前回は「関東と関西で大きく異なる中学入試日程〜合理的発想の関西中学入試日程・「とにかく2月1日」の首都圏中学〜」の話でした。
「超直前期」の関東中学受験生と「受験完了」の関西中学受験生

日本を大きく「東日本と西日本」や「関東と関西」と分ける考え方があります。
そして、中学受験においても、「東日本と西日本」または「関東と関西」は大きく違います。
・東日本:中部・東海・北陸・関東甲信越・東北・北海道
・西日本:近畿・中国・四国・九州・沖縄
・関東:関東地方(首都圏付近)または東日本
・関西:関西地方(京都大阪付近)または西日本
「関東」と「関西」は、それぞれ「首都圏」と「京大阪」など一部の地域を指すのが一般的です。
中学受験のスケジュールにおいては、「東日本と西日本」よりも「関東と関西」と呼ぶのが一般的と考えます。
「関西」には四国や九州まで含めることが多く、実際にスケジュールは似た傾向があります。
関西の中学校の入試スケジュールは、

関西では、1月の第3土日を
軸に入試を実施します!
「1月の第3土日」が入試日程であり、同伴する親も「仕事を休まなくて良い」傾向が強いです。
対して、関東、特に首都圏の中学校の入試スケジュールは、



首都圏では、2月1日〜5日位を
軸に入試を実施します!
その年の曜日に関係なく、「とにかく2月1日解禁」のスタンスを崩しません。
そのため、



もうすぐ、いよいよ
入試本番だ・・・



とにかく、体調を
整えて、最後の総復習だ・・・
関東・首都圏の中学受験生たちが、「超直前期」を迎えて緊張の真っ只中にいる頃には、



僕は、もう
中学受験全部終わった!



なんとか第一志望校
合格できたから、これで終了!
関西の中学受験生のほとんどは「結果が判明」している状況で、「受験は終了」となっています。
1月〜3月上旬は中学受験から大学受験が佳境を迎える頃なので、日本中が受験の話題で溢れます。
その中、この「中学受験の関東と関西の大きなズレ」は、多少なりとも違和感を感じます。
毎年1月下旬には、「超直前期」の関東中学受験生と「受験完了」の関西中学受験生が存在し、



関西の中学では、
中学受験は完了!



関東での中学では、
いよいよ本番を迎える!
日程に関して、関東と関西では中学受験に対する姿勢が「180度違う」状況と言っても良いでしょう。
大きく変化した関西の中学受験日程:「合格実績増強部隊」の暗躍


この「関東と関西の中学受験日程の違い」は、筆者が中学受験した1990年もありました。



関西の灘とか洛星とかは
2月1日とかじゃないらしい・・・
この頃は、インターネットは全く一般的ではなく、受験情報は「塾か雑誌・書籍」しかありませんでした。
受験生にとって最重要情報である「受験日程」は、



今年の中学入試
スケジュールは、これです!
一覧表などの紙の形式で、塾から交付されたり、受験情報誌にまとめられていました。
スマホでちょっと探すと情報が溢れている現代と違って、情報が現代と比較して過小だった当時は、



関西の学校は受験しないから、
別にいつでも良いけど・・・
関西の学校を受験しない関東の受験生にとっては、「関西はいつでも良い」傾向がありました。
対して、現代はスマホやネットで情報が溢れすぎていて、



僕は第一志望校に
合格しました!



受験は
終わりました!
このような「関西受験生」の声が聞こえてくると、「関東受験生」は、



もう終わった人が
いるんだ・・・



いいな・・・
僕も早く良い形で終わりたいな・・・
このように感じて、少なからず精神的影響を受けそうです。
現代では、「1月中旬受験の関西」と「2月1日から山場スタートの関東」と完全に別れた感じです。
ところが、筆者が受験生だった1990年前後の時期は、「関西の受験日程」は全く違いました。
ネットで調べてみると、「灘中などが2月中旬〜下旬だった」情報などありますが、詳細は不明です。
「関西中学は無関係」だった筆者にとっては、



昔は灘とか違う日程だった
みたいだけど・・・
関西中学の日程に関しては、「関係なかった」ので全く知りません。
この「関西中学の日程が大きく違う」のは、中学入学後に知りました。



俺、
武蔵中合格した後に・・・



灘とラ・サール受けに
行ったんだ・・・



もちろん、両方
合格したけどさ・・・



そうなんだ・・・
どうして受けに行ったの?



それはさ、うちの親が
塾に頼まれたみたいで・・・



塾の先生と一緒に
受験に行ったのさ・・・



そんなことが
あるんだね・・・
どうやら、受験完了の優秀な生徒に対して、



Kくん、Yくん、Sくんならば
灘もラ・サールもいける(合格する)だろう・・・



こちらで全ての費用を持って
受験してもらって、合格すれば・・・



我が塾の合格実績が
増えて、名声が上がる・・・
どうやら、Kくんたちは塾の依頼で「合格実績増強部隊」として、灘やラ・サールを受験した様です。
この「合格実績増強部隊の出撃」は、当時の中学受験界では「公然の秘密」だったようです。


この頃は、日経平均株価が鰻登りの異常な「バブル経済」の真っ只中でした。
1990年頃の日本の状況に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
現在から見れば、「バブル経済の終焉」ですが、当時は「バブル真っ只中」で、



旅行の費用などの諸経費を
払っても、実績増強が優先!
おそらく、塾関係者はこう考えて、「合格実績増強部隊」を組織していたのでしょう。
中学受験の頃、それほど優秀ではなかった筆者には「合格実績増強部隊への参加依頼」はなかったので、



そういうことって
あるんだな・・・
中学一年生の時に、こういう部隊の存在を聞いた筆者は、「大人の世界」を垣間見たような気がしました。
今は、こういう意図的な「合格実績増強部隊」はないように感じます。
いずれにしても、当時は「関東より後」だった関西の中学受験の日程。
当時の「関東男子中学受験生」の視点から見れば、



灘とラ・サールは
二強だからね・・・
当時は、灘とラ・サールは「関西中学の圧倒的二強」でした。
「灘とラ・サールが2月中旬〜下旬」だったという事は、おそらく関西の中学は概ね一緒だったでしょう。
それが、いつから一斉に「2月中旬〜下旬」から「1月中旬」に変わったのかは、筆者は知りません。
「1ヶ月もスケジュールを前倒しにする」のは、かなりの決断が必要だったと思われます。
現在とは大きく異なった、30年ほど前の中学受験の入試日程。



受験日程は1月の第3土日の方が
良いのでは・・
そこには、関西中学の合理的発想と思惑が感じられます。
次回は、関西中学の入試日程の変化に関して考えます。