に就任したチャーチル:ヒトラーとの死闘

新教育紀行
ロンドン(新教育紀行)

今回は、第二次世界大戦の時期に大英帝国首相だったウィンストン・チャーチルの話です。

男子小学生

チャーチルなら
知ってるよ!

女子小学生

イギリスの
首相だった人だよね!

日本では、イギリスと呼ぶことが多い英国。

第二次世界大戦の頃は、大英帝国という名称でした。

女子小学生

日本が大日本帝国だったのと
似ているね・・・

当時は、世界中が「帝国主義」だったので、「〜帝国」という国家名が多かったのでした。

1874年に生まれたチャーチルは、陸軍士官を経て、25歳の若さで英国国会議員になりました。

男子小学生

25歳で国会議員って、
すごいね・・・

その後、落選した時期もありましたが、着実に英国政界でのし上がったチャーチル。

強気一辺倒の人物でもあったチャーチルの言葉を、上記リンクでご紹介しています。

1940年5月10日、ついに英国首相に選任されました。

チャーチル

英国首相のWinston Churchill
(ウィンストン・チャーチル)だ!

ついに英国政界のトップに就任しましたが、この時期の大英帝国は「最悪の状況」にありました。

New Educational Voyage
左上から時計回りに、チャーチル英首相、ヒトラー独総統、東條英機首相、ルーズベルト米大統領(Wikipedia)
ヒトラー

全Europe(欧州)を
我が手に!

チャーチルが英国首相に就任した前年の1939年には、ヒトラーによって第二次世界大戦が勃発。

ヒトラー

まずはPoland(ポーランド)を
我が支配下に!

ソ連と共に、一方的にポーランドに侵攻したヒトラーに対して、

大英帝国

おのれ、Hitler(ヒトラー)め!
Germany(ドイツ)に宣戦布告!

フランス共和国

Hitlerは、許せん!
我がFrance(フランス)もGermanyに宣戦布告!

即座に、英仏はドイツに対して宣戦布告しました。

ヒトラー

ならば、
UK(英国)を爆撃せよ!

長い歴史において、欧州では「英仏が二強」でしたが、この時期はドイツが圧倒的な力を持っていました。

チャーチル

Hitlerの爆撃機や
戦車は強すぎる・・・

世界に冠たる大英帝国は、チャーチルが首相就任時には、ドイツ帝国に「押され続けていた」のでした。

大英帝国を勝利に導いたウィンストン・チャーチル:ノーベル文学賞受賞

New Educational Voyage
1941年12月欧州の枢軸国支配圏(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

当時、欧州において経済力と軍事力がトップだったドイツは、欧州を席巻しました。

上の図は、1941年12月大日本帝国が米国に真珠湾奇襲攻撃を敢行した時点の、枢軸国の勢力圏です。

男子小学生

枢軸国って、
日独伊を中心とする同盟だよね・・・

女子小学生

ヨーロッパが
ほとんど、枢軸国だね・・・

第二次世界大戦では、枢軸国と連合国が戦争しました。

枢軸国と連合国

・枢軸国:ドイツ・大日本帝国・イタリア・ハンガリー・ルーマニア・タイなど

・連合国:米国・英国・ソビエト連邦・中国・オーストラリアなど

New Educational Voyage
枢軸国と連合国:第二次世界大戦(Wikipedia)

上の世界地図では、「青:連合国、緑:連合国、明るい緑:途中から連合国に参加」です。

米国は、初期から英国や中国を裏から支援していましたが、正式参戦が途中なので「途中から」です。

上の地図を見れば、どう考えても「枢軸国が敗北するしかない」情勢でしたが、

ヒトラー

我がGerman(ゲルマン)民族は
世界一!

ヒトラー

我らが機甲部隊で、
電撃戦だ!

ドイツ軍の猛烈な勢いに対して、強国・フランスも降伏してしまい、ドイツは欧州を席巻しました。

チャーチル

あのフランスが
ヒトラーに降伏した、だと・・・

チャーチル

我が栄光ある
Great Britain(大英帝国)が・・・

大英帝国までもが、ドイツ帝国に「降伏寸前」まで追い詰められてしまいました。

ここで、チャーチルは、類稀なる指導力で、この英国最大とも言える危機を乗り切りました。

チャーチル

我々は、
Victory(勝利)のみ目指す!

チャーチル

Victory(勝利)、
Victoryだけだ!

大英帝国の議会演説では、こう極めて強く主張したチャーチル。

とは言っても、このままでは、大英帝国が「敗北する」のは時間の問題でした。

ここで、

チャーチル

とにかく、
Hitlerをぶち倒すのだ!

「対ヒトラー」の姿勢を鮮明にし続けたチャーチル。

新教育紀行
沈没する米戦艦ウェスト・バージニア(歴史人2021年8月号 ABCアーク)
ルーズベルト

我がUnited States(米国)も
参戦する!

米国が第二次世界大戦に正式参戦すると、少しずつ連合国が優勢になってゆきました。

真珠湾奇襲攻撃の話を、上記リンクでご紹介しています。

そして、枢軸国との戦争中、チャーチルは度々ルーズベルトと秘密会談を行いました。

新教育紀行
ヤルタ会談:左からチャーチル首相、ルーズベルト大統領、スターリン書記長(Wikipedia)

最後には、ヤルタ会談で「戦争終了後の世界秩序」の話し合いをしたチャーチル。

ヤルタ会談の話を、上記リンクでご紹介しています。

チャーチル

我が大英帝国を
勝利に導いた!

そして、第二次世界大戦中の話をまとめた回想録で、1953年にノーベル文学賞を受賞したチャーチル。

男子小学生

首相になっただけでなく、大政治家で、
ノーベル文学賞受賞って、超すごいね・・・

女子小学生

きっと、チャーチルは、小さな頃から
とても優秀だったんだろうね・・・

誰しも、チャーチルは「若い頃から超優等生」と考えるでしょう。

ところが、チャーチル少年は、優等生どころか「落第生寸前」だったのでした。

次回は、チャーチルの少年時代の話です。

新教育紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次