前回は「マンハッタン計画発動〜簡潔かつ核心をついたアインシュタイン=シラードの手紙・原爆開発のきっかけ・感銘受けたルーズベルト大統領〜」の話でした。
東條英機に対する「巨悪のイメージ」
今回は、東條英機の話をご紹介します。
日本人であれば「誰でも知っている」歴史上の人物の一人である、東條英機。
小学生〜高校生の人が「東條英機」と聞くと、どのようなイメージを抱くでしょうか。
A級戦犯の
人だよね。
第二次世界大戦で
日本を悪い方向に導いた人、かな・・・
大人の人に聞いてみると、
それは、東條英機といえば
大悪党でしょう・・・
よくは知らないけど、とにかく
「A級戦犯」だから、悪い人だと思う・・・
大人の人に「東條英機とは?」と尋ねたら、95%以上の人は「悪党」や「A級戦犯」となるでしょう。
「巨悪」と表現する人もいるでしょう。
それでは、東條は具体的に何をしたから、「大悪党」または「A級戦犯」なのでしょうか。
軍国主義であった日本を
さらに悪くして・・・
アジアなどに侵略して、
周囲の国に大変な迷惑をかけたでしょう。
その中心人物であった
東條は、当然大悪党でしょう。
当時の日本(大日本帝国)が、「アジアを中心として侵略戦争をした」が一般的な認識となっています。
軍国主義だった大日本帝国とアジア進出
実際、第二次世界大戦時、一時的に大日本帝国は周囲の国々に進出し、広大な領土を築きました。
ここで「進出」という言葉を使いましたが、「侵略」と考える人もいらっしゃるでしょう。
現在の視点で見ると。「信じられないほどの広大な領土」です。
インド初代首相に就任したネルーは、1889年に生まれました。
そして、当時はインドは大英帝国(イギリス)の植民地で、「白色人種に虐げられた」存在でした。
黒人、黄色人種に対する「極めて冷酷な差別」があった当時において、
Japan(日本)がRussia(ロシア)に
大勝利した!
このことは本当に、
本当に感激したんだ!
Japan(日本)は全てのAsiaの国々に
大きな影響を与えた!
Japan(日本)は、なんという
素晴らしい国なんだ!
少年から青年になる頃だったネルーは大感激して、日本大好きになりました。
ネルーの記述に関する社会の記述問題の考え方を、上記リンクでご紹介しています。
上の地図は、1921年の時点の大英帝国(イギリス)の領土(赤色部分)です。
世界中に領土を持ち、「日が沈まない国」と呼ばれた大英帝国。
「日が沈まない」は「大英帝国の勢い」を示しますが、「どこかの領土(植民地)が常に昼間」です。
上では陸上の領土のみ示していますが周囲の海を制し、「世界中の海を制圧していた」のが大英帝国でした。
そして、1902年に日英同盟を締結した日本もまた、「大英帝国の真似」を始めたのでした。
1894〜1895年の日清戦争で「アジアの盟主」清(中国)に快勝した大日本帝国。
その10年後には、1904年〜1905年の日露戦争で「世界の強国」ロシアに辛勝しました。
ロシアを倒して、
我が国が強国であることを示した!
我が大日本帝国は、
アジアで最強国家なのだ!
そして、我が大日本帝国が
欧米の帝国主義に抵抗して、アジアに帝国を築く!
実際、白色人種至上主義の中、大英帝国が「対等同盟である」日英同盟を締結したのは、
まあ、AsiaではJapanは
なかなか強国で、軍の規律も正しいようだ・・・
我がGreat Britain(大英帝国)の国益の
ためにも、対等同盟を結んでも良いだろう・・・
我が国は、世界の
一流国入りしたんだ!
当時、日英同盟は「月とスッポンの結婚」と表現されたほど「格が違う」同盟でした。
China(中国)に、どんどん侵略して、
支配するのだ!
我が国もChinaを南から
侵略するのだ!
欧米の帝国主義によって、
Asia(アジア)が侵略されてしまう・・・
当時の中国には、大英帝国・フランス・ドイツ・ポルトガルなどが進出していました。
そして、現代のフィリピンは米国が植民地としていました。
いわば、当時の日本(大日本帝国)は「周囲が欧米列強の植民地だらけ」の状態だったのでした。
ならば、我が国もどんどん
アジアに進出するのだ!
なぜ・・・
なぜ、Japan(日本)も・・・
なぜ、Japan(日本)も
欧米の連中と同じ様なことを・・・
「日本大好き」だったネルーは、「軍国主義爆走」の大日本帝国に大いに失望しました。
超真面目な優等生だった東條英機少年:父英教が決めた「陸軍軍人の道」
私は1884年に生まれた
東條英機である!
1884年に生まれた東條英機は、10歳の時に日清戦争、20歳の時に日露戦争となりました。
東條英機が「なぜ陸軍軍人となったか」は、東條英機自身が、
私は大日本帝国のために
陸軍軍人となる!
このように「自分で軍人の道を決めた」のではありませんでした。
東條英機の父・東條英教もまた、陸軍軍人であり「陸軍中将」にまでなった人物でした。
英機よ!
陸軍士官学校に進み、陸軍軍人となるのだ!
はいっ!
分かりました。
英教は、出来たばかりの陸軍士官学校を出てなく、「非エリート」とも言える存在でした。
一生懸命勉強することが
大事だ!
1855年生まれの英教が成人した頃は、バリバリの「薩長閥の天下」でした。
「薩長ではなかった」英教の待遇は低かったですが、優秀だったので陸軍大学校に進学しました。
当時の超エリート機関であった陸軍大学校同期15名中、13名が陸軍士官学校でのエリートでした。
周囲は、陸士(りくし、陸軍士官学校)
卒業生ばかりか・・・
「同級生たちは、ほとんどエリートの陸士卒」で、大きなハンデがありました。
とにかく、懸命に勉強すれば
陸士の連中にも勝てるはず!
そして猛勉強続けた英教は、
陸軍大学校を
首席で卒業した!
猛勉強の結果、エリートの人たちを押し退けて「首席卒業」しました。
そして、英教の三男として生まれた英機は、
僕は
東條家三男の英機!
長男・次男が夭折(ようせつ、幼くして亡くなる)してしまったので、「事実上の長男」となりました。
英機よ!
お前は私の後継者だ!
当然、陸軍大学校に進み、
陸軍の軍人となるのだ!
はいっ!
分かりました!
そして、父に言われた通り、猛勉強を超えた「超猛勉強」を続けた英機。
とにかく努力、努力、
努力だ!
超エリートコースであった陸軍幼年学校・陸軍士官学校・陸軍大学校を「父に言われた通り」進んだ英機。
私は頑張り続けて
きたのだ!
とにかく「超真面目な優等生」であった東條英機少年・青年。
英機少年・青年に「大悪党の雰囲気」は微塵もなく、
我が大日本帝国の
ために!
むしろ、「国家に尽くす気持ち」に満ちた「超模範生」の英機少年だったのでした。